琥珀色の戯言

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【読書感想】カラー版 - 横山大観 - 近代と対峙した日本画の巨人 ☆☆☆☆

内容紹介
横山大観明治元年(1868)に生まれた日本画最大の巨人である。東京美術学校の第一期生として入学し、岡倉天心に師事した。大観はその後、明治日本が推し進めた近代化や、日清・日露戦争の勝利、太平洋戦争への邁進と敗北を目の当たりにするが、こうした時代のうねりは彼の画業と軌を一にしている。本書は、昭和33年(1958)に満90歳で没した大観の生涯と画業を、もう一つの日本近代史として描くものである。


 「日本画最大の巨人」
 僕にとっては、横山大観という画家は、まさにこのイメージなんですよね。
 正直、一目見て「すごい作品だ!」と圧倒されるというよりは、「あの有名な横山大観という人が書いたのだから、良い絵なのだろうな」と自分に言い聞かせる、という感じだったのです。


 「画壇の独裁者」的なイメージの横山大観とは、実際はどんな人だったのか。そして、どんな作品を描いてきたのか。
 それを知ることができるのではないかと思い、この新書を手にとってみました。

 横山大観(1868〜1958)という画家に対して、これまでの評価を振り返れば間違いなく巨匠の扱いである。同時代を生き、そして若くして亡くなった菱田春草今村紫紅速水御舟がどちらかといえば天才と呼ばれるのと対照的と言えよう。大観は、20代でデビューした後、30代は春草とともにはじめた無線描法が朦朧体との非難を浴びた。華やかな活躍は40代からである。50代になると新聞雑誌等では実際に巨匠と呼ばれるようになり、多くの話題作、力作を発表した。戦争中は彩管報国を実践し、太平洋戦争を生き抜いたが、戦後は戦争責任を問う声も上がった。大観という画家はそうした様々な評価の変遷を経験している。
 波乱万丈というにふさわしい人生だが、毀誉褒貶が相半ばする評価のなかで、生前から国民画家としての揺るぎない地位も築いていた。大観を巨匠にしたのはどうやら国民、ということになるようだ。もう少し正確を期すならば、近代日本における国民国家形成を背景に醸成された国民的一体性(ナショナル・アイデンティティ)である。大観の人気は、歿後60年を迎え、歴史上の画家となっても衰えを知らない。回顧展が開かれる度に驚異的な観客数を集める、数少ない近代画家のひとりである。その意味では巨匠大観は今日もっとも信用されている画家のひとりと言うべきかもしれない。


 著者は、冒頭で、大観の絵の魅力のひとつとして、「強い意志と信念とをもって日本人の心を表現しようとした、その気魄とでもいうべきもの」を挙げています。
 そして、「大観の絵はかならずしもすべての人々の心を虜にするわけではなく、むしろ、アンチ大観の感情を招いてきた」とも述べています。


 横山大観は、明治維新がはじまったのと同じ年に水戸藩士の家に生まれています。
 太平洋戦争の際に「戦争に協力するような絵を描いた」というのは、僕にとっても、「横山大観に対する不信感」みたいなものの源泉ではあるのですが、明治維新の時代に水戸藩士の家に生まれれば、尊王思想に感化されるのが当然ではあるんですよね。
 大観自身は、ずっと変節していないけれど、明治維新から日清・日露戦争、太平洋戦争、そして戦後と、日本の社会が変わっていくことによって、大観が描いていた「日本人の心」に対する人々の見方も変わってきた、ということなのでしょう。


 大観は、もともと技術者になるつもりで大学を受験しようとしたものの、手続き上の不備(これは大観自身のミスではなかったのですが)で受験ができず、紆余曲折の末、美術学校に進学することになりました。
 学生時代の作品について、著者はこんな評価をしています。

 大観の写生は墨を使ったもので西洋画の石膏デッサンのようなものとは違うが、ものの形や立体感を正確に描写するにいたっていない。これを指導できる作画系の教員もいなかったことから、当時の学生は一様にこのような課題に苦労している。大観もまた、西洋画的なデッサン力を欠いたまま卒業し画家となったために、人物画などにはその欠点が露呈することもあった。


 横山大観という人は、生まれながらの芸術家・画家ではなく、後天的な努力と自分の見せ方の工夫でのし上がってきた、という感じもするんですよね。

 大観の水墨画を語る際には、まずその伝統性について考慮しておく必要がある。この場合の伝統性とは、過去の偉大な作品から様々なテクニックや思想性、芸術性を研究し、時にはそうした作品の一部を引用し、あるいは換骨奪胎する近代画家としての制作態度のことをいうが、大観の水墨画については中国絵画からの影響が著しい。
 大観は東京美術学校を卒業してからしばらく、徹底して古画の模写を行っている。牧谿原作の《観音猿鶴図》を模写した作品などはとくに秀逸である。このような水墨画の大作を模写するには、技術的に非常に高度なテクニックを必要とする。そもそもテクニックに長けていたわけではない大観の助けとなったのは、並外れた記憶力である。橋本雅邦の指導法によって、大観は模写をはじめる前に絵の細部なで記憶するまで二日でも三日でも見続け、すっかり記憶した上で筆を執ったという。表面的な研究や模倣ではなく、その絵の成り立ちを理解した上で模写をするという態度は、ひるがえって自己の作品を制作する段となった時、知らず知らずに過去の名作のエッセンスが蘇ったことだろう。
 大観の水墨画に過去の作品との類似性を挙げることが難しくないのはそうした理由による。


 こうして横山大観という人の作品を時代とともに並べてみてみると、「記憶力が武器だった」というのは理解できるような気がします。
 過去の作品に画風は似ているのだけれど、時代にあったテーマを付与して、うまく「引用」するというのは、現代アート的なやり方のようにも思えるのです。
 絵を描くことが子どもの頃から好きで好きでしょうがなかった、というわけではなく、不思議な縁でいつのまにか絵の世界に入ってしまった横山大観は、絵のテクニックではなく、「アイディア」で勝負していたのではないでしょうか。
 『生々流転』や『柳蔭』『夜桜』なんて、僕のような素人がみても、良い作品だなあ、と思うのも事実なのですが。


 好き嫌いはさておき、美術に興味を持つ日本人であれば、横山大観って、避けては通れない存在だと思います。
 「横山大観とは、どんな人で、どんな作品を描いていたのか」を知りたい人にとっては、ちょうど良い入門書ではないかと。代表作もカラーで掲載されていますし。


 2018年4月13日から東京国立近代美術館で、大回顧展「生誕150年 横山大観展」が開催されてます。
www.momat.go.jp


横山大観ART BOX

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もっと知りたい 横山大観の世界 (TJMOOK)

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