琥珀色の戯言

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【読書感想】「東北のハワイ」は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
“東北のハワイ”をコンセプトにする福島県いわき市スパリゾートハワイアンズ」は、年間利用客一五〇万人の人気施設として順調な経営を続けていたが、東日本大震災の影響で二〇一一年度の利用客は三七万人に激減。しかし、震災翌年度に一四〇万人に回復し、二〇一三年度は一五〇万人を超えた。東北の「復興」が途上の中、なぜ短期間でV字回復を達成したのか?緻密な取材でその秘密を解き明かすとともに、創業時にまで遡って、逞しい企業風土の遺伝子を掘り起こす。


 「スパリゾートハワイアンズ」のこと、僕は映画『フラガール』を観るまで知りませんでした。
 関東地方に住んでいる人には、「えっ、知らないの?」って思われそうなのですが、あの映画に対しても、観るまでは「今だったら、本物のハワイに行っても、そんなに費用は変わらないんじゃない?よくずっと営業を続けられてきたものだな」という感じでした。


 バブル時代から、僕が長い間住んでいる九州はもちろん、全国各地に大規模リゾートが開発され、「(外国名)村」みたいなのが雨後の筍のように乱立したのですが、その多くは、景気の低迷や集客見込みの甘さ、施設の魅力のなさで、淘汰されていったのです。
 九州では、長崎のハウステンボスどん底から奇跡のV字回復をみせたものの、オランダ村は閉鎖され、スペースワールドも惜しまれつつ2017年末に閉園となりました。
 少子化が進み、家族や娯楽のあり方が変わってきている現在は、テーマパークにとっては、昔よりはるかに厳しい時代だと思います。
 LCC(ローコストキャリア)の普及もあり、海外旅行も安くなりましたしね(とはいえ、日本から海外に出かける人は、近年、頭打ちになっているようです)。
 

 東京から約200キロ離れた福島県いわき市。そこに、常磐興産株式会社が運営する温泉テーマパーク「スパリゾートハワイアンズ」(以下、ハワイアンズ)がある。
 前身は、世の中にまだテーマパークという概念がなかった昭和41年(1966年)にハワイをテーマに誕生した、50代以上の人にはその名も懐かしい「常磐ハワイアンセンター」(以下、ハワイアンセンター)。以来、50年を超えた今もなお、同施設は各種の温泉や温水プールフラガール(正式名称・ハワイアンズダンシングチーム)のショーなどが楽しめる人気のリゾート施設として、毎年140万人ものお客を集めている。


 ハワイアンセンターがオープンし、初年度から予想を上回る大成功を収めるとすぐ、全国には「○○センター」、「○○ランド」という類似の施設がいくつもできた。中にはそのものズバリ、「○○ハワイアンセンター」というものまであったという。
 しかし、それらはすべて2、3年のうちに経営が行き詰まり、まもなく一つ残らず消えていった。


 そんななかで、なぜ、「スパリゾートハワイアンズ」は、生き残ることができたのか?
 著者はその理由を探るために、ハワイアンズの大勢の関係者に話を聞いています。


 2011年の東日本大震災で、ハワイアンズも7ヵ月間の休業を余儀無くされ、入場者数も激減しました。そして、再開後も原発事故の風評被害を受けながらも、2012年には震災前をこえる入場者数140万人、その翌年には、150万人と「V字回復」を実現したのです。


 東日本大震災時の社長の齋藤一彦さんは、ハワイアンズが休業している間、フラガールの全国キャラバンを行うことを取締役会で提案しました。

 斎藤の提案は、役員たちには受け入れられなかった。それは当然だろう。
 ハワイアンズはしばらくの間、休業しなければならない。少なくとも2〜3ヵ月の間、入場料や館内での飲食、物販などでの収入がまったくなくなるのである。そうした厳しい状況にあって、一円の報酬を得ることもなく、それどころか手弁当でキャラバンをやろうというのだから尋常ではない。何とも無茶な話だ。
 普通の経営者であれば、そんなことは考えもしないだろうし、役員であれば、トップがそんなことをいい出せば、反対するのが当たり前だ。
 しかし、いぶかる役員たちを前にして、斎藤は、きっぱりとこういい切った。
「たしかに、これから長期休業しなければならない。会社として厳しい状況になることは、もちろん私にもよく分かっている。しかし、その間の人件費は、ムダに過ごせばただのムダ金に終わってしまうが、将来のために使うのであればムダ金にはならない。これは投資だ」
 この言葉に、役員たちは黙り込んでしまったという。
 斎藤のいうことは理解できる。なるほどそのとおりかもしれない。ただし、今回に限っていえば状況が状況だけに、あまりにもリスクが大きすぎると思ったのだ。
 結局、その日の会議の席上では、実施の可否に関して結論が出ることはなかった。それでも、斎藤はその会議からわずか9日後の3月28日、朝日新聞の取材を受けると、役員たちの退路を断つため、あえてフライングを承知の上で、
フラガールの全国キャラバンをやります。われわれの故郷である福島を、そして、いわきを必ず復興させます」
 と力強く宣言してしまった。
 そして4月4日、「フラガール、復興の旗振る 45年ぶりに全国巡業復活へ」の見出しとともに、その話は大きな記事になって紙面を飾った。


