琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ブログ燃え尽き症候群

「いつか記事が書けなくなる日」(最終防衛ライン2)
http://d.hatena.ne.jp/lastline/20060720/1153384681

 僕はとにかく書くことが大好きでずっと続けているのですが、最近自分でも「これ、前に似たようなこと書いたなあ」と感じながらアップしていることが多いのです。多少切り口を変えたり、新しく考えるようになったことが加わったりもしているのですが、それでも、「新しいこと」を期待している人にとっては、かなり「既視感」を与えてしまうのではないかと思います。
 まあ、考えてみれば、僕というひとりの人間の経験や処理しきれる情報なんて限界があるわけだし、そんなに毎日突飛なことばかり考えて生きていけるわけでもありません。そもそも、エッセイの名手である中島らもさんや原田宗典さんや阿川佐和子さんだって、著作をずっと読んでいれば、「あっ、この話、どこかで読んだことあるなあ」というようなエピソードが、何度か使いまわされていたりもするわけです。どんなに鋭い感性を持っている人だって、多くの読者を揺り動かせるような体験を無限に持っているわけではないでしょう。
 「日記」ならずっと書き続けられる可能性が高いと考えがちなのですが、実際に何年も書いていると、「もうクリスマスの思い出も枯渇した!」とか、「7月4日は映画の話が3年連続!」というような事態も起こってきます。いやまあ、それはそれで、ずっとやっていれば、「こち亀」の「日暮」みたいに、「時節ネタ」として読み手も面白がってくれるのかもしれませんけど。
 無限のソースがありそうな「ニュースサイト」でも、結局、「選者」が同じ人間であるかぎり、「掲載候補」のサイトは限られてきます。そして、そのなかで「取り上げるネタ」というのも、選ぶ側がよっぽど意識していないと、ものすごく偏ってしまったりしがちなんですよね。だって、選ぶのは同じ人間なのだから、「選択基準」がそんなに急激に変わるわけもなく、「未知の面白いサイト」だって、少しずつ見つけにくくなっていきます。
 そうこうしているうちに、「効率」を重視しはじめると、「新規開拓」の面倒くささに耐えられなくなってきます。結局「自分のアンテナ」「大手ニュースサイトで取り上げられているネタ」「はてなブックマークに登録されているもの」というように、「みんなが既に面白いと認めているもの」ばかりが、繰り返し取り上げられるようになるのです。しかし、これを繰り返しているうちに、「なんだか同じサイトばっかりとりあげてるなあ……」なんていう行き詰まりを覚えることも少なくありません。

 たかがこのくらいの文章でも、「書く」ということは、けっこう僕を消耗させます。やっぱり、身を削っているのだと感じることも多いです。そして、「書くことがない」というときには、自分が「からっぽ」になってしまっているように感じて、自分のなかに「書けること」を満たすために、あわててベストセラーを読んだり、人気映画を観に行ったりします。そうやって自転車操業で書き続けるということが、ときどき、酷く虚しく思えるのです。本来は、もっと熟成したほうが美味しくなるはずのものを、他に在庫がないためにムリヤリお客さんに出してしまっているのではないかという不安。
 ブログに書くためには時間だってけっこうかかるし、内容によっては批判を受けたり、「ブックマークコメント」で罵倒されたりもします。僕にとっては、書いたことは「自分の一部」なので、批判されるのはかなり辛いことなのです。そして、そのわりには僕が得られるものというのは、ほんのささやかな「人気者気分」「論客気分」でしかありません。でも、書かないと忘れられるのが不安だから、熟成する時間さえ惜しんでしまう。

 僕は最近「書かない」ために努力しています。なんというか、アンテナを上げるためだけのエントリを書くのをなるべくやめるための努力。それでも、ついつい「そろそろ更新しとかないとマズいかな……」というような気持ちになって、自分でも不満足なものを書いてしまったりもするのですけど。
 「更新数は少ないけれど、すべて内容としては読みごたえがあるブログ」と、「更新数は多いけれど、玉石入り乱れているブログ」と、いったいどちらがいいのだろう?というようなことを昔から考えていました(更新数が多くて内容も凄いのがいちばん良いのはわかっているんだけどさ)。
 しかしながら、僕の中ではずっと答えは出ないというか、前者のほうがカッコいいとは思うのだけれど、後者のほうが飽きられないのかな、という気がするんですよね。実際は、これだけ長くやっていれば、少々「充電」したところで、そんなに大勢に影響なんてないってこともわかってはいるのですが。

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