琥珀色の戯言

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【読書感想】43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層 ☆☆☆☆


Kindle版あります。

内容紹介
2015年2月20日、神奈川県川崎市多摩川河川敷で13歳の少年の全裸遺体が発見された。
事件から1週間、逮捕されたのは17歳と18歳の未成年3人。
彼らがたった1時間のうちに、カッターの刃が折れてもなお少年を切り付け負わせた傷は、
全身43カ所に及ぶ。そこにあったあまりに理不尽な殺意、そして逡巡。
立ち止まることもできずに少年たちは、なぜ地獄へと向かったのだろうか――。
著者初の少年事件ルポルタージュ


■インターネットを中心に巻き起こった「犯人捜し」の狂騒
■河川敷を訪れた1万人近くの献花の人々の「善意」
■同じグループで「居場所」を共有していた友人たちの証言
■遺族の「涸れることのない涙」――浮かび上がる慟哭の瞬間


「遼太君、君はあの夜、血だらけになった体で闇の中を這い、どこへ向かおうとしていたのだろうか」


 あの川崎の事件から、もう3年も経つのだな……そう思いながら読み始めました。
 そういえば、あのイスラム国の人質殺害事件が同じ時期に起こって、このあまりにも凄惨な少年事件と重ねられていたのだよなあ。
 もう3年、とはいうけれど、3年間で、僕はいろんなことを忘れてしまっているのです。


 著者は、この事件について、被害者の上村遼太さんの父親や当時の友人・知人、親類など、さまざまな人に取材をして、このルポルタージュを書いています。
 ただし、遼太さんの家族のなかで父親は取材に応じており、かなり詳しく話をしているのですが、母親側からの直接の証言はありません。
 こういう事件の場合、遺族として、何か言っておきたい、という気持ちも、何も言いたくない、という気持ちもわかります。
 そして、家族の問題というのは、おそらく、構成員それぞれにとって、見方が違うのだろうな、ということも。


 僕はこのルポルタージュを読んで、あまり憤りとか怒りみたいなものを感じなかったんですよ。
 たしかに異常で残酷な事件ではあるけれど、「こういうこと」は、いつ起こってもおかしくないし、被害者や加害者になる可能性がある人は、大勢いるのではなかろうか。

 少年の全身に刻まれた作業用カッターによる切創は四十三カ所に及び、そのうち首の周辺だけでも三十一カ所に達していた。もっとも重い傷は左頸部にあるもので、長さは16.8センチ、深さは1〜2センチ、小動脈は真っ二つに切断されていた。他にも11.5センチや9.5センチに及ぶ傷もあり、首の筋肉は無惨に切られ、背中、足、額の皮膚は剥がれている。


 遼太さんが殺害されたときの状況やたくさんの傷、全身から出血し、衰弱していたにもかかわらず、犯人たちは遼太さんを無理に川で泳がせ、「溺れて死ねば自分たちのせいではなくなる」などと証言していました。


 なんてひどい連中なんだろう。


 しかしながら、裁判で明かされた犯行のときの状況を読むと、彼らは「じわじわといたぶるように遼太さんを痛めつけていった」のではなく、「致命傷を与えるような覚悟もないまま、酒に酔った勢いと、お互いに引っ込みがつかなくなって、遼太さんを傷つけ続けていた」のです。
 理由も、そんなに強い恨みというよりは、苛立ちをぶつける対象を探していて、そこで身近なところにいたのが遼太さんだった、というだけ。
 誰かが「そのくらいにしておかないとヤバいよ」と言っていれば、踏みとどまれたのかもしれないのに。
 加害者たちも、未熟だったからこそ、結果的に、こんな残酷な「殺し方」になってしまった。

 金藤(事件当時、虎男(主犯・少年Aの仮名)を地元のゲームセンターでよく見かけていたという同世代の男性)は言う。
「事件が起きたばかりの時、虎男はすげえ凶暴な不良だって報道されていたじゃないですか。でも、あいつはヘタレで、小学校の時も中学校の時もいじめられてたんですよ。不良たちに理由もなくシメられたり、普通の同級生からも『気持悪い』とか『暗い』とか言われたりした。
 虎男を一言でいえば、オタクかな。ゲームばっかやってて、一緒にいた連中もみんな暗いゲーム好きの奴ばかりだった。不登校の連中もたくさんいたね。話の内容はほとんどゲーム。そんなグループの中で、虎男は上の位置にいたと思うけど、信頼されているからとかケンカがつよいからってより、単に年上だったからって感じかな」
 一部の事件報道では、虎男がまるで狂犬のような報じられ方をしていた。だが、実のところは、学校でいじめにあって居場所を失い、ゲームセンターの片隅で似たような境遇の生徒たちと遊んでいるような少年だったという。
 金藤はつづける。
「あいつは、学校の中だとおとなしかった。不良が怖いから、あんまり目立つような格好はしないんです。でも、外で不良の目がないところに行ったら、急にいきがりだして煙草を吸ったり、物を壊したりする。万引きは、やりまくってたね。『俺は何でも盗めるんだ』って言って自慢してた。
 弱い奴には手を上げることもあった。絶対に歯向かってこないような年下の奴とかを、陰でフルボッコにする。そんな時あいつはガチで残酷になるタイプだった。歯止めがきかなくなって、無抵抗の相手をずっと殴ったり蹴ったりする。それで相手を大怪我させちまって、後日不良たちにボコられたこともあった」
 虎男が弱い者に対してのみ凶暴さを発揮していたというのは、友人たちが一様に認めるところだ。グループの中に、中学生など年下の少年が多く交じっていたのは、弱い自分でも上の立場になれるとの思いがあったからではないだろうか。