 あの震災から、1か月も経たないうちに、フラガールの全国キャラバンにゴーサインが出たのです。
 このキャラバンはかなりのハードスケジュールだったそうで、ある意味「そんな状況でも休ませずに、使えるものは使うのかよ!」という感じもしなくはないんですけどね。
 しかしながら、これは確かに「投資」になったのだと思います。
 こうして、新聞で大きな記事になるだけでも宣伝になるし、このツアーのおかげで、『フラガール』のヒットの影響も薄れかけてきていたハワイアンズは、「復興の象徴」とみなされるようにもなったのです。
 東北を、福島を応援したい、福島に行って、お金を落としたい、という人たちにとっては、安全・快適な、格好の善意の矛先になった、ともいえます。
 ちなみに、この休業期間、斎藤社長は、ハワイアンズの社員たちを全国のリゾート施設で研修させています。その社員たちが得てきたものが、のちに活かされることになりました。
 

 もともと、ハワイアンズの運営会社は石炭会社であり、本州最大の炭田「常磐炭田」の中核企業だったのです。
 それが、昭和30年代になると、石炭から石油へのエネルギーの転換によって、石炭産業は急速に凋落し、多くの炭鉱がさびれていきました。
 そんな中で、常磐炭礦(常磐興産の前身)は、会社と従業員、地域の生き残りをかけて、レジャー施設の運営に乗り出したのです。
 

 常磐興産が、なぜハワイアンズを成功させることができたのか、他の地域のレジャー施設とは何が違ったのか、と思いつつ読んでいたのです。
 いわき市ハワイアンズの場合は、もともと多量の温泉が出る地域で、それまでは採炭の邪魔になるとして処理していたものを利用することができた、というのと、生き残るために後がない状態で、会社も従業員も協力しあっていったことが挙げられます。
 レジャーの多様化が進んだ高度成長期にさしかかる時期にオープンし、停滞期に映画『フラガール』で話題になるなど、タイミングのよさもあったのです。
 

 九州・佐世保で生まれ育った作家・村上龍は、かつて自らが司会を務めるテレビ東京の番組「カンブリア宮殿」のゲストに斎藤一彦を招き、インタビューを行っている。そして、村上はその最後を、こんな言葉で締めくくっている。
「炭鉱の衰退と閉山、そして、凄惨な労働争議を目撃してきた九州出身の僕にとって、映画『フラガール』は奇跡の物語としか思えないし、謎でもあった。
 常磐炭礦は日本で唯一、労使協調のもとで再生を実現させた。すなわち常磐ハワイアンセンターの成功を導き出したのだが、どうしてそんなことが可能だったのだろうか? それがずっと不思議だったのだが、今回、斎藤氏の話をうかがってやっと謎が解けた。
 多量の温泉が吹き出すために常磐炭礦の採炭にはつねに危険が伴い、労働者同士はもちろんのこと、経営者側も危機感を持ち、助け合ってきたんだ。サバイバルにとってもっとも必要なものは助け合うこと、協力し合うことだと、常磐炭礦の人たちは歴史に学んできたのだ。
 今、ハワイアンズに訪れる客は温泉に癒され、リラックスすると同時に、助け合うという肯定的な価値観に包まれるのだろうと思う」


 他にも同じような条件の地域はあったのに、ここだけが、生き残ることができたのです。
 読んでいると、正直、社員同士の連帯感や地元の人たちのつながりなど、「古い体質の企業」のようにもみえるんですよ。
 でも、それが、スパリゾートハワイアンズを訪れた人たちをホッとさせる魅力でもある。
 尖ったサービスじゃなくても、さまざまな世代の人がみんな、それなりに楽しめる場所になっている。
 そういうレジャー施設って、なかなか無いんですよね。


 なんでこんなアナクロなレジャー施設が、ずっと生き延びているのだろう?
 長年の謎が、少し解けたような気がします。
 読んでいて、僕も一度、スパリゾートハワイアンズに行ってみたくなりました。


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フラガール物語 常磐音楽舞踊学院50年史

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