琥珀色の戯言

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グラスホッパー ☆☆☆☆

グラスホッパー (角川文庫)

グラスホッパー (角川文庫)

[BOOKデータベースより]
「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑のもとに―「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説。

 もうそろそろ飽きてきたなあ、などと思いつつ、書店で見かけるとついつい手にとってしまう伊坂作品。この『グラスホッパー』は、雑誌掲載時には「これで直木賞を獲る予定」なんて「メッタ斬り!」コンビに評されておきながら、候補作になったもののあまり言及されることもなく落選(受賞作は『対岸の彼女』)してしまったりと、なんとなく、伊坂作品のなかでは地味な存在ではあるのです。文庫を見かけなかったら、僕も存在そのものを忘れかけてしまっていた作品なんですよね。
 でも、実際に読んでみると、僕のなかでは、この『グラスホッパー』、伊坂作品のベスト3くらいには入りそうです。あと僕が伊坂作品で好きなのは、『死神の精度』『終末のフール』『アヒルと鴨のコインロッカー』といったところなのですけど。最近の伊坂作品というのは、ちょっと「教条的」というか「説教くさい」感じがして、ちょっとついていけない気がすることもあるのですが、この『グラスホッパー』は、ひたすら「ハードボイルド風」に描写されていて、そういう「伊坂さんの政治的信条」みたいなものがあまり感じられません。もしかしたら、「実験的な作品」であるがために、説教する余裕がなかったのかもしれないのですが。

 最後まで読んでみて、僕は「鈴木の亡くなった奥さん」というキャラクターを受け入れられるかによって、この作品そのものを受けいれられるかどうかが決まってくるのではないかと感じました。ひたすら前向きで、ホテルの朝食バイキングと「勝負」してしまう女性。「実際にはいないだろう人たちの物語」のなかで、この女性に「救い」を持てるかどうか?
 僕はこの作品の「救いようのないものを、救いようがなく描いた」伊坂さんの挑戦を好ましく思えますし、最近の伊坂さんの「テーマ重視」の作風って、作家的には「後退」なのではないかなあ、と考えているのです。まだ説教くさくなる年齢でもないだろうに……

「それにしても、どうして俺がやる仕事ってのは、こんなのばっかりなんだよ。一家ごと殺すだとかさ。面倒なんだぜ。今日だって、女がうだうだうるさくて、たまらなかった」
「他の奴らが嫌がるからだよ」
「嫌がる?」
「罪のない女とか、子供を殺すのを、嫌がるんだよ」
「はあ?」蝉はあまりの不可解さに、首を捻った。「何で、子供が殺せねえんだよ? 子供だって、いずれは大人になるんだぜ? 何歳なら、殺していいんだ? 犬とか猫とかを殺すのを嫌がるのならまだ分かるけどよ、人なんて年齢とか性別に関係なく、人だ」

 これは、登場人物のひとり、「蝉」と呼ばれる殺し屋のセリフなのですが、登場人物の言葉とはいえ、こんなことを書いていてもみんなに愛される伊坂幸太郎さんって、ある意味すごいですよね。
 この『グラスホッパー』は、伊坂ファンにではなく、むしろ、「伊坂幸太郎があまり好きになれなかった本好きの人たち」に読んでみてもらいたい作品です。

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