琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】仕事にしばられない生き方 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
チリ紙交換のバイトに始まり、絵描き、大学教師、テレビリポーター、普通の勤め人等々、経験した職業は数知れず。働き方を考え続けてきた漫画家が体験を元に語る、仕事やお金との向きあい方。好きな仕事ならばどこまでもがんばるべきなのか。金にならない職業をいつまで続けるか、などについて考察。さらに、契約を軽視する日本の慣行についても言及。「働くこと」を考えるヒントが満載の体験的人生論!


 『テルマエ・ロマエ』や『プリニウスとり・みきさんとの共作)』で知られる、ヤマザキマリさんが、自らの体験に基づく仕事論・人生論を語っておられる新書です。

 2015年に上梓された、ヤマザキさんのこの新書と内容的に重なっているところもあります。

fujipon.hatenadiary.com


 14歳ではじめてヨーロッパに一人旅に行った(というか、お母さんに行かされた)話や、絵の勉強をするために、17歳で絵の勉強のためにひとりでイタリアに留学した話を読むと、圧倒されるばかりです。 
 ヤマザキさんのお母さんは、夫を亡くしたあと、ヴィオラ奏者としてヤマザキさん姉妹を育てたのですが、「絵描きになりたい」と宣言した幼いヤマザキさんに、お母さんはこんなふうに接したそうです。

 それから間もなく、仕事から帰ってきた母の鞄には買ったばかりの1冊の本が入っていました。彼女はそれを取り出し、私に差し出しました。「『フランダースの犬』っていうの。お母さんも大好きな話なんだけど、マリも読んでみなさい」


 たとえ、まだ幼くて仕事の意味を理解していないのが歴然としていても、子どもらしい夢だとおざなりに励ましたりしないところが、うちの母の母たるところなのです。『フランダースの犬』は国民的アニメにもなった物語で、画家になることを夢見ていた少年ネロは、愛犬パトラッシュと苦労を重ねて、貧しさの中で死んでしまいます。クリスマスイブの夜、いつか見たいと思っていた大伽藍のルーベンスの絵の前で力尽きて横たわるネロ、寄り添うように息絶えるパトラッシュ。現代なら虐待とも受け取られかねない悲惨な顛末の児童文学です。
 本を読み終え、神妙な顔をしている私に母は言いました。
「絵描きさんになりたいっていうのはね、そんなふうになるかもしれないってことなのよ。それでもいいの?」
 自分だって音楽という仕事をしているくせに、あなたがそれを言う?
 いや、音楽をやってきたからこそ、小学生の私に、いきなりシビアな現実を突きつけてきたのでしょう。でも、決して頭ごなしに「絵描きなんてダメです」とは言わない。世の中にはお金と結びつかなくても、つらい顛末が必至でも、どうしてもそれをやらずにはいられない人達がいて、それにはきっと意味がある、というメッセージを、幼い私に伝えたかったのかもしれません。母は、いつだって真剣勝負の人なのです。


 ヤマザキさんのこれまでの半生を本人の言葉で振り返ってみると、「生存者バイアスじゃないのかな……」なんて、思うところもあるんですよね。
 読み物としては面白いけれど、これで生き抜ける人って、ごくわずかではなかろうか。
 その一方で、こんなふうに生きている人が実際にいるというのを無視して「こんなのは生存者バイアスであり、みんな無難に普通に生きたほうがいいですよ」というのも、あまり誠実ではないように思うのです。
 結局のところ、人というのは、誰でも「そういうふうにしか生きられないように生きている」のかもしれません。


 この新書のタイトルは「仕事にしばられない生き方」なのですが、このタイトルからは「働かなくても、遊んで生きればいい、好きなことだけやっていればいい」というような内容なのかと予想する人も少なくないはず。
 ネットの有名人には、「投資やブログで稼いで、南の島で遊んで暮らしましょう」みたいなことを言い続けている人もいます。


 でも、ヤマザキマリさんの生きざまをみていると、「仕事というより、お金を稼ぐためにやりたくもないことをやって自分を殺すのではなくて、飢えて野垂れ死にしてもいいから、お金になるならないはさておき、自分のやるべきこと、やりたいことをやって生きよう」という気概が伝わってくるんですよ。


 イタリア留学時代に、貧しさにめげないアーティストたちのサロンに出入りしていたヤマザキさんは、そこで、「お金とは別の価値観を持って生きている人々の生きざま、死にざま」に接することになります。
 ヤマザキさんは、イソップ寓話の『アリとキリギリス』について、もともとは『アリとセミ』だったというエピソードに続いて、こんな話をされています(ちなみに、イソップはギリシャ人の奴隷だったのでセミが出てくるのだけれど、アルプス以北ではセミに馴染みがなかったので、キリギリスになったそうです)。