 遼太さんは、あの事件の前にも、この虎男に殴られていましたが、母親は様子がおかしいと思いつつも、「子どもの世界のことだから」と介入せず、遼太さん自身も、他に行き場がなかったため、この虎男たちのグループから離れることができなかった。
 当時、母親には交際している男性がいて、その男と同居することになり、遼太さんは家に居づらくなっていたのではないか、ともされています。
 中学生くらいって、いわゆる「反抗期」でもあるし、母親にも「自分の人生」がある。
 そして、今の日本では、「全く問題のない家庭や家族」は、現実的にはほとんど存在しない(と、僕は思っています)。
 加害者たちの家庭も、それぞれ問題を抱えていたのだけれど、激しい虐待にさらされていた、というわけでもない。
 どこにでもある小さな不幸の組み合わせが、こんな事件を生んでしまった。


 ただ、この事件を取材した記者たちのこんな話を読むと、「どこにでもある」というのもまた、僕の勝手なイメージなのかな、という気もしてくるのです。

 ネットでの犯人捜しとは別に、現場で取材をしていたメディアの記者たちの間では、早い段階から横浜の事件と川崎の事件が別物だと判明しており、容疑者として虎男や剛の名前が上がっていた。あとは、グループのメンバーたちの証言を集め、事件当日のアリバイをつかめば、犯人を特定できたはずだった。
 ところが、記者たちはここで新たな壁にぶつかった。虎男たちを知る人間の多くが不良少年だったことから、取材が容易に進まなかったのだ。通常の取材では、事件現場や学校周辺にいる少年たちに声をかけて話を聞かせてもらい、そこから別の仲間を紹介してもらうなどする。記者たちはこのやり方で取材を進めようとしたのだが、不良少年たちはその見返りに金銭を要求してきたのである。
 前述の記者は語る。
「川崎の取材で出会った子供たちの間には、取材を受ける代わりに金を要求しようみたいな空気がありましたね。話を聞かせてくれと言ったら、じゃあ何万円払えよみたいな言い方をされるんです。無理だと言ったら、それなら酒屋で酒おごれ、今から煙草買ってこい、みたいに言われる。虎男の仲間や吉岡兄弟の仲間が、そういう質の悪い連中だったことはまちがいありません。
 どの社の記者たちも、とんでもないガキたちだって憤慨していました。事件報道が過熱していた時、イスラム国と重ねて『カワサキ国』だなんて言い方をマスコミがしていたじゃないですか。川崎は漫画『北斗の拳』で描かれるみたいな無秩序な町で、犯人の少年たちはイスラム国の真似をして遼太を殺したんじゃないかって。ああいう報道は、記者たちがさんざん地元の不良たちにかき回されていたことと無関係じゃないと思いますよ。記者たちが『川崎はとんでもない場所だ』っていう話が、プロデューサーなんかにつたわったんじゃないですかね」
 世間では、マスコミは取材時に謝礼を支払うという誤解が広まっている。だが、テレビ局や新聞社には、原則的に取材の謝礼を払ってはいけないという共通のルールがある。金銭要求に応じると、取材がマネーゲームになってしまうためだ。
「ネタは、喉から手が出るほどほしいけど、うちはテレビなんで絶対に支払えないんです。もし金を払ったり、酒をおごったりして、別のメディアにそれを報じられたら社内外で大問題になりますから。
 その中で、週刊誌だけは払っていたと聞きます。彼らはうちら(テレビや新聞)とちがって少額なら払える。それで彼らの取材が先行したって部分はあったかもしれない」


 記者たちが「とんでもないガキどもだ」と思ったことが、『カワサキ国』というような、負のイメージの報道を加速させたのも事実なのでしょう。
 同じ日本に住んでいるはずなのに、「こういう環境」で暮らしている子供たちがいる、というのが、僕には全然見えていなかったのです。
 「給食だけがまともな食事の子供たち」っていうのも、「知識」としてはあっても、そんな子供を実際に目の当たりにしたことはない。
 日本は、「みんな中流」の社会だと言われてきたけれど、それは「中流側」の幻想でしかなくなっているのです。

(事件現場でボランティアをしていた人たちのひとりである)竹内は語る。
「遼太が亡くなったのはたしかです。でも、事件をきっかけに私の中で生きはじめたんです。私は大変なことがあって心が折れそうになった時に遼太を思い出して勇気をもらったり、晩御飯を何にするか悩んでいる時に『今日何食べたい?』って遼太の写真に話しかけたりしています。そういう意味では心の拠り所みたいになっているのかもしれません」
 河川敷に集まる人々の間で、遼太は宗教のように偶像化されていったのかもしれない。


 申し添えておきますが、竹内さんは、この事件まで、遼太さんとは全く面識がなかった人です。
 事件後に現場に集まり、遼太さんを「山陰地方の島から川崎に引っ越しをしてきて、悪い仲間に染まってしまった挙句に、命を奪われてしまった、純朴で人懐っこい少年」として、美化しているボランティアの人々の話を読むと、「そんな綺麗事じゃないだろ」とも言いたくなるのです。
 

 そんなふうに遼太さんを「偶像化」しようとするのであれば、今、居場所を失っている子どもたちのために、何かできることはないのだろうか?
 ……などと書きながらも、僕も自分の目の前のことで精一杯なんですよね。


「鬼畜」の家―わが子を殺す親たち―

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