- 作者: 布施英利
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2018/08/08
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 布施英利
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2018/09/20
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内容(「BOOK」データベースより)
1920年代のパリで一世を風靡し、日本人画家としてはじめて西洋で成功した藤田嗣治。裸婦画や戦争画、宗教画まで様々な作品を手がけ、今なお毀誉褒貶相半ばする画家は、しかし鮮烈な存在感を残し、その後の美術界に強い影響を及ぼした。没後50年を経た今、「鏡」「線」「色彩」という3つの視点からその作品世界を一望し、そこから“絵画”という芸術表現の見方を導く。
没後50年ということで、東京都美術館(2018年7月31日から10月8日まで)と京都国立美術館(2018年10月19日~12月16日)で大規模な回顧展が行われている藤田嗣治さん。
僕がこの画家のことをはじめて知ったのは、『開運!なんでも鑑定団』した。
藤田さんの作品ではないか、という絵が鑑定された回を観たのです。
日本人でありながらフランスの画壇で大成功をおさめたことや、太平洋戦争中には日本で戦争画を描いて、戦後、「軍部に協力した画家」として、批判を一身に浴びてしまったこと、その後、フランスに移住して、キリスト教に改宗し、「レオナール・フジタ」として没したことなど、その波乱万丈の人生と独特の髪型が、すごく印象に残っていたんですよね。
日本が藤田嗣治を見捨てたのか、藤田嗣治が日本を見限ったのか?
藤田嗣治は、1886年(明治19年)に東京に生まれました。画家を志し、東京美術学校を卒業後にパリに渡り、モディリアーニやピカソらと交流し、日本人で初めて海外で成功した画家となりました。生前のフジタは、日本社会と様々な軋轢があり、また死後も、残された夫人の意向もあり、画家としての全貌が霧の中に包まれているようなところがありました。しかし近年、それまで公にならなかった資料や絵画作品が公開されるようになり、藤田嗣治への注目と理解は急速に高まっています。
では、藤田嗣治(フジタ)は、どのように偉大だったのか。どのような絵画世界を創りあげたのか。それをわかっていただくためのキーワードとして、三つの言葉を選んでみました。鏡と線と色彩です。これらのキーワードを通して、フジタの絵画について、あれこれの説明を通した文章が、この本となります。
日本人にとっては、誇りでもあり、(アートにおける戦争責任を集中的に負わせてしまったという)黒歴史でもある、という藤田さんの絵と生涯について、伝記というよりは、作品史というスタンスで書かれた新書です。
作品写真も掲載されていて、著者の解説を読むと、実際の絵を見てみたくなります。
藤田嗣治さんといえば、おかっぱ頭に猫、などのアイコンが思い浮かぶのですが、ファッションについては、他者との差別化、あるいは自分をアピールするために、かなり意図的に「わかりやすいキャラクター」をつくっていたという本人の話が紹介されています。
彼は、太平洋戦争の際に日本に帰国し、国からの委託を受けて、戦意高揚のための絵、いわゆる「戦争画」を発表するようになります。
髪型も、おかっぱから丸坊主に変えて。
ただ、先入観を捨てて一枚の絵として見てみると、『アッツ島玉砕』などは、戦争を称賛している、とも言いきれないように感じるのです。
フジタは「変わった」のか? もちろん、髪型は変わった。しかし、それは変節だったのか。芸術家としてのアイデンティティを捨てたのか。
いや、フジタは何も変わっていない。そうも考えられる。なにしろ、いきなり丸坊主というのも、極端すぎないか。もちろん、戦時下、多くの日本国民は丸坊主で重苦しい時代の中を生きていた。丸坊主の頭は、もっとも一般的なものだった。しかし、パリで奇抜の恰好をしていたあのフジタなのだ。丸坊主にまでしなくても、もう少し画家的な雰囲気を残した姿への小さな変更で収めてもよかったのではないか。戦時下であっても、それぞれの立場に合った、スタイルや髪型があってよい。例えば、フジタが軍人の前で自身の絵画を説明している写真が残されているが、それを見ると、軍人たちは皆、ちょび髭を生やしている。すべての人が、丸刈り・あとは何もなし、の姿ではなかった。フジタだって、長い髪を切るということはアリだとしても、髭くらいは残してもいい。あるいは、もう少し別の髪型はありえなかったか。しかしフジタは、髪もヒゲも、バッサリとなくした。
