琥珀色の戯言

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芥川賞を取らなかった名作たち ☆☆☆☆


芥川賞を取らなかった名作たち (朝日新書)

芥川賞を取らなかった名作たち (朝日新書)

内容(「BOOK」データベースより)
第一回芥川賞選評で、「生活の乱れ」を指摘された太宰治。受賞の連絡を受け、到着した会場で落選を知らされた吉村昭。実名モデル小説を「興味本位で不純」と評された萩原葉子…。「私小説を生きる作家」として良質な文学を世に問い続ける著者が、芥川賞を逃した名作について、その魅力を解き明かす。

僕はけっこう「文学賞好き」なのですが、文学賞のなかでも「芥川賞直木賞」というのは、やはり「別格」だと思います。セールス的には「本屋大賞」もかなりの影響力がありそうですが、「芥川賞作家」「直木賞作家」という肩書きはあっても、「本屋大賞作家」「このミス大賞作家」とか言われることはないですしね。
そして、直木賞に比べると、「芥川賞」というのは、本当に「受賞者とそれ以外の人とでは、明暗が分かれる賞」だと感じます。
直木賞候補になる作家や作品の多くは、「すでにそれなりに評価されているもの」なのですが、芥川賞候補の作品の大部分は、まだ文学誌にしか掲載されていないもので、受賞すれば『文藝春秋』に全文掲載されて一挙に何十万人もの人の目に触れることになりますが、受賞できなければ、一部の文学愛好家以外には、読まれることすらありません。
選評で「人間が描けていない」なんて酷評されているのを読んで、「ああそうなのか」と鵜呑みにするくらいが関の山。

この本、自らも「芥川賞落選者」のひとりである佐伯一麦さんが、2006年から2008年にかけて、仙台文学館で連続講演をされたもの(参加者との質疑応答がメイン)を新書にしたものなのですが、これを読んでみると、芥川賞落選作は、必ずしも「駄作」というわけではなく(まあ、駄作だったら候補にもなりませんよね)、「作者目下の生活に厭な雲ありて」と私生活の乱れを理由に落選した太宰治さんとか、「内容が生理的に気持ち悪くて受け付けられない」という理由で落選した吉村昭さんのようなケースがあったことも紹介されています。
ただ、この本の趣旨は、「文学賞のゴシップを面白おかしく採り上げること」ではなくて、「受賞できなかったことによって、歴史に埋もれてしまいそうな作品にあらためて光をあてること」なんですよね。
そういう意味では、本来、ここで紹介されている12作品を読んでから、この新書を読むべきなのだろうな、とは思うのですが、この新書だけ読んでもそれなりに楽しめるようにはなっています。

これを読んで感じたのは、「受賞作」と「非受賞作」の差というのはそんなに大きなものではないし、選考委員の好みとか時代の傾向によって、どう変わっていてもおかしくなかったのだ、ということでした。この新書の題名が、芥川賞を「取れなかった」ではなく、「取らなかった」になっているのは、佐伯さんのささやかな主張なのではないかと思います。

巻末の佐伯さんと島田雅彦さん(芥川賞候補歴6回!(未受賞))の対談から。

佐伯一麦それにしても、作品の評価とは別で、選評というのは誉めようと思えば誉められるし、貶そうと思えば貶せるとも言えそうですね。


島田雅彦実際に選考委員をやると、そうですよね。どっちでもいけるんです。誉めても貶してもいい。体調次第(笑)。


佐伯:芥川賞の選考委員をやってらした古井由吉さんが、芥川賞は作品のジャッジメントをするのかスカウトをするのかと考えたときに、古井さんご自身はスカウトだという意識で選考していたとおっしゃっていましたが。


島田:僕も三島賞の選考委員のときには、スカウトに近づけたいと思いました。芥川賞を取りそうもない作品を積極的にスカウティングしてきたつもりです。


佐伯:そもそも、三島賞芥川賞に対抗してできたものですから、もっともでしょうが、やりすぎだという批判もありましたね。スカウトをした甲斐のないときもあったのでは。


島田:スカウティングというと理想的に聞こえるけど、文学賞は福祉的な意味もありますよ。何人か候補がいるときに、食うに困っている人にあげようという部分は多少あります。チャラチャラしている人はダメという意識はありますよね。


佐伯:島田さん自身が、かつてそう見られた感じも否めませんね。


島田:チャラチャラしているように見えるんですね。そんなことはないと自分では思うし、たとえチャラチャラしていてもちゃんと書いてりゃいいだろう、と。

ちなみに、ここで採り上げられていた12作品のうち、僕が読んでみたいと思ったのは、北條民雄『いのちの初夜』、吉村昭『透明標本』、干刈あがた『ウホッホ探検隊』でした。

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