琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

スカイ・クロラ The Sky Crawlers ☆☆☆☆☆


『スカイ・クロラ』公式サイト

あらすじ: 永遠に生きることを宿命づけられた“キルドレ”と呼ばれる子どもたちが暮らす、もう一つの現代で、彼らは“ショーとしての戦争”で戦闘機に乗って戦っていた。戦うことで生を実感する日々を送る中、元エースパイロットの女性指揮官・草薙水素菊地凛子)と基地に赴任してきたエースパイロット・函南優一(加瀬亮)が出会う。(シネマトゥデイ

 8月17日(日曜日)の19時からの回を鑑賞。
 250人収容のシアターで、お客さんの入りは20〜30人。
 まだ3回目の週末だというのに、僕が行った映画館では朝と19時からの2回だけの上映になっており、興行的にはかなり厳しそうです。
 あれだけ押井監督が頑張ってプロモーションしてたのに。

 嫁と一緒に(というか、僕が無理矢理付き合せて)観に行ったのですが、観終えての嫁の第一声。
 「これは……お客さん入らないよね……」
 ちなみに彼女は『攻殻機動隊』も観ていますし、『イノセンス』は「それなりにわかった」と言っていましたから、けっして「押井耐性」が低いわけではないはずなのですが。
 「ちょっと難しすぎるよ、これ。前で観ていた家族連れ、終わったあと固まってたよ」


以下はネタバレ感想なので、未見の方は読まないほうがいいです。
ちなみに、☆5つつけましたが、「誰にでも自信を持ってオススメできる」というより、「他人には薦めづらいけど、僕は大好き!」という☆☆☆☆☆。




この後は本当にネタバレ全開ですよ。




 僕はこの映画の前半を観ながら、なんだか『フライボーイズ』みたいだなあ、と思いつつ、ときどきウトウトしていたのですけど、後半はけっこう楽しめました。
 ただ、僕の観かたは、「ストーリーを楽しむ」というよりは、「この物語を、押井守がどんなふうにまとめるのか?」という興味が先に立ってしまうんですよね。
 最後は、「函南、まさかお前『ティーチャー』を倒して還ってくるんじゃないだろうな、もしそういうエンディングだったら、これは『押井映画にとっての革命』だけど、僕は失望するぞ」と息を呑んで画面を見守ってしまいました。
透き通った青空を『ガンダム』だったら、ここで突然子供たちが「アムロ、右!」って言ってコアファイターが脱出してくるシーンなんだけどなあ、とジリジリしながら観ていたのですが、最後はやっぱり犬かよ!と。

 いつも通る道だからって 景色は同じじゃない それだけではいけないのか

 最後の出撃の際、函南のこんなモノローグが流れます。
 ネットでのさまざまな感想を読んでいると、この言葉がこの作品で「押井守が語りたかったこと」であり、「若者よ、退屈に感じられる日常にも、ときには楽しく感じられることだってあるし、そういう瞬間があるのなら、『同じことの繰り返し』でも、いいじゃないか」と感じた人も多かったようです。
 でも、僕はこの言葉のあと、函南が「ティーチャー」に立ち向かっていったことに、押井監督の「本当のメッセージ」がこめられていると感じたのです。

 それでいいと思えるやつは、そうやって生きていいよ。
 でも、撃墜されることが目に見えていたとしても、お前はその「景色」を変えてみたいと思わないのか?
 お前ひとりの力で世界を変えるのは、たぶん、ムリだろう。お前は「犬死に」する。
 それでも、それぞれの人間が捨て石になることを厭わずに壁を叩き続ければ、いつか、誰かの時代にその壁は崩れるかもしれない。
 それを信じることが「希望」じゃないのか?

 いや、これは僕の「考えすぎ」のような気もするんですよ。押井さんは、近著『凡人として生きるということ』で「現代人は、凡人としてでも趣味などを通じて楽しく生きられることの喜びをもっと実感するべきだ」というようなことを書かれていました。何度も生まれ変わる「キルドレ」たちだって、その瞬間瞬間をセックスしたり酒飲んだりして楽しんで、ずっと「子供のまま」でもいいんだよ、自己の存在に悩んで「ティーチャー」に特攻する必要なんてないんだよ、もっとラクに生きろよ、と考えていたのかもしれません。
 でも、僕は最後に「あなたを待っていたわ」と、「前世は函南優一だったキルドレ」を前にして微笑む草薙を観て、彼女の「同じところをぐるぐる回りながらでも、少しずつ何かを変えていくのだという覚悟」を感じたのです。
 なんというか、僕はこの映画って、すごく『新ヱヴァンゲリヲン』っぽく感じたし、仏教的な「解脱」(輪廻転生からの解放)を求めてもがいている人たちの姿にも見えました。

