琥珀色の戯言

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【読書感想】美意識の値段 ☆☆☆☆

美意識の値段 (集英社新書)

美意識の値段 (集英社新書)

  • 作者:山口 桂
  • 発売日: 2020/01/17
  • メディア: 新書


Kindle版もあります。

美意識の値段 (集英社新書)

美意識の値段 (集英社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
クリスティーズは世界二大オークション・ハウスのひとつ。その日本法人の社長である著者は、長年東洋美術部門インターナショナル・ディレクターをつとめ、日本美術のスペシャリストとしてさまざまな美術品と出会い、オークションを通じて、多くの作品の橋渡しをしてきた。本書は、オークションを取り巻く個性あふれる関係者、セールでの駆け引きはもちろん、美術品との数奇な出会い、真贋の見分け方、「歴史の一部」を預かるトップコレクター達の誇り、そして欧米でのオークション・ハウスと人々の関係等の逸話を紹介。そして日本美術への想いを通して、アートと共にある生活を提案し、美意識の磨き方とそれをビジネスや人生に活かす視点を示す。


 『サザビーズ』と並び称される、世界二大オークションハウスのひとつ、『クリスティーズ』の日本法人社長が、アートの観かた、つきあいかたと、日本美術への思いを綴った本です。 
 軽妙な語り口で読みやすく、「アート」に親しみがわいてきます。

 もう十数年前になるのですが、アメリカのボストン美術館に行ったことがあるのです。
 ボストン美術館には「日本美術の間」みたいなのがあって、日本の有名画家の浮世絵などがたくさん展示されているのですが、印象派の絵の部屋がにぎわっているのに比べて、人もまばらで、なんだかとても残念な気がしたんですよね。
 そんなに興味がないのなら、日本に返してくれればいいのに……って。
 まあ、僕が一度観たときだけの印象ではありますし、外国から日本の美術館に来た人も、同じようなことを考えているのかもしれませんが。

 著者は、クリスティーズのスタッフとして、さまざまな美術品の売買に関わっています。

 では、これらの「コレクション」をオークション・ハウスがゲットするのは、一体どんな時なのだろう? その最も重要な「機会」を、巷では「3D」(三つのD)と呼んでいる。そしてこの「3D」とは「三つの英単語」の頭文字であるDを取ったモノなのだ。
 その三語とは「Death(死)」「Divorce(離婚)」「Debt(負債)」……。どの言葉を取っても、人に取っては余り嬉しくないシチュエーションを表す言葉であるが、大きなアート・コレクションが移動する時、誰かが美術品を売る時には、それなりの、そして時には運命的な理由が存在する。


 コレクターが、自慢のコレクションを手放すときには、なんらかの、「喜べない理由」があるものなのです。
 他人の不幸を喜ぶ人たち、みたいな印象を受けるかもしれませんが、著者は、「オークション・ハウスの存在は、コレクションの散逸を防いだり、作品があるべき場所に売ったり、改装や改修が必要な美術館に、その資金をもたらすのに役に立っている」ということも紹介しています。

 クリスティーズのオークションといえば、何十億円もする絵の落札が話題になることが多いのですが、実際は、4万円台くらいで落札される作品も扱われており、超高額のアートだけが出品されるわけではない、ということも。

 ちなみに、著者は、オークションにかかわる人間として、バンクシーの作品の一部が、落札時にシュレッダーで切り刻まれた事件についても軽く言及しています。興味がある方は、ぜひ、読んでみていただきたいのですが、あの演出も含めての「アート」だった、ということなのかもしれませんね。

 2008年3月18日、オークションに於ける日本美術品の史上最高価格が誕生した。作品は《伝運慶作 木造大日如来坐像》、落札価格は1437万7000ドル(当時約14億3000万円)であった。落札者は百貨店の三越だったが、後に真のバイヤーが宗教団体「真如苑」だった事が判明し、大きな話題と為った。そしてこの仏様は、翌2009年に国の「重要文化財」に指定され、クリスティーズが売った最も重要な日本古美術作品と為った。
 ……と云う話を詳しくしようかとも思ったけれど、本当に興味深いのはこの「結果」よりも、何方かと云うとオークションで売れる「迄」の話なので、そちらを書く事にする。


 著者は、大きな話題となったこのオークションにも深く関わっていたのです。
 この作品がオークションにかけられ、海外に流出してしまう可能性があることについて、当時は、多くの批判が寄せられたそうです。
 著者は、日本美術の専門家であり、クリスティーズの一員として、こう述べています。

