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【読書感想】忘れじの外国人レスラー伝 ☆☆☆☆

忘れじの外国人レスラー伝 (集英社新書)

忘れじの外国人レスラー伝 (集英社新書)


Kindle版もあります。

カール・ゴッチザ・デストロイヤーアンドレ・ザ・ジャイアントビル・ロビンソン、ダイナマイト・キッド、テリー・ゴーディ、スティーブ・ウィリアムス、バンバン・ビガロ、ビッグバン・ベイダーロード・ウォリアー・ホーク――。
昭和から平成の前半にかけて活躍し、今はもう永遠にリング上での姿を見ることが叶わない伝説の外国人レスラー10人。
本書は今だから明かせるオフ・ザ・リングでの取材秘話を交え、彼らの黄金時代はもちろんのこと、知られざる晩年、最期までの「光と影」を綴る。

◆目次◆
第1章 “神様”カール・ゴッチ
第2章 “白覆面の魔王”ザ・デストロイヤー
第3章 “大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアント
第4章 “人間風車ビル・ロビンソン
第5章 “爆弾小僧”ダイナマイト・キッド
第6章 “人間魚雷”テリー・ゴーディ
第7章 “殺人医師”スティーブ・ウィリアムス
第8章 “入れ墨モンスター”バンバン・ビガロ
第9章 “皇帝戦士”ビッグバン・ベイダー
第10章 “暴走戦士”ロード・ウォリアー・ホーク


 こういう「懐かしいプロレスラーのことを書いた本」を見つけると、つい、手にとってしまうのです。この本に出てくる10人は、まさに「日本のプロレス界でのレジェンド外国人レスラーたち」なのですが、この本が出た2020年11月の時点で、彼らは全員故人になっているのです。
 カール・ゴッチやデストロイヤーは、活躍した時期を考えると、年齢的にも天寿を全うした、という気がするのですが、あれほど強靭な肉体を誇っていたプロレスラーたちなのに、多くが若くして命を落としているのです。
 この本では、交流があった著者が、彼らのリング上での実績とともに、プライベートな付き合いで見せてくれた表情や、その晩年や「死にざま」を紹介しています。
 山田風太郎さんの『人間臨終図鑑』という作品があるのですが、そのプロレスラー版みたいな本なんですよ。

 ザ・デストロイヤーの項より。

 リングを降りた(引退した)デストロイヤーは、それからさらに二十数年間、毎年のように夏になると日本に戻ってきて震災被災地、養護施設、病院、スポーツ関連団体などを訪問。東京・港区の麻布十番納涼まつりで”デストロイヤーの露店”を出店し、ミニチュアの白覆面、Tシャツや人形、サイン入り色紙などのデストロイヤー・グッズを並べ、いつも流暢な日本語でお客さん一人ひとりと楽しそうにおしゃべりをしていた。
 2017年(平成29年)11月、日本とアメリカのスポーツ文化交流、その発展・振興に寄与した功績を認められ、プロレスラーとしては初めて旭日双交光章(叙勲)を受賞した。往年の”白覆面の魔王”のイメージのままマスクをかぶってセレモニーに登場した87歳のデストロイヤーの姿が、時空を超えて21世紀のテレビとインターネットの動画画面に映し出された。


 デストロイヤーは、晩年まで日本を愛し続け、こんな活動をしていて、勲章までもらっていたんですね。
 リングの上で輝いていた彼らのこと、プロレスラーとしての豪快な伝説は知っていても、リングを去ったあと、どうなったのかは気に留めることもなく、ある日突然、ネットニュースで訃報をみる、というのが、僕にとっては「よくあるパターン」なのです。
 この本を読んでいると、人気があるときは大金を稼ぎ、みんなにチヤホヤされていたはずなのに、晩年は稼いだはずのお金も尽き、プロレスラー時代の無理がたたったり、ステロイドの影響があったりして、孤独な生活をおくっていたり、突然死してしまったりするレスラーが多いことを思い知らされます。


