不治の病の治療のために受けた人体実験で、自らの容姿と引き換えに不死身の肉体を手に入れた元傭兵のウェイド・ウィルソンは、日本刀と拳銃を武器に過激でアクロバティックな戦闘スタイルのデッドプールとして戦いを続けてきた。戦う理由はあくまで超個人的なものだったが、そんな彼が世界の命運をかけた壮大なミッションに挑むことになってしまう。この予測不可能なミッションを成功させるため、デッドプールはウルヴァリンに助けを求める。獣のような闘争本能と人間としての優しい心の間で葛藤しながらも、すべてを切り裂く鋼鉄の爪を武器に戦ってきたウルヴァリンは、とある理由で、いまは戦いから遠ざかっていたが……。
2024年映画館での鑑賞12作目。お盆休み期間中の夕方からの回で、観客は50人くらい。小さめのシアターだったので、かなり混んでいました。
さすがお盆、なのか、この作品がけっこう人気なのか。
日本語吹替版を観ましたが、デッドプール役の声優・加瀬康之さん、彼の喋りが主役ともいえる、かなりの難役だと思うのですが、見事に演じておられたと思います。
正直、『インサイド・ヘッド2』は前作を覚えておらず、他の作品もあまり食指が動かなかったので、消去法的にこの映画を選んだのです。
冒頭のデッドプールの戦闘シーンの過激さというか残虐さとバカバカしさに、いきなり驚き、ご飯食べた直後とかに観なくて良かったなあ、と思いました。
これが大ヒットするアメリカの観客って、どれだけ残酷描写慣れしてるんだ……と。もちろん、『デッドプール』らしい「軽さ」というか、ノリの良さ、みたいなものも伴っているので、『プライベート・ライアン』の最初の戦闘シーンのような残酷さとは(たぶん)違うのですが。
これを「現代風で面白い!」と割り切れるか、「悪趣味!」と切り捨てるかは、人によって分かれると思いますし、受けつけない人は無理して観る必要は全くないと思います。
デッドプールの20世紀フォックスやディズニー、マーベルのスーパーヒーローものへの「内部批判」や「毒舌」や、さまざまな要素やオマージュしている作品が多くてこんがらがることを除けば(あるいは、いちいち「解釈」しようとせずに素直に楽しめば)、「政治的な正しさや長すぎる上映時間から解放された、現代的なスーパーヒーロー映画」だとも言えるのです。
「毒舌」や「内部批判」や「(マーベル作品に限らない)有名映画へのオマージュやパロディ」こそが、この映画の見どころであり本質だとも感じます。
ディズニーチャンネルのマーベルのテレビシリーズは完全にノーチェックの僕には、気づかなかったネタもたくさんあったはずです。
でも、「正義」や「(不特定多数の)みんなの幸せや平和を守る」という「建前」あるいは「建前との葛藤」が失われた「スーパーヒーロー」って、何か違う、ような気もする。
予想よりも、けっこう面白い映画で、近年のマーベルのスーパーヒーロー作品のメタバース路線を自虐的に揶揄するような描写がけっこうあって、それは興行的に低迷が続いているマーベルの本音ではあったのでしょう。
ただ、スーパーヒーローの活躍ではなく、劇中の人物(ヒーロー)の「既存のスーパーヒーローものには飽きた」という「メタ批評」みたいな発言に共感して笑うしかなくなったのは、寂しいというか、行き詰まっているなあ、と思わずにはいられないのです。
この作品『デッドプール&ウルヴァリン』は、その毒々しさや「まさかヒュー・ジャックマンのウルヴァリンが復活するとは!」という驚きも含めて、観ていて楽しいけれど、これが大ヒットするというのは、もう普通のスーパーヒーロー映画じゃダメな世界になってきているのだな、と考えずにはいられません。
僕はメタバースというやつが昔から好きになれないのです。多様な仮想世界が脳内に存在しているのは構わないけれど、それぞれの世界が干渉できるようになると、「都合のいいところを切り取れば、なんでもやり放題」になってしまう。
『ターミネーター』がどの時代にも送り込まれてきたら、そんなのどこかでやられるに決まっているし、個々の時代で撃退することに、ほとんど意味は無くなってしまうのではないか、と。
いくらでも「やり直し」が効いてしまう。
『スパイダーマン』でのメタバースが興行的に成功したのは、ストーリーが魅力的だったというのではなく、これまでの3人のスパイダーマン俳優たちが、それぞれの心残りを超えて同じスクリーンで協力しあっている姿に観客が胸を打たれたからだと思います。
それこそが、現実とフィクションの境界を超えたメタバースなのだ、ということなのかもしれませんが。
あと、「100人デッドプール」を見て、『マトリックス』の「100人スミス」を思い出しました。
『マトリックス』は、今思い出しても、「次に何が起こるかとワクワクする映画』だったのです。個人的には「リローデッド」が一番好き。
あの時代の映画が、いちばん楽しかったように感じるのは、僕自身が若かったから、なのかなあ……
「メタバース」「ポリティカル・コレクトネス」でさえ、もうだいぶ長い間使用されてきて、食傷気味ではあるんですよね。
ポリコレを演出のひとつのように言うべきではないのかもしれないけれど。
このウルヴァリンの「復活」がありなら、アイアンマンだってキャプテン・アメリカだって(死んでないし二代目もいるけど)また出てきてもおかしくないよなあ。
『デッドプール&ウルヴァリン』は面白い映画だと思うのです。
その一方で、マーベルのスーパーヒーロー映画の行き詰まりを痛感する作品でもありました。
この作品がヒットしたことによって、マーベルはなおさら、迷走していくような気がします。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』以上の「大団円」がつくれるとは思えないんだよなあ、「商売」としてはやめるわけにもいかないのもわかるけど。