無一文から億万長者となりアメリカンドリームをかなえたヨシダソース創業者ビジネス7つの法則
- 作者: 吉田潤喜
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2011/11/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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無一文から億万長者となりアメリカンドリームをかなえたヨシダソース創業者ビジネス7つの法則
- 作者: 吉田潤喜
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2013/01/29
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内容説明
19歳で単身アメリカにわたり、ヨシダソースを創業した吉田潤喜氏。この事業で大成功し、無一文から億万長者(年商250億円)になった著者が教える、ビジネス成功のための7つの法則。
「エネルギーの法則」「パッションの法則」「チャンスの法則」「アトラクションの法則」「成長の法則」「恩返しの法則」「成功の法則」という7つの法則について、自身の経験からTIPSを語る。
レバレッジ、効率、合理化などで成功できた時代が終わり、愚直に正直に情熱と誠実さをもって努力してこそ成功できる時代を生きるわれわれにとって、
吉田氏の提言は胸にひびくとともに、アメリカンドリームをかなえた著者ならではのダイナミックなビジネススタイルには、ならうところが多くある。
上の「内容説明」には、「著者ならではのダイナミックなビジネススタイルには、ならうところが多くある」と書かれていますが、実際にこの本を読んでみての実感は「うーむ、この人のマネは、少なくとも僕にはできないなあ……」でした。
そう簡単にマネできるようなら、みんな億万長者になってるって!
アメリカのソース王。
人は僕のことをこう呼ぶ。
あるいは、イチローの次に有名な日本人、とも。
気がつけば僕が作った「ヨシダソース」は、現在、全米だけでなく世界14ヵ国で販売されており、ヨシダグループも今では全社、約250億円の企業グループに成長した。
40年以上暮らしてきたこの国には、たしかにアメリカン・ドリームがある。しかし僕は成功を追い求めてきたつもりはない。日々がむしゃらに生きていたらこうなっていた、というのが正直なところだ。
京都の「ごんたくれ」。アメリカにくる前は、こう呼ばれていた。「ごんたくれ」とは京都弁で、「誰も手に負えない、どうしようもないワル」のこと。それまでの人生は、はっきり言ってろくなもんじゃなかった。
1949年に在日コリアン一世の両親のもと、7人兄弟の末っ子として生まれた吉田さんは、4歳のときに事故で右目の視力を失ってしまいます。
その後、「バカにされるたびに、悔しくてケンカばかりするようになった」と吉田さんは、「ごんたくれ」と呼ばれる学生時代を過ごし、大学受験に失敗したのを機に、憧れのアメリカに渡ることになります。
吉田さんは、オレゴン州で空手道場を経営して生計を立てていたのですが、不況で生徒数が激減してしまいます。
そんな不況の最中、忘れもしない1981年のクリスマスのこと。
例年のように、生徒たちからたくさんのクリスマスプレゼントをもらった僕は、恥ずかしいことにお返しをする余裕さえなかった。
困り果てて頭を抱えていたときに、ふと思いついたのが、母の作るバーベキューソースだった。
日本を離れる前、母は焼肉屋をやっていた。そこで手作りしていたソース、つまりは焼肉のタレの味を懐かしさとともに思い出したのだ。
バーベキューソースは多々あれど、醤油ベースはアメリカでは珍しかった。しかもあの甘辛い味つけは、アメリカ人にもきっとウケるに違いない!
早速、母に電話をしてレシピを聞き出し、準備に取りかかった。
こうして「生徒たちへのお返しのために」作ったバーベキューソースが大好評で、「お金を払うから、また欲しい」と言われたことがきっかけで、「ヨシダソース」は生まれたのです。
ほんと、人間何が幸いするか、わからないですよね。
もちろん、ヨシダソースも順風満帆に売上を伸ばしていったわけではなく、何度も危機があったようです。
しかしながら、その都度、吉田さんを助けてくれる人があらわれ、会社は成長していきました。
この本を読んでいると、吉田さんのバイタリティに圧倒されるのと同時に、「ビジネス」の世界も、突き詰めていけば「人間関係」なんだな、と考えさせられます。
僕の感覚では、吉田さんは「他人との距離が近い人」なのですが、そうやって、人の懐に入り込んでいくことを恐れなかったからこそ、現在の成功があるのです。
そして、もうひとつ感じたのが、吉田さんの「しぶとさ」「あきらめの悪さ」なんですよね。
ヨシダソースが軌道に乗ってきたとき、バイヤーから、「新しいソースを作ってくれ」というリクエストがあったそうです。
そこで、吉田さんはパイナップルを使った「チャイニーズ・スイートサワーソース」を作りました。
これは自信作だったそうですが、売れ行き的には大失敗。
冷凍庫には、材料のパイナップルが大量に余ってしまいました。
「ジュンキ、このパイナップルの在庫を一掃する方法があるなら、何でもいいからやってくれないか?」
バイヤーの困惑した申し出に、僕はまた10秒考えて即答した。
「それなら今度は、ハワイアン・バーベキューソースにしよか?」
当時からオレゴンやワシントンの人たちは、雨の多い冬になるとハワイへ行く習慣があり、ハワイに対するイメージは文句なしによかった。
「それで、中身は一体何にするんだ?」
「中身は一緒や」
バイヤーは最初、ジョークかと思ったらしいが、僕はあくまでも真剣だった。原材料は基本的にチャイニーズソースと一緒だが、トマトの分量を多くして赤いソースに仕上げる。そして、ハワイらしいトロピカルなラベルに変えれば、一丁上がり。
結果、ハワイアン・バーベキューソースは、バカ売れした。それこそ、ジョークかというくらいに。バイヤーは言った。
「ハワイでも、このソースは人気なのか?」
「そんなもん、あるかどうかも知らんわ!」
僕が言いたいのは、失敗したからといって、発想をがらりと切り替えてしまうのは、早計だということだ。
ブログとかを書いていると、たしかに、こういうことってあるんですよね。
以前書いて、まったく読んでもらえなかったものが、ちょっとタイミングをずらして、もう一度同じようなことを書くと、大きな反響がある。
もちろん、「やっぱりダメ」ってことも少なくないのですが、うまくいかなかったからといって、「全部が悪い」というわけじゃなくて、時期やちょっとした工夫で、一気にブレイクすることがあるのです。
こんなエピソードを読むと、「他人の反応とか、成功と失敗の境目なんて、そんなもんなんだよなあ」と考えずにはいられません。
こんなにいいかげんで良いのか?と思うくらいが、案外「ちょうどいい」のかもしれません。
精神的にも、ね。
僕はこの本を読みながら「こういう生き方は、自分にはできないし、多分、僕は吉田さんからは好かれないだろうな」って、考えていました。
でも、だからこそ、「こういう人の考え方」を本から学ぶっていうのは、けっこう大事なことのようにも思われるのです。
「ハワイアン・バーベキューソース」の話みたいに、参考にできるところだって、たくさんあるのだから。