 アンドレ・ザ・ジャイアントの項より。

 新日本プロレス時代のアンドレの東京での宿泊先は新宿の京王プラザホテルで、同ホテル1階のレストラン『樹林』のいちばん奥のブースにはアンドレと仲間の外国人選手グループがよく陣どっていて、出待ちの少年ファンの集団が外から店のなかをのぞくと、アンドレの大きな頭だけが見えたというエピソードがある。
 京王プラザホテルがアンドレの泊まる部屋のバスルーム(とトイレ)を巨大な”アンドレ仕様”にリフォームした、ホテルのカクテルラウンジでひと晩で瓶ビール150本とワイン50本を飲みほした、地方巡業のさいにパチンコ屋へ入ったらスツール席に腰かけたとたんそのスツールごとフロアが陥没した、タクシーに乗ったらドアにつかえて後部座席から出てこられなくなったなど、その大きさにまつわるほんとうかウソかわからない都市伝説はたくさんある。


 こういう『プロレス・スーパースター列伝』的なエピソード、昭和の時代に活躍したプロレスラーには、たくさんあったんですよね。僕はそういう話が大好きな子どもだったのです。アンドレが新幹線で移動したときに、東京ー新大阪間で、新幹線に積んであったビールを全部呑み尽くしてしまった、なんていうのも聞いたことがあります(飛行機だったかな……)。

 一昔前のプロレスラーって、その生きざまも、どこまで本当はわからないような「プロレス的」なところがあって、豪快さと繊細さが同居してもいたんですよね。
「悪役レスラーのほうが、本当はいいひとのことが多い」というのは、定説のように語られているのですが、それは事実だったのだろうか……


 この本のなかでとくに印象的だったのは、日本のリングで「レジェンド」になった彼らが、日本のレスラーや観客について語っていたところでした。


 スティーブ・ウィリアムスの項より。

 プロレスラーとしての27年間の現役生活のベストマッチは、日本武道館での小橋健太(現・建太)との47分間のシングルマッチだ(1994年9月3日)。あの試合のビデオはずっと大切にとってあって、息子にも何度も観せた。小橋をデンジャラス・バックドロップで投げた瞬間の感覚ははっきりと記憶している。
「ミサワ(三沢光晴)はグレート。カワダ(川田利明)はタフガイ。でも、いちばん好きなレスラーはコバシ。すばらしいハートの持ち主だ。アスリートとしても人間としても心からリスペクトしている」
 小橋が腎臓がんになったと聞いたときは、あれだけ大きなハートを持った人物が病気なんかに負けるはずがないから、それほどショックはなかった。おし、引退試合のようなことができるのであれば、もういちどだけ小橋と闘いたい。でも、三沢がリングの上で命を落とし、最後に受けた技がバックドロップだったと知ったときは大きな衝撃を受けた。


 ビッグバン・ベイダーの項より。

 (ミサワは)エース・クォーターバックNFLクォーターバックのような存在。(中略)最後には必ず勝つ男。頭を使って闘うレスラー。(中略)日本のプロレス史のなかでまちがいなくベストレスラーだろう。最大級の尊敬に値するレスラー。(中略)レスリング・ビジネスの世界では、このトラスト(信用・信頼)という感覚を持つことがむずかしい。これもジャパニーズ・スタイルだろう。(『プロレス入門II』/初出『週刊プロレス』(2002年8月15日号))
 わたしはわたしなりにジャパニーズ・スタイルとはいったいどんなものなのかという定義を持っている。たとえ試合に負けたとしても、自分のなかの闘う姿勢、ハートのいちばん奥の部分を絞り出せば、日本の観客はそれを正当に評価してくれる。それがジャパニーズ・スタイルだ。(同)


 日本人に愛されたレジェンド外国人レスラーたちは、この「ハート」、限界まで闘う姿勢を持っていたのです。
 その一方で、そのハードなファイトスタイルは、彼らの寿命を縮めてしまった面があるのも否定はできません。
 それでも、長生きするよりも、太く短く生きたい、というのもまた、プロレスラーの人生なのかな、と、半世紀近く生きてきた僕は思うのです。


fujipon.hatenadiary.com

外国人レスラー最強列伝 (文春新書)

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