琥珀色の戯言

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【読書感想】ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「リョウコ」とは、漫画家・ヤマザキマリの今年で八十五歳になる「規格外」の母親のこと。 昭和三十五年、リョウコは二十七歳の時にそれまで務めていた会計事務所を辞め、オーケストラで音楽をやるため実家を飛び出した。新天地・北海道で理解者となる男性と出会い結婚するものの早逝され、シングルマザーとしてふたりの幼い娘を抱えることとなる。 戦後、まだまだ女性が仕事を持つのが難しかった時代。ヴィオラ演奏家という職業を選び、家族を守るために、大好きな音楽を演奏するために、リョウコが選んだ道は平坦ではなかった。鼻息粗く自分の選んだ道を邁進し、ボーダレスな家庭の中で子供を育てあげた破天荒母リョウコの人生を、娘マリが語る。


 僕はヤマザキマリさんのマンガやエッセイをけっこう読んでいるので、中学生のときにいきなりヨーロッパに一人で行くことになった、とか、子どもの頃、ヤマザキさんが「画家になりたい」と言ったら、お母さんから渡されたのが『フランダースの犬』だった、というような話は知っていたのです。
 高校を中退して、イタリアに絵を学ぶために留学し、そこでシングルマザーになって帰国することになったヤマザキマリさん。
 波乱万丈というか、無計画で行き当たりばったりの人生、かと思いきや、『テルマエ・ロマエ』で漫画家として大成功し、いまも意欲旺盛に創作を続けておられます。

 1933年(昭和12年)生まれの、ヤマザキマリさんのお母さん、リョウコさんには、アメリカで10年働いていたお父さんがいて、ばあやが女学校に送り迎えしてくれるような「お嬢様」だったそうなのです。
 そのリョウコさんが、27歳になって、周囲の反対を押し切って勤めていた会計事務所を辞め、札幌交響楽団の奏者になるために北海道に移住したのです。
 そこで、リョウコさんは、マリさんと妹さんという、父親が違う2人の娘を、シングルマザーとして、音楽活動をしながら育てていきました。

 マリさんと妹さんが小さい頃から、リョウコさんは演奏会などで家を空けることが多かったそうです。
 ひとりだけの親がいない不安や寂しさはあったし、リョウコさんの側にも、子どもたちの傍にいる時間が短いことへの葛藤はあったようなのですが、それでも、リョウコさんは「自分の好きな音楽を中心して生きる」ことを諦めませんでした。

 私たち子供にとって、職業を持つ、一番近しい大人であったリョウコは、とにかく「自分が生き甲斐だと思うことを職業としてやってきた人間」だ。彼女が仕事でストレスを溜めている状態をあまり見たことがなかったし、なんだかガサツだし、いい加減だし、とにかく日々忙しそうだけれど、トラブルがあってもそれを説明しているうちに笑い出してしまうなど、いつも楽しそうに見えた。
 私の周りには、家族にも親戚にも知り合いにも、一つのところに勤めて、毎日定時に出かけて定時に帰ってきて「ああ疲れた。辛い」と漏らすような人がいなかった。だから、サラリーマンという職業にピンときていなかったのだ。リョウコにしても、家に帰ってきていても、仕事でやるべき音楽を就業外の自由時間にまで楽しそうにやっているのを見ると、本当にこの人は音楽に支えられて生きているんだな、と自然に感じとっていたのだ。
 だから、私も子供の時から「本当に自分にできること、ずっと続けていけそうなやりがいのあることを職業に選んで当然」だとおのずと思っていたのだ。自分が選んだことに熱意を注ぎ、これなら続けていけると思えることであれば、何でもいいのだと。


 昔の大人、とくに男性は、会社に縛られて生きなければならず、家族と過ごす時間もなく、不幸だった、と思っていたのです。
 いまは、働き方も変わってきたし、仕事漬けになるよりも、家族と過ごす時間を大事にする生き方が認められ、もてはやされるようになってきました。
 
 それが、時代の変化なのだということはわかるのだけれど、リョウコさんの生きざまをみていると、育児放棄や虐待は論外としても、「家族のため」に自分の人生を捧げ、毎日我慢しつづけている親が、本当に家族を幸せにしているのだろうか?と考えずにはいられないのです。

