Kindle版もあります。
人生には締切がある。
締切(ほとんど)守って四〇年。
熱血漫画家が教えるスケジュール管理、ピンチを乗り切る方法、そして生き方。
特別付録「カウントダウンbook傑作選」つき!―――
締切とは。
あらかじめ決められた終了の期日のことです。
一度決めたことなのだから、締切を破ってはいけない。
わかってはいてもダラダラしてしまうそこのキミ!
締切と闘い続けて四〇年、熱血漫画家の姿を見よ!
島本和彦さん、もう還暦を過ぎてしまったのか……
作風もあって、いつまでも青臭くて熱い(あるいは暑苦しい)人、というイメージがあったのです。
でも、この新書で「締切」について書いておられる内容を読むと、単なる熱血漢ではなく、基本的に真面目で自分を客観的に見られる人が、熱血漢を演じることによって、自分を奮い立たせて人生に立ち向かってきたのではないか、と感じました。
この本、クリエイターにとっての「締切」だけではなく、1961年生まれの島本さんが、「人生の締切」を意識し、これまでの自分のマンガ家として、人としての足跡をふり返った内容になっているんですよね。
「締切を守れるようになりたい!」という人へのノウハウ本のようなタイトルなのですが、「島本和彦の自叙伝」だと僕は感じました。
思えば、人生って締切との闘いだよなあ。
この本を読んでいて、映画『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督のこのツイートを思い出したのです。
この前、映画学校の青年に「クリエイターにとって必要なものは何ですか?」って聞かれて「締め切り」って答えた。愛とか夢とか情熱とか努力とか、はたまた怒りとか、他にも必要なものは色々あるだろうけど、一番必要なものは「締め切り」なんじゃないかと割りと本気で思ってる。
— 上田慎一郎 (@shin0407) 2019年1月22日
締切が好きな人はいないし、締切がなければ、もっと完成度を高められるのに、と思うことは多いけれど、人生の時間が有限である以上、何かを完結させるには締切が必要なのです。
ものすごく熱心な読者、というわけではないけれど、人生の折々で思い出したように島本作品に触れてきた僕にとっては、島本さんがどんな状況であの作品を描いていたのか、が書かれているのはすごく興味深かったのです。
『ワンダービット』は『ログイン』というパソコンゲーム雑誌に載っていたSF短編なんですが、あれは本当に一番嫌なタイミングで締切がやってくる雑誌でした。『燃えよペン』に、締切スケジュールの表を作って、「その線が重なってる部分はなんですか先生⁉」って言ってるシーンがあるのんですが、あれがこの時期ですね。「これが終わったら、次にこの作業に入る」ってやっていたらもう間に合わないから、「これをやってる最中にこれに入る」っていう意味のわからないスケジュール表を作りはじめると、もうカレンダーに書き込んでる時点で破綻してる。『ワンダービット』は、一つの仕事がやっと終わって「さあこれで寝られるぞ」ってときに、「先生! 一本忘れてます!」というのがしょっちゅうあって、本当にイヤでした。
もうアシスタントも疲れ果てていて、やりたくないんですよね。それがビンビンに伝わってくる。だから、仕事がひとつ終わって、みんなが寝てる間に自分だけでぜんぶ描く、ということを何回もしてました。一人ぐらいは私に気づいて「先生、手伝いますよ」って手伝ってくれたりもしたんだけど、あの頃はまだ体力があったとつくづく思います。
しかもあのときは、時間がなさすぎてネームをすっ飛ばして作業していた。いきなり原稿に描きはじめるわけです。でもなぜか、そんな話に限って人気があるんです、不思議なことに!
『ワンダービット』の連載は、ちゃんとやってない回に限って評判がいい。それは「限界を超えた集中力」ってやるだったのではないかと思うんですよ。確実に言える、あのとき「スーパー島本和彦」が降臨していたと。
『ログイン』!
『ワンダービット』!