 実は、内容が変えられているのはそれだけではありません。
 原典では、アリはセミに頼まれても「夏に歌っていたなら、冬は踊ったらどうだい」と言って、食べ物をあげなかった。「食べ物をもらったので、改心した」というのは、どうやら勤勉さを奨励しようと思って、あとから付け足されたモラリスティックな結末のようです。真面目で働き者の日本人の気質にピッタリだったのか、教科書にまで載ったりして、こちらの結末が日本では広く知られることになったのでしょう。
 では、食べ物を分けてもらえなかったセミは、どうなったかといえば、それこそ野たれ死ぬことになります。けれど、この結末には続きがあって、セミはアリに向かってこう言うのです。
「歌うべき歌は歌い尽くした。私の亡骸を食べて、生き延びればいい」
 これが寓話の、古代ギリシャ時代のオリジナルとされる顛末です。そう言われると、セミの生き方にも一理ある。そんな気がしてきませんか。
 もちろん真面目に働いて、将来に備えることは大切です。でも「自分は心からやりたいと思ったことをやり尽くした」と言えるのなら、それはそれで幸せな一生じゃないか。それをまっとうすることは、簡単ではないとしても。


この新書、内容的には「仕事にしばられない生き方」というよりは、「お金にしばられない生き方」のほうに重きが置かれていると感じました。
ただ、貧乏生活が長かっただけに、ヤマザキさんは、お金がないことによって心も貧しく、余裕がなくなることもよくわかっているのです。

 人はパンのみにて生きるにあらずと言うけれど、何がその人にとって、本当に価値のあるものなのか。お金がないからこそ、常に問われながら生きていました。
 お金がすべてというパワフルな価値観に打ちのめされないためには、それに負けないだけの価値観を自分の中に培わなければいけない。一元的ではない、ものを見る目を、考える力を身につけなければいけない。
 芸術も、文学も、映画も、音楽も、そのためにある。先人達が見つけた生きる知恵そのものなのだと思います。
 私はフィレンツェで経済的に苦しい生活を強いられることになったけれど、でもそうじゃなかったら、あれほど芸術や文学に対して貪欲になれただろうか。あんなにも濃密に誰かと語り合ったり考え込んだりすることができただろうか。
 お金がなかったあの日々が、今の私をつくった。


 世の中には、芸術や音楽には関心を持てない、という人もいるし、宗教にはまってしまう人もいる。価値観というのは人それぞれで、絶対的な正解はないのです。
 今の世の中は「お金がすべて」という価値観ばかりが幅を利かせすぎているのかもしれません。お金は、あまりにもパワフルで、わかりやすいがために、それ以外の生き方を求めづらくなっているともいえるでしょう。

 「自分が絶対に正しい」ではなくて、お互いの価値観が違うことを認めあうことが人と人、あるいは国と国の関係でも大事なのだ、とヤマザキさんは仰っています。
 と言いつつも、ヤマザキさんは、自分が仕事に熱中しすぎて家庭に問題が生じてしまったことを告白しています。

 日本で『テルマエ、ロマエ』がブレイクしていた頃、シカゴで私達家族は、崩壊寸前でした。あれはもう、はっきり言って、離婚の危機でしたし、お互い一緒に暮らす、暮らせないという燻りは、実は今もすっかり解消しているわけではありません。
 ケンカの原因は、決まっていました。
 漫画の連載だけで5本も抱えて、昼も夜もなく机に向かい続けて
私のことが、夫のベッピーノには、まるで理解できなかったのです。
「日曜は休む。夜は寝る。人間として当たり前のことじゃないか。なぜマリはそれができないんだ! 気がおかしくなったんじゃないのか!?」
 たぶん、この世で、漫画家という職業を最も理解できないのはイタリア人だと思います。


 イタリアでは、どんな仕事をしていても、夜6時、最長でも7時あればやめるのが当たり前なのだそうです。
 ベッピーノさんは優秀な研究者で、けっしてヒモ男とかではないのですが、そういう人でも、これが「常識」なんですね。
 お互いの価値観が違うのはわかっているつもりでも、自分の現実の生活のこととなると、なかなか受け入れられないのだよなあ。
 当時のヤマザキさんは「お金のため」というより、「自分には描きたいものがあって、描ける環境が整っているのだから、描くのを邪魔しないでくれ」という感じだったみたいです。
 「お金のためではない仕事」というのは、ときに、ブレーキを失ってしまうことがある。


 僕も「こういうのって、生存者バイアス」だよなあ、って思うのだけれども、最近は、一周まわってきて、「生存者の証言を聞くのも大事なことだよなあ」って考えるようになりました。
 そもそも「死亡者」が、死んでしまってからの声を聴くことはできないのだし。
 これほど、いろんなことを考えずにはいられなくなる「自伝」というのは、めったにないと思います。ヤマザキさんの作品に興味がある方は、読んで損はしないはず。


アクセスカウンター