 「こんな日常の繰り返しになんて、もう疲れた」と思っている人は多いはずです。大人はそれなりに「諦めがついてしまっていて」自分の世界の小さな愉しみに生きている喜びを見出しているけれど、「将来に希望が持てない」若者たちは、まさに「生きることも死ぬこともできない、自分の存在を実感できない、キルドレみたいなもの」だと押井監督は考えているのではないかと。

 ただ、これも『崖の上のポニョ』での「宮崎駿監督が描いた、理想の子供像」と同じで、押井監督が言うところの「まだ人生の1周目の若者たち」には、あまりうまく伝わらないのだろうな、と僕は思います。彼らにとっては、「じゃあ、お前は俺たちに『特攻』しろってことかよ、大人っていつもそうやって無知な若者に犠牲になることを強要するんだよな」と受け取られてしまう危険性が高いのではないかなあ。
 
 そもそも、なんの予備知識もなく、「ドラマチックな戦争映画」として、この『スカイ・クロラ』を観ようとした人たちは、たぶん、「肩透かし」を食らったはずです。「なんだ、このひたすら暗くて意味不明の『救いようがない映画』は」、って。
 プロモーションでの、この物語世界の情報の出しかたにも中途半端なところがあって、この映画の予告編では、

永遠に生きることを宿命づけられた“キルドレ”と呼ばれる子どもたちが暮らす、もう一つの現代で、彼らは“ショーとしての戦争”で戦闘機に乗って戦っていた。

ということが提示されているのですが、作品のなかでは、「”キルドレ”って、何?」と「彼らはなぜ、何と戦っているの?」というのは、観客に対してずっと隠された情報であり、クライマックスでようやく、ある程度明らかにされるのです(というか、僕は予告編も観たし、いろんな媒体で予備知識を仕入れていたからあれだけの情報でわかったけど、まったく予備知識なしだと、最後まで観終えても「”キルドレ”が何なのか、わけわかんない」かもしれない)。
つまり、「予備知識のない人にとっては、なんかわからん言葉が不親切に飛び交ったまま1時間半くらい耐えなければならない」し、「予告編を観た人にとっては、トリックが半分明かされた推理小説みたいになっている」のですよねこの映画。

まあ、僕としては、「ある程度予備知識を仕入れてから観る」ことをオススメします。
「説明的なセリフを使いたくない」のはよくわかるんだけど、それであんなに「わかりやすくなった押井ワールド!」的な宣伝をするのはどうなんだろう?
そもそもこれ、押井さんが、「人生の2周目に入った人間から、いま1周目を走っている人間たちへの『走りぬいたら、こんなにいいことがあるぞ』というメッセージ」というような話をされていたのをNHKで読んだのですけど、これを実感できるのは、自分が「2周目」に入ることができた人だけなのでは…… 

 それでも、「エンターテインメント」としてはどうかと思いつつも、僕はこの映画、本当に「好き」なんです。これほど、観たあとに「語りたくなる映画」ってそんなにないです。
 空戦のアニメは唖然とするほど美しいし、音響効果には驚かされます。川井憲次さんの音楽の「せつなさ」もぎゅんぎゅんくるし。
 そして、この映画、ぜひ、「映画館で観るべき」だと思うんですよ。DVDでは、この「世界」は伝わらないだろうから。
 まあ、前半はかなりかったるい感じがしますし、僕も何度か居眠りしかけてしまったんですけどね。
 公式サイトに庵野監督が「友人の感想」のひとつとして、

 「押井作品で、初めて最後まで寝なかった」

 と書かれているのですが、この映画、「ちょうど眠くなってくるタイミングで、大音響の空戦シーンが始まってたたき起こされる」ようになっているように思われます。

 「観たあとにブログに感想を書きたくなるような映画」が好きな方には、ぜひオススメです。
 あと、もうみんな観ているんでしょうけど、押井監督のファンの皆様にも。


 そういえば、この映画って、ものすごく『銀河鉄道999』っぽいなあ。
 草薙水素って、ツンデレで色情狂のメーテルだったのか……


凡人として生きるということ (幻冬舎新書)

凡人として生きるということ (幻冬舎新書)

参考リンク:押井守著『凡人として生きるということ』の感想 
 

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