琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

星新一さんが「書かなかったこと」

〔著者インタビュー〕星新一への鎮魂歌〜『星新一 一〇〇一話をつくった人』(最相葉月)
↑の記事を「はてなブックマーク」から見つけて、「絶対にこの本は読まなくては!」と息巻いてしまいました。
さて次の企画は - ショートショートの神様、星新一の知られざる生涯
pêle-mêle : ■「なんでぼくに直木賞くれなかったんだろうなあ」
この2つのエントリも含めて、この本をきっかけに「星新一」という作家への再評価が始まりつつあるような気がします。
僕も先日、星さんが書かれた「ちょっとした豆知識集(あるいはネタの断片)」である

きまぐれ遊歩道 (新潮文庫)

きまぐれ遊歩道 (新潮文庫)

↑を見つけて読んでみたのですが、「星新一は中高生の読み物」だと思い込んでいた自分の偏見をあらためて思い知りました。

文壇では子供向けの作家とみなされ、正当に評価されない。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」になぞらえ、「ホメラレモセズ クニモサレズ」とひとり密かに自嘲してみたり、「私の本は文学じゃない。七五三の千歳飴」と冗談めかしてこぼしていたようです。私自身、中学時代に全部読み終えると、卒業した気分で忘れ去っていたのですから、星新一を苦しめた「子供の読者」のひとりだったのです。

最相葉月さんは語っておられまずが、まさに僕もその「子供の読者」のひとりだったんですよね。一篇一篇が短い「ショートショート」であるために読みやすく、しかも面白い星さんの本は「子供でも読めてしまう」ので、かえって「子供向け」だと思われてしまって、「大人の読者」から敬遠されてしまっていたような気がします。「SF」というジャンルにしても、Wikipediaの星さんの項目に

星の作品、特にショートショートにおいては、通俗性を出来る限り排し、具体的な地名・人名といった固有名詞はあまり登場させない。また、例えば「100万円」とは書かずに「大金」あるいは「豪勢な食事を2回すれば消えてしまう額」などと表現するなど、地域・社会環境・時代に関係なく読めるよう工夫されている。また存命中は、機会あるごとに時代にそぐわなくなった部分を手直し(「電子頭脳」を「コンピュータ」に直すなど)したという。激しい暴力や、性行為の描写は不得意だといい、非常に少ない。

という記述があって、確かにいま読み返しても、同世代の多くの作家たちに比べたら、時間の経過による「劣化」はごく軽微です。
いまでも文庫本が「夏の100冊」などのフェアのたびに平積みにされているのですから、「星新一の評価が下がった」なんていうのは僕(や他の「卒業」してしまった読者たち)の勝手なイメージであって、星さんと同時代の作家の亡くなられたなかでは、現代でも圧倒的に「読まれている人」だと言うべきなのかもしれませんね。
星新一はもうすぐ再評価されるはず!」なんて言う前に、「そもそも、評価が下がってなどいない」と言うべきなのか。
これだけの作家なのに、ジャンルのハンディキャップもあり、ほとんど文学賞などには無縁だというのも、星さんの特徴です。
というか、星新一という人は、ひとりで「ショートショート」というジャンルをメジャーにし、そして、あまりに存在が大きすぎたため、「ショートショート」の可能性を根こそぎ奪って去っていってしまったんだよなあ。ある作家が、「どんなショートショートを書いても、星新一さんが既に似たような作品を書いている」って愚痴っていたのを読んだことがありますし。

 「活字中毒R。」で、星さんが書かれたものを2度引用させていただいたことがあるのですが(出典はいずれも「きまぐれ遊歩道」)、

あなたには、本当の「貧乏」は理解できない。(「活字中毒R。('06/1/12)」)

1914年、オーストリア皇太子夫妻の暗殺を契機に、第一次世界大戦はじまる(「活字中毒R。('06/4/25)」)

 これらの星さんの文章と星さんの人生を重ね合わせてみると、星さんというのはサラサラと軽妙に書かれているように見えて、その「ショートショート」の行間には「書かなかったこと」「書けなかったこと」がたくさんあったのではないかなあ、という気がしてなりません。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

僕も、この本は絶対に読みます。

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