琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】料理人という仕事 ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

ルーティンワークを意味あるものに
手の早さは裏切らない
独立を目指す
至るところにクリエイティブがある
自分らしさと仕事のバランス……

プロは毎日の作業を大切にする。

自分のイメージを形にして、食べた人を幸せにできる。
独り立ちが可能で、腕一本でやっていける。
日々の仕事から学ぶところがたくさんある。
そんな料理人という生き方をのぞいてみよう


 読みはじめて、この人の文章はどこかで読んだ記憶がある、と思ったのですが、同じ著者(稲田俊輔さん)のこの本を読んでいました。

fujipon.hatenadiary.com

 こんなに「思考を言語化するのが上手い料理人」がいるのだなあ、と。


 僕自身、30年近く医療の仕事をして生計を立ててきたのですが、大学に入る前、就職する前に思い描いていた「医者という仕事」と、現場でやってきた「実際の仕事」は、かなり違っていました。臨床をやっていると、テストで良い成績をとるのとは別の「適応力とバランス感覚」が求められますし、内科だと事務処理的な仕事がかなり多いのです。
 
 世間の大部分の医者の仕事が『ブラック・ジャック』とはかけ離れたものであるのと同様に、料理人の現実の仕事は、漫画『ザ・シェフ』のように、特定の人の心に刺さる素晴らしい料理を作り上げることではないのです。

 この本、料理人の世界に興味がある人だけでなく、これから自分がやるべき仕事を探している人、技術や芸術、創作の仕事に憧れている人たちに、ぜひ読んでみていただきたい。


 アーティスト・村上隆さんの『創造力なき日本』に書かれていたことも思い出しました。

fujipon.hatenadiary.com


 村上さんは、この本のなかで、こう仰っています。

 絵がうまい人が、名のある美大に進めば将来は保証されると考えているのかもしれませんが、それは幻想です。それよりも、絵が下手であっても、挨拶の作法をゼロから学んでいくほうが、はるかに有効です。
 それが芸術の世界です。
 芸術の世界で生きていきたいと思っている人は、この本を読むことでまずそれを知ってほしい。


 僕自身は、アートや芸能くらいは、「人格最低、芸最高(立川談志さんが、以前こう言われたことがあるそうです)」みたいな人が生きられる世界であってほしいという気持ちと、それでも人気芸能人の不倫騒動を知ると「人間としてどうなのか」と呆れてしまう感情が同居しています。

 料理人も、お客にとっては「美味しい料理を作ることができれば、人格破綻者でも構わない」と言いたいところですが、自宅の趣味でつくる料理ならともかく、レストランを一人で切り盛りすることは難しい。
 料理を創作する才能とレストランを「経営」する能力は、別物でもあるのです。
 もちろん、それらを併せ持っている人も一部にはいるのですけど。


 プロの料理人は、「ひたすら美味しいものをつくればいい」というわけではないのです。

 料理人は、実はとんでもないハンディの中で料理を作っています。そのハンディにはたくさんの要素が含まれますが、まずひとつ挙げられるのは「原価」の縛りです。原価とは簡単に言えば材料代。良い材料や使いやすい材料を使えば、原価は果てしなく上がっていきますが、当然ながら売価には限度があります。料理人は多かれ少なかれ、どこかで妥協を強いられることになります。


(中略)


 ハンディには他にもいろいろあるのですが、すべて挙げていくとキリがないので、最後にひとつ、最も重要なことについて説明しておきます。それは、誰にとってもおいしい料理なんてこの世に存在しない、ということです。
 人はなんとなく、料理はおいしくなればなるほど多くの人に好まれる、と当たり前のように思っています。しかしこれは、そんな単純な話ではありません。言うまでもなく人にはそれぞれの「好み」というものがあるからです。なので料理人は往々にして「いかにおいしいか」よりも「いかに多くの人に好まれるか」を考えて料理を作る必要に迫られます。
 そして厄介なことに、世の中の多くの人が好むものと、「グルメ」や「マニア」と呼ばれるような人々が好むものは、大きく食い違うことが結構あります。そしてそこには価格の問題も大きく絡んできます。グルメな人々の期待に応えられるよう、値段は高くても抜群においしいものを作ったつもりでも、それは大多数の人にとっては「単に高いだけでもっともおいしくない何か」になってしまうことも少なくない。逆は逆で、今度は「単にありふれた料理」になってしまい、特に評価も得られず、お店同士の競争にも勝てなくなります。料理人は、そのどちらにも偏りすぎない「ちょうどいいポイント」を、常に見極める必要があるのです。
「自分が本当においしいと思うもの」を追求し続けるのは大事なことであり、そしてそれこそが料理人にとっての生き甲斐です。しかし、時に応じてそれをいったん棚にあげることが必要になるのもまた、料理人の宿命です。


 高級な店は敷居が高くて緊張するから苦手、とか、上司と有名料亭で取引先を接待するよりは、ひとりで牛丼を食べたほうがずっと幸せ、という人もいますよね(僕もそうです)。
 安くておいしくてもずっと行列で待ち時間が長い店もあるし、美味しくも安くもないけれど、なんだか居心地がいい、という店もあるのです。
 外食の場合はとくに、料理の味だけで満足度が決まるわけではありません。
 もちろん「味」というのは大きな武器ではあるのだけれど。

