琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

「○○的」という言葉

 最近、すごく気になっているのが「○○的」という言葉なのです。
 「はてな」で「似非科学」が話題になっていて、そのなかで、「科学的」という言葉を使う人をたくさん見ました。
 麻生首相も「医師は社会的常識が欠落している人が多い」と言っていましたし。

 麻生さんも含めて、みんな本当にこの「○○的」(例:「科学的」「社会的」「一般的」「常識的」「論理的」……)という言葉が大好きみたいだけど、僕はこの言葉を多用する人をあまり信用しないことにしています。


琥珀色の戯言 - 「論理的」が嫌いな理由
↑のエントリを以前書いたのですが、世の中には「○○的」という言葉だけで何かを説明しようとする人が多いんですよね。
そして、彼らの多くは、「それは、具体的にどういうプロセスを経て『科学的』『論理的』だと判断したの?」と問われると、「うるせえ、『科学的だから科学的』なんだよ!」「おまえは『常識』も知らないのか!」というような反応しか示しません。
それにしても、麻生さんの「社会的常識」っていう言葉も曖昧きわまりないですよね。褒め言葉じゃないことだけはわかるけど、「じゃあ、麻生さんが考える『社会的常識』って、具体的にどういう分野に対するどんな知識・態度なんですか」と問うてみたくてしょうがない。

本物の科学者は「現代の科学では説明できない」とは言わない。(活字中毒R。)
↑で引用させていただいた松井先生の話は、すごく参考になるので、ぜひ読んでいただきたいです。

松井:「何がわかっていて、何がわからないか」をわかってない限り、わからない世界はわからない。僕はふつうの人からどんなことを訊かれても、たとえわかっていないことでも、わかっているかのように説明しますよ。いくらでも科学的に。でも、ふつうの人には、その説明のどこにまだわからない部分があるかは理解できない。したがって、ふつうの人のあいだで「何がわからない世界か」がわかるわけがない。


南:いや、そうなんですけど(笑)。今みたいに科学的に否定されることへの反発なんです。「現代の科学では解明できない」って、その時の呪文なんです。


松井:プロになって初めて、「わかるって何なのか」がわかるともいえるんですよ。自然に関していえば、わかっている世界とわかっていない世界の境界が、そのプロには明快にわかります。だってその境界のところを毎日毎日考えているのがプロなんですから。


南:そうですね。


松井:じつは、そこに境界があるのがわかるということは、そもそもプロということなんですよ。だから「科学ではわからない」という地平に、一般の人が立てるということ自体がありえないんです。


南:でも、誰か科学者が「いやこれは科学ではわかりません」ということを言ったんじゃないですか。だからこういう言葉が広まった。


松井:すべてに関して「科学的にわかりません」ということはない。どんな場合でも「ここまではわかっているけど、ここから先はわかりません」という言い方をすべきなのに、もし「いっさい科学的にわからない」という科学者がいたとしたら、その人の言葉が足りないんです。科学的インタープリター能力が高くない人、つまり科学者といえども言葉で説明できない人はたくさんいますから。

ブログを書いている人、あるいは、ブログに反応する人には、「○○的」という便利かつ強い言葉を濫用したがる人がたくさんいます。
でも、彼らのほとんどは「素人」か「無精者」なのです。
自分ではうまく筋道を立てて言葉にできないことに、「○○的」というレッテルを貼って、「説明」したつもりになっている。
それに気がつかないのは「鈍感」だし「不誠実」なのではないかと僕は考えています。

同じような言葉に「日本人は〜」「日本という国は〜」「世界的に〜」というのもあります。
僕はこういう言い回しを読むたびに、「お前は本当に「日本」「日本人」を十把一絡げにできるほど知っているのか?と感じます。
言い回しとして「(例外はあるけれど)多くの日本人は〜」みたいなことをいちいち書くのはリズムが悪い、ということなのかもしれませんが、そういう「日本人論」には、「パソコンの前にいるのなら、せめてWikipediaくらい確認しろよ……」と言いたくなるような、「単なる思い込み」も少なくありません。
「俺の意見」≠「常識」「論理」「日本人全般」。

僕がブログを書くときに気をつけていることは、「○○的」って書きたくなったときに、その「○○的」に到達するまでのプロセスをなるべくわかりやすく明示する、ということなんですよ。

なぜ、どのようにして「○○的」だと考えたのか?
もちろんそのプロセスそのものが「正しい」とは限らないのだけれども、それが表出されていれば、「どこが間違っているか」もはっきりします。それは、少なくとも「○○的」で終わっちゃうより、はるかに「読む人に対して誠実」だと思うし、そういう姿勢は「他のブログとの差別化」にもつながるはずです。


「また重箱の隅をつつくような『言葉遊び』を……」
と感じている人も多いだろうけど、興味を持たれた方は、ぜひ、試してみてください。

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