 もう一点非常に印象的だったのは、この作品に非常にシリアスに興味を持っていた外国人顧客が、私に何回も、「この作品を買ったら、家に飾る場合、どの様に保管したら良いと思う? 湿度を管理出来る、特別な展示箱を作ったら良いのか? それとも美術館に寄託した方が安全かな?」と聞いてきた事だ。要はその顧客に取っては、値段等或る意味どうでも良くて(現にそれ位のお金持ちだったが)、自分が仏様の新オーナーに為った時の作品の保存の仕方だけを心配していた訳で、それは何しろ「今現在の状態を劣化させずに、後世に伝える」と云う、世界の如何なる美術品の分野に於ける「トップ・コレクター」達でも皆考える、「自分は”歴史の一部」を、ほんの一瞬預かるだけだ」と云う非常に謙虚な発想から来ている。
 それなのにオークション終了後、日本の有名美術誌が「海外の金持ちがその価値もよく判らず、部屋の本棚の空いているスペースにポンと置いて仕舞う可能性のあるオークション等に、この様な重要な日本美術品を出すべきでは無い」等と書いたので、私は本当に怒り心頭だったのだ!
 君達は外国の日本美術品コレクターの、一体何を知っていると云うのか? 私が日本に住む「日本人」の家や蔵で、どれだけ大量の「状態の酷い」日本美術品を見て来たと思っているのか? 本気で「外国人には日本美術の価値が判らない」と思っているのか? ……と云う事は、日本人は絶対に西洋美術の価値が判らないとでも? 君達は若冲コレクターのプライス氏や、日本でも展覧会を開催している、ファインバーグ氏やウェバー氏の日本美術コレクションを観た事が無いのか? あの作品が「装飾品」のレヴェルだったり状態が悪いとでも? これ位で止めておくが、日本の有名美術誌でもこのレヴェルなのだから、辛い。
 そしてもう一点、
「宗教、信仰に関わる美術品を売買する等、トンでもない。然もこれ程重要な仏教美術を、海外で売り飛ばすとは!」
 と云う意見も私の耳に多く入って来た。その気持ちは判らないではない。が、それら扱う人間に「扱わせて頂いている」感覚が有れば、良いのではないだろうか?


 著者は、それなら、日本にあるキリスト教関係の美術品も、みんな返さなければならないのか?とも述べています。
 アートをどこに展示するか、というのは難しい問題で、ナチスが奪った美術品や植民地時代にイギリスに持ち去られた作品への返還運動も行われているのです。
 第三者の日本人である僕としては、ツタンカーメンの黄金のマスクは、エジプトのカイロ考古学博物館よりも、イギリスの大英博物館にあったほうが、観にいきやすいのに、なんて考えたりもするんですよね。
 これだけ海外旅行が一般的になって、ローコストキャリアが発達した世の中であれば、日本の地方美術館よりも、世界の有名美術館のほうが、行く機会がありそう、という人もいるはず。
 日本に存在していても、コレクターの個人蔵となれば、そう簡単に観られない、という可能性もあります。
 もっとも、クリスティーズは「だから有名美術館に安くても売る」ということはないみたいですけど。
 「私が日本に住む『日本人』の家や蔵で、どれだけ大量の『状態の酷い』日本美術品を見て来たと思っているのか?」という言葉からは、これまで何度も残念な思いをしてきたのだろうな、というのが伝わってきます。


 著者の専門は日本の古美術なのですが、この本のなかで、「現代美術への愛情」も繰り返し語っておられます。

 私が現代美術を大好きなのには、大きな理由がある。それは先ず、私が日々「死者のアート」を扱っているから。つまり作者が既に死んでいる「古美術」の事で、確かにこの古美術と云うモノの魅力は、そのモノが辿ってきた歴史のロマンなのだから、古くて当たり前だ。だが、これだけ古いモノを扱っていると、時折超新しい、出来立てほやほやの「生者のアート」を観たく為る。これは古いモノを観続ける事に拠って、私の「眼」が慣れて仕舞い、新鮮さを失って仕舞う事への危機感、と云っても良い。
 そして現に現代美術を観る事に拠って、私の眼は「更新」され、また新たな視点で古美術を観る事ができる様に為るのだが、この現代美術と云う「生者のアート」は、何時でも私が古美術を観る際に最も大事にする事を思い出させてくれる。それは、
「全ての美術品は、作られた時は”現代美術”である」
 と云う事だ。
 これは当然の様でいて、忘れられがちな事実ではないだろうか。例えばモネが《印象・日の出》を描いた当時、彼がバリバリの、然も大ブーイングを受けていた現代美術家だった。また国宝《松林図》を描いた長谷川等伯は、当時能登から出てきた一介の新進絵師だったが、永徳率いる狩野派が牛耳るアカデミズム全盛の都のアート・ワールドに打って出た、カッティング・エッジなアーティストだった。そしてその等伯を応援したのが、これまた当時稀代の、いや日本美術市場最高最大のアヴァンギャルド・アーティストと云っても良い、千利休であったのだ。


 僕も現代美術は難しいというか、「言いくるめた者勝ち」みたいな感じがして、敬遠することが多いのですが、著者の「全ての美術品は、作られた時は”現代美術”である」という言葉には、なるほど、とつぶやかずにはいられませんでした。
 当時の人にインパクトを与えることができなければ、後世まで残されることはなかったのですよね。

 
 著者おすすめの日本の古美術作品も紹介されていて、アートへの興味があらためてわいてくる本でした。
 もう少し作品の写真が多ければ良いのになあ、と思ったのですが、それこそ「自分の眼で見ろ!」ということなのでしょうね。


芸術起業論 (幻冬舎文庫)

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