 レストランを続けていくには、利益をあげなければいけないし、そこで働く人を確保しなければなりません。
 著者は、「安定した味の料理を、大量に作り続ける技術がプロには必要」で、期間の長短はあれ、料理の技術の習得だけではなく店舗全体をみて、経営のマネージメント力を高めるためには、「修業」は有益だと述べています。

 しかし修業の本当の意味での大切さは、こういった調理技術そのもの以外の部分にある、というのが私自身の考えです。例えばお客さんとの接し方やトラブルの防ぎ方、それが起こってしまった場合にどうするかであり、例えばガスコンロが突然点かなくなった、冷蔵庫がいきなり故障した、といった機材トラブルの対処法であり、例えばなぜか急にお客さんが減り始めた場合の経営的な対策だったり……。
 ここでいくら例を挙げても、ひとつひとつは「なんだ、そんなことか」としか思えないかもしれません。「それはその都度その都度、常識的に考えて切り抜ければ良いのでは?」と、確かにそれはそうなのですが、飲食店というものは、そんな些細なトラブルの連続なのです。過去にそんなトラブルの適切な切り抜け方を、どれだけ実際に目にしているかどうかは、日々の営業をつつがなくこなしていく上でとても重要です。
 またそんな日々のよしなしごとの中で極めて重要なのが、お客さんとの接し方以上に、業者さんとの接し方です。飲食店における仕入れは、ネットショップで値段を確認して数量を決めてポチるようなこととは大きく違います。互いに尊重し合い、仲良く、ただし譲れない部分は決して譲らない、そういうプロフェッショナル同士の関係性を築いていけるかどうかは、店の運命を大きく左右します。
 かつて修業の一番の目的があくまで「料理修業」だった時代に、そういったことは、長い修業期間の中で自然に身についていったことだったのだろうと思います。


 著者によると、「現代の飲食店は、かつてに比べれば遥かに働きやすい場になった」そうです。
 暴力は著者が修業していた時代には過去のものとなり、言葉によるハラスメントもかなり減ってきている、とのことなのです。人手不足の時代ですから、そんなこと(ハラスメント行為)をしたら、すぐに辞められてしまう、という意識が雇用側や同僚にも浸透してきています。
 だからこそ、修業する側が自発的・積極的にやらないと、何も身につかないという難しさもあるようですが。


 著者は、料理を学ぶ新人たちに「見て覚えることの重要性」を説いています。先輩に教えてもらったことを、まずは教えられたままに忠実に行うこと、そしておぼえの良い人間とそうでない人間がいて、センスの差は努力で埋めるしかない、とも。

 ただし努力の仕方にもやっぱりコツがあります。最高のコツをひとつ教えましょう。それは、先輩のやっていることを常に観察し続けることです。実はこれは既に入店した瞬間から始まっています。実際教えてもらえる段階になってからでは、実は遅いのです。もちろん、自分には自分の仕事があるわけで、それで手一杯かもしれません。しかしそれで諦めたらそれまでです。チラ見でも、バレない程度に自分の仕事を(多少は)手を抜いてもいいでしょう。とにかく、見る。観察する。時には「なぜそのタイミングでそれをするのか」を考えてみる。考えてわからなかったら聞いてみる。これは言い切ってもいいのですが、聞かれて答えてくれない料理人はいません。それどころか、確実にあなたの評価は上がります。先輩は、そのことの大事さを知っているはずだからです。


 僕自身も、自分の仕事で、手術場に入るようになったときに、痛感したことがあったのです。
 自分は「見学」しているつもりで、観客になってしまい、手術の重要そうな場面、腫瘍を摘出するとか血管を縫合するとかだけに注目して見ていたのです。
(忙しくて疲労困憊し、集中力が続かなかった、という事情はありましたが)
 実際に自分がその場に立つと、最初にやるべきこと、まず、どれくらいの範囲を消毒して、滅菌した布をどのようにかけていくのか、器具をどう持って、扱えばいいのか、というような、僕が「適当に眺めていた」準備の場面で、どうすればいいのかと考え込んでしまったんですよね。

 常に、「自分がこれをやるとしたら、どういう手順で、どのくらいの時間、タイミングでやるべきか」を意識して見ていなければならなかったのです。
 実際は、そういう「クライマックスには見えないところ」こそが仕事の肝だったり、それができないと話にならなかったりというのは、どの世界にもあるのだと思います。
 先輩の商談についていくときでも、商談の内容だけ聞いていればいい、というわけではなく、相手の会社に着いてからの振る舞いやドアの開けかた、あいさつのしかたなどをきちんと「観察」しておくべきなのです。

 ここでは「料理人の難しさ」についてばかり触れてしまった気がしますが、「料理人の楽しさややりがい」についてもきちんと書かれていて、中学生くらいでも読みやすい「仕事についての先輩からの親切極まりないアドバイス」です。

 自分がこの年齢になって思うのは、若い頃にやろうとしていたことをやって生計を立てている人は、ほとんどいない、ということなんですよね。
 人生というのは、本当に予測がつかない。
 この本には、ある程度普遍性がある「うまく仕事に適応していくためのコツ」が丁寧に書かれていると思います。


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