ひとまず、信じない - 情報氾濫時代の生き方 (中公新書ラクレ)
- 作者: 押井守
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2017/11/08
- メディア: 新書
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ひとまず、信じない 情報氾濫時代の生き方 (中公新書ラクレ)
- 作者: 押井守
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2017/12/08
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内容(「BOOK」データベースより)
世界が認める巨匠がおくる7つの幸福論。ネットが隆盛し、フェイクニュースが世界を覆う時代、何が虚構で何が真実か、その境界線は曖昧である。こういう時代だからこそ、与えられた情報をひとまず信じずに、自らの頭で考えることの重要さを著者は説く。幸せになるために成すべきこと、社会の中でポジションを得て生き抜く方法、現代日本が抱える問題についても論じた、押井哲学の集大成とも言える一冊。
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』『イノセンス』などで知られる映画監督・押井守さんのネット時代=情報氾濫時代の生き方。
押井監督は、この本の冒頭で、こんな話をされています。
真実と虚構のあわいに興味を持ち続けてきた僕の、インターネットに対する意見は本書の中で十分に述べるつもりである。個人が義体と電脳によって強化された近未来を描いた僕の作品で、人間の意識は広大なネットにつながっている。そんな世界を20年も前に描いたが、スマートフォンの登場で、本当に人間が常にネットにつながる世界が実現してしまった。
だが、僕が描いた世界はさらにその先の話で、そこでは人間の意識が広大なネットの海に融合するところまで行ってしまう。もはや機械の体すら必要ではなくなり、意識だけが、世界を駆け巡る。
そのとき、人間はこの世界を、宇宙をどのように認知し、どのような世界観を持つのだろうか。あるいはそのとき、宇宙は人間をどのように認識するのか。物理法則から解き放たれた人間の存在を神は許すのか。これこそが僕が映画で描く、人間の未来像であり、シミュレーションだった。
いつでもネットにつながっているスマートフォンをみんなが持ち歩いているというのは、ある意味「義体化」に近いですよね。
ただ、そうやって、いつでもネットにアクセスできる状態になってみると、さまざまなデマに踊らされたり、手に持っているスマートフォンで検索するという、たったひと手間なのにめんどくさがったり、必要な情報にうまくアクセスすることの難しさをあらためて思い知らされたりしている、というのが現代でもあります。
どんなにハードウェアが進化しても、使う側の人間は、そんなに急速に変われるわけもなく。
押井さんは、いまの時代に「幸せ」になるには、どうすれば良いのか、という問いに対して、答えようとしておられます。
最も重要なことを見極める。このことが人生において最も大事なことである。そのためには、人生をいろいろな要素に分けて、今の自分にとって、何が一番大事なのかの順位付けを常に心がけなければならない。これができていない人が多すぎる。
結論から言えば、幸福とは、いや幸福だけでなく、人生において必要なことは、優先順位をつけることに、ほかならない。
優先順位を考える前にやるべきことは、幸福なら幸福で、幸福になるための女王件をいくつかの要素に分類することだ。ただし、分類作業は誰にでもできる。
(中略)
問題は、そうやっていくつかに分けた要素に、順位をつけるということなのだ。
映画の世界で考えてみよう。「良い映画を作るための条件とは?」と聞かれて、あなたは何と答えるだろう。
「良い原作があって、良い脚本があって、良い監督がいて、良いキャスティングができて、良いスタッフがいて、良い宣伝ができたら、良い映画ができます」
もしもあなたが映画監督で、スタッフに「良い映画を撮るための条件は?」と聞いて、そんな答えが返ってきたら、ためらわずにスタッフをクビにした方がよい。そんなことは、どんな馬鹿でも言える。なぜならそれは、当たり前のことだからだ。
大事なのは、そのいくつかの要素のうち、自分は何が重要だと思うのか。どれを優先すべきと思っているのか、ということにほかならない。
そして、そこには優先順位をつけるための根拠が必要となる。その証拠に、その人ならではの価値観が現れるのである。
押井さんは「優秀な人間として世の中を牽引するような存在になれたらすばらしいことだが、現実問題として、みんながそうなれるわけではない」と述べています。
では、多数派である「精鋭になれない人」は、どうすれば良いのか。
だが、もしも残念ながらそれに選ばれなかったとしても、それはそれで構わないではないか。部隊全員がレンジャー部隊である軍などあるはずがない。だから、自分がどこの席に収まるかは大した問題ではない。大事なのは、その社会に所属し続けることだ。
精鋭の3割に入ることができなかったという事実は、あなたのプライドを傷つけるかもしれない。だが、先ほども指摘したとおり、すべての組織の中には「精鋭ではない」というポジションが用意されている。精鋭になれないことを嘆いて、まだ見ぬ楽園を目指すくらいなら、目の前にある社会を楽園に変えるほうがよほど楽だ。そこに気づかなければ、どこに行ってポジションを得ることはできない。
怠け者にもちゃんと席はある。僕が大学時代に世話になった先生は「怠け者には二種類ある」と言っていた。すべてを先延ばしにするやつと、すぐに仕事をすませてしまうやつだというのだ。
後者は怠け者ではないようにも感じるが、先生の定義によれば、それは怠け者の一種で、早く楽になりたいから、急いで仕事を終わらせてしまうタイプなのだという。その伝で行けば、夏休みの宿題を8月31日に取り掛かるのも怠け者だが、7月のうちに終わらせてしまうのも怠け者ということになる。
人間の違いなんて、そんなものだ。怠け者でも大いに結構。むしろ、怠け者の方が仕事をうまく回してしまうことがあるから、人間社会は不思議なのである。
僕はこれを読んで、以前書いたことがある、友人の話を思い出しました。
fujipon.hatenadiary.com
ネガティブを突き詰めると、傍からみれば、ポジティブに行動しているようにみえることがあるんですよね。
自分の居場所をつくるためには、「うまくやる」ことよりも、「ここが自分の居場所なのだと、覚悟を決める」ことのほうが大事なのかもしれません。
たしかに、みんなが精鋭でいられる組織なんて存在しない。
優秀な生徒が集まってきたはずの進学校でも、信じられないくらい成績を落としてしまう生徒が出てきます。
人間の集団というのは、そういう性質があるのでしょう。
普通の隊員がいなければ、レンジャー部隊の相対的な優秀さも目立たないのだし。
押井監督の『シン・ゴジラ』に対する評価に関しては、映画を監督のものだと考えすぎているのではないか、とも思うんですよ。
だからこそ、押井監督は、押井守らしい映画を撮り続けられているのだろうけど。
マイケル・ベイ監督を延々と「商業主義に転んだ人」としてチクチク批判しつづけているのも、「みたい人がみているんだから、別に良いんじゃない?」と僕は感じました。
僕にとっては、最近のリドリー・スコット作品も、「何これ?」みたいなものが多いのだよなあ。
とはいえ、押井監督の「ちゃんと物事に白黒つけていくという姿勢」は、いつも「みんなグレーで、白に近いか、黒寄りか、それだけだ」なんて言っている優柔不断な僕としては、見習うべきところが多いと感じます。
結局、八方美人では、何もできないのかな、とも思うし。
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