フジタは、やることが極端なのだ。パリ時代の容姿が、目立つためのコスプレだとしたら、戦争時代の丸坊主(ピアスなし、ちょび髭なし)も、ある意味でコスプレなのではないか。つまり、フジタの丸刈りは、戦時下という時代状況に敏感に反応した、いや反応しすぎた、ある種の演技だったのではないか。画家だから、ビジュアルで何かを表現する。だから自分の容姿も、自分のあるべき存在を「目に見える」かたちで体現する。戦時下ならば丸坊主でしょうとコスプレする。
そう考えると、フジタは何も変わっていない。その生き方は一貫しているのかもしれない。フジタのトレードマークは、オカッパ頭やちょび髭なのではなく、自己演出、コスプレのほうにある。
著者は、藤田嗣治は変節漢だったのではなく、「時代に合わせてスタイルを変えていく」という芸術家としての生きざまを貫いていたのではないか、と考えているのです。ピカソの生涯に何度も転機があって、画風を変えていったように。
その解釈が正しいのかどうかは、なんともいえないところがあるのですけど。
それこそ、単に「命が惜しかった」とか「周りの目を気にして」丸坊主にしただけなのかもしれませんし。
藤田さんのお父さんは、あの森鴎外の後任として軍医のトップに立った人だそうで、そういう背景を考えると、あの戦争に協力したのも致し方ない面はありそうです。そもそも、ほとんどの日本人が、程度の差はあるとしても、あの戦争を支持し、協力していた時代でもありましたし。
さらに言えば、フジタにとって戦争画というのは、状況に合わせただけの方便であり、フジタにとってのいちばんの欲望は「歴史に残るようなすぐれた絵を描く」という一点であった。裸婦で試し、自画像で試し、そして戦争画で試した。フジタにとって戦争画を描ける時代は、画家としての、一つの「チャンス」だったのかもしれない。
日本で、多くの人が美術展で絵画を鑑賞する、という習慣ができたのは、戦時中に全国を巡回した「戦争画展」が最初だったと言われています。
画家たちにとっては、多くの人に自分の作品を見てもらえるチャンスでもあったのです。
当時の世相として、「戦争を賛美する」のは当然のことであり、そのなかで、「多くの人の印象に残る作品を描きたい」というのは、そんなにおかしなことではないですよね。
ただ、それはそれとして、あの戦争の結果に対して、「無罪」とはいえないのも事実でしょう。
藤田さんは、高名であり、そして、その作品にインパクトがあったがゆえに、戦争協力者の代表格と見なされ、追われるように日本を去ることになりました。
その後は、フランスに渡り、子どもの絵や宗教画を描き、キリスト教に改宗して、フランスで生涯を終えています。
画家の会田誠は、戦争画を描いたフジタに対し、その人格を「局面ごとになりきるタイプ」と評している。この会田の言葉は、フジタを批判しているわけではなく、ただそういうタイプの人間だという人物評価の発言であるだけだが、その指摘通りで、この洗礼も、宗教画への没頭も、戦争画の制作などと同じく、「局面ごとになりきった」一つの大芝居に見えなくもない。もちろん本人は「なりきって」いるので、そういう自覚はないのだろうが。
それが、後半生のフジタの絵画を「弱く」している原因にも思える。フランスでたくさん描いた「子ども」の絵には、リアリティの強さがないし、最後の宗教画群にも、「それにしても、なぜ宗教画なのか?」ということに答える説得力がない。フジタは、現実世界から逃げて、夢の中に入ってしまった。フジタの絵からは、現実世界のディテイルが消えて、虚構の弱さだけが漂うような絵になってしまった。
いや、フジタの絵画を弱くしているそのことは、何も後半生の話に限らない。フジタは人生において、一貫して、芝居をし、なりきる男だった。
藤田嗣治は、「ウソで塗り固めた人生」をおくっていたのか?
それは、責められることなのか?
多くの人生って、多少なりとも、何かのフリをしたり、なりきったりしているものではないか、と自分自身を省みても思うのです。
藤田嗣治さんは、それを徹底的に「やりきった」だけで。
読むと、あらためて、藤田嗣治の絵を観なおしてみたくなる一冊です。
- 作者: 会田誠,椹木野衣
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