 僕の父親も、仕事やその後の飲み会などで、遅い時間にならないと帰ってこない人で、酔っ払って帰ってきたときには会うのが嫌で、毎晩のように布団をかぶって寝たふりをしていたんですけどね。

 太平洋戦争後の高度成長期には、日本の経済が右肩上がりで、終身雇用がほぼ約束され、会社で頑張るだけ見返りがあったのも事実です。

 ヤマザキマリさんには、このお母さんの「破天荒遺伝子」みたいなものが受け継がれていたからこそ、波乱に満ちた人生を楽しめているのかもしれません。
 でも、「子どものためなら、親は自分の人生のすべてを捧げるべき」みたいな考えも、それはそれで「過剰」ですよね。
 ネット社会になってあらためて感じるのは、時代は変わり、「個人の幸せ」を重視する世の中になってきたはずなのに、SNSネット掲示板のコメントには、何か事件や不祥事が報じられるたびに「子どもがかわいそう」とか「親として失格」などと言って他者を責める人が大勢いることなんですよ。
 いまの社会では、近所の人を頼るのは難しいし、子供だけを外で遊ばせておくのを危険視する人も多いのです(まあ、昔はそういう危険に対して、おおらかというか、見て見ぬふりをしないとやっていけなかったのかもしれませんが)。
 世の中には、たぶん「家族団欒向きではないけれど、一生懸命働いている姿をみせることによって、家族に良い影響を与えることができる親」が少なからずいるのではないか、と僕は思うのです。

 リョウコは、怒りたくなってしまうような事柄を、お笑いに転換する能力に長けていた。ある日、コンサートが終わってクタクタに疲れて帰宅したリョウコが玄関のドアを開けると、家の中には足の踏み場もないほどおもちゃやぬいぐるみが散乱していた。
「あーあ、参ったなこりゃ」と思いながら電気が点けっぱなしの部屋に入ると、あちらこちらひらひらと舞っているものが視界に入ってくる。よく見ると、部屋には無数のトンボや蝶が放たれていて、カーテンにも数匹の蝶々が貼りついていた。そんなめちゃくちゃな有様の中で私たち姉妹は布団を敷いてスヤスヤ寝ているのだ。
 リョウコは翌朝目が覚めた私たちに「家の中が虫屋敷になっていてびっくりしたよ」と笑って言ったが、幼い娘たちの、留守番という淋しさとの格闘の軌跡を感じて、切なかったと後日語った。

 大人になった私が未婚で産んだ赤ん坊を抱えて帰った時も、一瞬の驚きの後に「孫の代までは私の責任だ」と満面の笑みで言い切ったリョウコ。彼女が一般的な考え方の人であれば、結婚もせず、しかも黙って未婚で子供を産んで帰ってきた娘に対して、まずは不満をぶちまけるだろう。「一体これからどうするつもりなのよ!}などと声を荒げていたはずだ。しかし、彼女にとってのこの「思いがけない、とんでもない展開」は怒りとは直結しなかった。自分の人生を他者と比較したり、生き方に対して執拗な理想や思い入れを持たない人のなせる業だと思う。

 新しい家には楽器を習いに来ている知らない子供や大人が常に出入りしていた。勉強をしていても、台所でテレビを見ていても、必ずどこからか楽器の音色が響いてくる。私と妹は自分用の部屋を作ってもらったにもかかわらず、全くマイホーム感を持てずにいた。
「この家、全然落ち着かないんだけど」と一度だけ母に訴えたこともあった。しかし、リョウコは「あんたたちはそのうち自分たちの住み心地のいい家を持てばいいじゃないか。どうせここにずっといるわけでもなかろうし、ここは私の家だからこれでいい」ときっぱり言い返されて終わった。


 自分はやりたいようにやるし、子どもの人生を縛らない。でも、困ったときには助ける。それも、トラブルを人生のアクセントのように楽しみながら。
 
 正直、こんなふうに生きるのは、誰にでもできることじゃないというか、僕も含めて、ほとんどの人は無理だと思うんですよ。
 それでも、読んていて、こういう「幸せな人生」もあるのだな、と、なんだか清々しい気分になったのです。


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