『ログイン』の熱心な読者だった僕には、本当に懐かしい話でした。
ほんと、タイムリミットギリギリになって、なんとか帳尻を合わせたようなときのほうが「勢い」とか「切実さ」みたいなものがあって、評判がよかったり、うまくいったりすることってあるんですよね。
でも、調子にのって、わざと粗くやってみると単に雑なものができあがってしまうし、締切ギリギリになれば不思議な力が出るのではないか、と高をくくっていると、本当に締切に間に合わなくなってしまうこともある。
僕の場合、夏休みの宿題は、ギリギリになって焦って終わらせるタイプだったのですが、正直なところ、最後は開き直って「どうせ全部できないんだからもう夏休みの最後を満喫しちゃおう!」とあきらめて遊んでしまうことも多々ありました。
きちんとやる人は、夏休みの最初のほうに計画的に終わらせていたみたいなのに。
この『ワンダービット』とその少し前に連載していた『逆境ナイン』は一番締切までの時間が短かった連載作品で、瞬時に片付けたかった。で、瞬時に片付けたいから、頭がフル回転する。
『逆境ナイン』の場合は、大きい絵を雑に描いて成り立たせるっていう目標がありました。『炎の転校生』をやっていた『少年サンデー』の発行部数と、『逆境ナイン』が載っていた『少年キャプテン』の発行部数には10倍か30倍ぐらいの差があるから、「これだけでは食っていけないので、これにふんだんに時間を使ってちゃいけない」と心に言い聞かせていた。ただ、作画に時間を使わないぶん、内容を濃くしなければいけない。内容を面白くしようと思ったんですよね。だから頭をフル回転させて、締切が近くなければ怖くてできないことをたくさんやってきました。一ページ使って「逆境とは」「廃部だ」って書いたり。ああいうのを……小学館ではできないです。怖くって。
それが今は私の作風だって思われているのも感慨深いです。「絵」ではなく「魂」をぶつけた漫画だったからかもしれません。
この新書には、『逆境ナイン』の1ページを使っての大きなコマ2つ、「逆境とは⁉」「廃部だっ‼」が掲載されているのですが、まさに島本和彦作品!と嬉しくなってしまいます。
でも、これは「発行部数が少ない雑誌だからこそできた冒険」であり、「時間をかけられないから生まれた表現」とも言えそうです。
ほんと、創作というのは、何が幸いするのか、周りがどう評価するのかって「やってみないとわからない」ですよね。
この本のなかでは、『逆境ナイン』が実写映画化されたときに「男球」を投げるシーンで、島本さんが「これは原作とは違う」と感じたことも書かれています。
僕も映画を観たのですが、「なんかちょっと違う」どころじゃなくて、世界線が違う、というレベルでした。
島本さんは、「これは別物なのだ」「原作者の言うことをきいていたら、作品としてまとまらないんだ」と自分に言い聞かせていたそうです。ただ、原作者としてのモヤモヤした感触は、ずっと残っているのだなあ、と。
原作通りだったら映画が大ヒットしたのか、と問われたら、そんなこともなかったかもしれませんが。
他人は勝手に誰かと私を比べて、「島本は庵野秀明に全然勝てねえじゃねえか」とか「いつも負けてるよな」とか言います。そういうヤジに対しては、徹底的に面白がりましょう。負けたくないし、負けてばっかりなんて思われたくないですけど、その「自分が負けてる」構図そのものは悪くない。むしろ、自分が勝ったら戸惑ってしまいます。
藤田和日郎がよく言います。「島本さんって勝つの苦手ですよね」って。たしかに勝つ場面を想像すると、どういう態度をとったら正解なのかわからないかもしれない。負けてるときの自分のほうが、数倍面白いんですよ。
私はいろいろな漫画家たちに「島本は負けた」と言われている今の自分の立ち位置が楽しいです。挑戦者でいられますから。挑戦者にも、なかなかなれないものです。挑戦者の位置に立つのは、結構難しい。
今の若い人たちは、勝ちたいという「欲」を他人に悟られること自体をかっこ悪いと感じるかもしれない。嫉妬心のような嫌なところは隠して、知らないふりをしてるかもしれない。でも、もっと自分の心に素直になっていいんですよ! まあ、私はもう異性にモテなくていい立場だから安心してこんなことを言えますが、若い人は勝たなきゃモテないと考えるでしょうから、必死に隠すと思います。それはしょうがない。「俺、そもそもその土俵に上がってないし」みたいにしちゃうでしょ。だって、勝負して負けたら嫌ですからね。
でも、私はいまだにリングに上がってしまうんです。気がついたら上がっているし、リングの上に相手を引きずり出してしまう。
もちろん恥ずかしさもある。負けたら嫌だという気持ちもわかる。だけど、まずはリングに立とうと言いたいです。リングに立つことそのものが素晴らしい。勝負の場に立て。挑戦者であることが素晴らしいんです。
「負けているときの自分のほうが数倍面白い」
島本さんは、「負け」や「逆境」に陥っている自分自身を楽しもうとしているし、それが作品を生み出すエネルギーにもなっているのです。
人は勝つよりも負けることのほうがずっと多いし、ずっと勝ち続けることも不可能です。
いや、こんなことを書いている僕だって、人にバカにされるのも、競馬で外れるのもやっぱりイヤなんですけどね。
イヤなんですけど、「負けている自分を客観的にみて面白がる気持ち」って、生きる苦しさをけっこう和らげてくれる気はします。
島本先生の場合は、「負けることをマンガのネタに昇華できる」という面があるとしても。
全編「島本和彦ワールド」でぶつかってくる、ファンにはたまらない新書だと思います。
ただ、これを読んでも、たぶん、締切を守れるようにはならないんじゃないかな。
締切は「闘う」ものではなくて、「どうやって攻略するかを楽しむ」ものなのでしょう。
島本さんの実生活での話を読んで、仕事や会議に遅刻するのはやめよう、と決意はしたんですけど。










