琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「アート」の迷宮

村上隆さんと「ナルミヤ」との係争について、
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060425
http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20060426
http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20060425

かなり多くのサイトで取り上げられているこの話なのですが、まあ、現実問題としては、村上さんが「あのネズミは●ッキーマ●スをモチーフに…」(注:マッキーマックスではありませんので念のため)なんて言おうものなら、某オ社の顧問弁護団が登場してそれこそ社会的に抹殺される可能性が高いので、ここは「ツッパリ抜くしかない!」という状況だったのかな、とも思うのですけど。
しかし、僕もときどき「現代美術」というのを観に行くのですが(というか、正確には美術館に行ったら、現代美術も展示されていた、というパターン)、正直よくわからん、ほんとは全然わからん。この点に関しては、ノルウェイの森で永沢さんが言っていた、

俺は、死後三十年以上経過していない作家の作品は読まない。(「歳月」で淘汰されないと、作品の真の価値はわからないから、新しい作品を読むのは時間のロスになるので)

というのも一理以上あるような気がします。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20041203
↑で、マルセル・デュシャンという現代美術の巨匠について書きましたが、僕には彼の作品の素晴らしさって、ピンとこないんですよね。本当にこういうのは、「歴史に残る」作品なのだろうか?
いや例えば、本の世界でいえば、ベストセラーになった作品でも、何年か経ったら「トンデモ本」とか「なんであんな本が100万部も売れたんだ…」という感じでブックオフで叩き売られていることは、けっして珍しくはないはずです。
なんか現代美術って、ある種「インパクト勝負!」みたいな迷宮に入り込んでしまっているような印象さえ受けるのです。
http://d.hatena.ne.jp/orochon56/20060425#p3
↑で紹介されている「金魚ミキサー」みたいなのって、「悪趣味」以外の何物でもないと僕は思うのですけど、それでも、少なくともこれは「話題」にはなってしまうわけです。それは、「誰の目にも留まらない」よりは、「自分を売るためのアート」としてははるかに有意義なはず。

例えば世界的な画家の絵と幼稚園児の絵なら、誰にでも「違い」はわかりますよね。でも、ちょっと優秀な美大生の卒業制作と世界的な画家の絵を先入観ナシで並べられて、確実に鑑別できる人って、そんなに多くはないと思います。
歴史的にみれば、少なくともルネサンス期よりは遥かに「アートに関われる人間」の数は増えてきているのだし、個々の格差も縮まってきているはず。
となると、やっぱり「インパクト勝負!」あるいは、「営業力勝負!」しかないのか。

結局、「なんでこんなヤツの作品が評価されるんだ…」とか言ってみても、現実には、「そんなヤツだからこそ」売れて(あるいは、「売って」)いるわけで、自分の作品の元ネタを律儀に「この作品のおかげです」なんて紹介しまうような人は、作品以前に「営業力不足」のために、生き残っていけないような世界になってきているのかもしれません。

でもなあほんと、こんなにみんな「アーティスト」になっちまったら、真の「オリジナル」なんて、どこにも存在できないよね。

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