琥珀色の戯言

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第140回芥川賞選評


文藝春秋 2009年 03月号 [雑誌]

文藝春秋 2009年 03月号 [雑誌]

今号の「文藝春秋」には、受賞作である津村記久子さんの『ポトスライムの舟』の全文とともに、芥川賞の選評も掲載されています。以下、恒例の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。

宮本輝
 受賞作となった津村記久子氏の「ポトスライムの舟」は、私たちの周りの大方を占める、つつましく生きている女性たちの、そのときどきのささやかな縁によって揺れ動く心というものが、作為的ではないストーリーによってよく描けている。

(中略)

 山崎(ナオコーラ)氏の小説の造りのなめらかさは、今後において氏がなにも芥川賞にこだわることはないのではないか、そのほうがより持ち味が生かされるのではないかと感じさせる。

小川洋子
 「潰玉」を最も興味深く読んだ。内面を表現する手段としての暴力ではなく、単なる肉体的運動としての暴力を描写している点がユニークだった。

(中略)

 津村さんはこれからどんどん書いてゆくだろう。それは間違いないことであるし、一番大事なことである(引用者註:受賞作についての小川さんの言及はこれで全部)。

山田詠美
 『ポトスライムの舟』。行間を読ませようなどという洒落臭さはみじんもなく、書かれるべきことが切れ良く正確に書かれている。目新しい風俗など何も描写されていないのに、今の時代を感じさせる。と、同時に普遍性もまた獲得し得た上等な仕事。『蟹工船』より、こっちでしょう。

村上龍
 多数の選考委員の高い評価で受賞作となった『ポトスライムの舟』だが、わたしは推さなかった。よく書けていると思ったので受賞には反対しなかったが、推さなかった。コントロールできる世界だけを描いていると思ったからだ。もちろんそういった傾向の作品があってもいいし、『ポトスライムの舟』の達成度は高い。だが、作家は、コントロールできそうもないものを何とかコントロールしようという意思を持たなくてはならないのではないか、わたしは個人的にそう思っている。

川上弘美
 揺れたり揺れなかったり、それぞれの作者が選んだやり方の中から、わたしは「女の庭」と「ポトスライムの舟」を、少しずつ推しました。

黒井千次
 「神様のいない日本シリーズ」はよく作られた小説でその工夫に感心させられた。ただ、中学生がベケットの「ゴドーを待ちながら」を上演するという話の運びには問題があるのではないか。語り手である父親はその時の出演者なのだから気づかなかったとしても、作者はそれがどれほどの暴挙であるかを鮮明に意識し、相応の距離をもって書かねばならなかったろう。思いつきにあまりに重い荷が課せられていると感じた。

高樹のぶ子
 そこそこ働いて愛してセックスして青春する時代は、いま終わりかけている。そこそこでは、もはや生存できなくなった。社会の困難は、文学を新しくするのであろうか。

池澤夏樹
 小説は社会を表現するために書かれるのではない。生きた人間たちを書いて、結果として彼らが生きる社会が描かれる。そこで社会は背景であって主役ではない。

(中略)

 ぼくにはナガセ(「ポトスライムの舟」の主人公の女性)が生活の優等生のように見えた。作者もまた細部まで計算の行き届いた優等生、というのは言い過ぎだろうか。問題はこの生きかたを肯定する今の社会の側にあるのだから。

石原慎太郎
 文学に限らず芸術の作品は作者独自の思いこみの収斂に違いないが、しかしなお鑑賞する他者に最低限のある共感をもたらさなくては作品としては通るまい。
 ならば今回の受賞作以外の作品に、反発をも含めて、読む者の感性に触れてくる何があるというのだろうか。どれも所詮は作者一人の空疎な思いこみ、中には卑しいとしかいえない当てこみばかりで、うんざりさせられる。
 一方の直木賞候補作品たちに比べてみても、今日の純文学とか称されるカテゴリーの作品の不人気衰退が相対的にいかにもうなずける。

 第138回、139回と楊逸さん一色、という感じの「選評」だったのですが、今回は楊逸さんが「卒業」してしまったこともあり、ヒートアップした選考委員もいなかったみたいです(石原慎太郎さんなど、これでも「今回はあんまり言うことなかったんだな」って感じだし)。
「選評ウォッチャー」としては、ちょっと寂しい回になってしまいました。
 今回の選評を読んでみると、受賞作の津村記久子「ポトスライムの舟」は、今回の候補作のなかでは頭一つ抜けた評価を多くの選考委員から得ていたようです。「推さなかった」人はいても、「反対した」と書いている人はいませんでしたし。
 山田詠美さんに至っては、

蟹工船』より、こっちでしょう。

とまで仰っておられます。まあ、たしかに2009年に読むなら、僕も「『蟹工船』より、『ポトスライムの舟』」だと思いますが、この「歴史的作品」と比較した山田詠美さんのコメントには、すごくインパクトがあったんですよね。
これ、『ポトスライムの舟』のオビのキャッチコピーに使えばいいんじゃないかな。

相変わらずおせっかいな宮本輝さん(でも、この山崎ナオコーラさんに関するコメントには頷ける気がしますが、その一方で、実際に書いているものがエンターテインメントにもかかわらず、「純文学作家」を看板にしていることが、山崎さんのセールスポイントであるようにも思われるんだよなあ)、相変わらずのキャラの川上弘美さん、毎回「文学の危機」を煽り続けている毎週閉店セールの靴屋のような高樹のぶ子さんなど、みんな「いかにもな選評」ではあるんですけどね。

まあ、今回は「ポトスライムの舟」でしょうがないんじゃない?
って空気が伝わってくる選評でした。
村上龍さんと池澤夏樹さんが書かれている、「うまく書け過ぎているような感じ」は、受賞作を読んでみて僕もちょっと感じたんですけどね。どちらかというと、「こんな真っ当で完成度が高い作品が受賞しちゃうと、ツッコミどころがなくて面白くないなあ」という意味で。
あと、池澤夏樹さんの

 小説は社会を表現するために書かれるのではない。生きた人間たちを書いて、結果として彼らが生きる社会が描かれる。そこで社会は背景であって主役ではない。

という言葉は、「小説と社会」「文学と政治」についての、作家側からのひとつの「答え」なのだろうな、と思いました。

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