琥珀色の戯言

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【読書感想】トランプ再熱狂の正体 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

二〇二四年の米大統領選に、トランプが帰ってくる。前回選挙の敗北を受け入れず、司法当局の追及も受ける男に、なぜ国民は再び熱狂するのか。国外から見れば不可解な現象も、支持者の声にじっくりと耳を傾けると、その正体が浮かび上がる。トランプ支持には相応の論理があり、共感を呼ぶものも少なくない。選挙が終わっても国民を分断する価値観の衝突は終わらない。アメリカの「今」を解き明かす第一級レポート。


 読み始める際、ちょっとためらいがあったのです。
 この本には、最近のアメリカ大統領選挙での大きな転機、共和党の候補であるトランプ氏銃撃事件と現職の民主党・バイデン大統領が出馬をとりやめ、カマラ・ハリス副大統領が代わりに大統領候補となったこと、それによる情勢の変化が書かれていません。
 こんなことが起こるとは思ってもいなかったのでしょうけど。

 この2つの出来事「以後」は、状況が変化していて、トランプ候補はバイデン大統領の健康、認知機能不安を攻撃できなくなり、ハリス候補に対して、むしろ自分のほうの「高齢化」「マンネリ化」で守勢となっている印象です。
 人というのは、「新しいもの」に期待してしまいがちなものですし。

 バイデン降板以前のレポートを読んでも、あんまり意味ないのでは……そう思ったのですが、読んでいくうちに、僕はアメリカの「分断」と、トランプ候補の根強い人気、影響力を痛感させられました。共和党内でも、反トランプ、あるいは、トランプ氏の政策や行動に異を唱える政治家は少なからずいたのです。
 ところが、彼らは、「トランプを支持していない」という理由で、党内の実力者とされていた人ですら、地元での支持を失い、多くが選挙区で落選して行きました。
 言っていることが正しいとか正しくない、とかそういう次元ではなく、トランプ支持者たちの忠誠は、もう「信仰」になっています。

 共和党の有力議員と目され、これまではトランプ氏の政策に従ってきたリズ・チェイニー下院議員(チェイニー元副大統領の娘)が、ワイオミング州共和党予備選挙で「トランプ前大統領がずっと主張してきた『大統領選挙で不正があった』という主張に異議を唱えた結果、トランプ支持の「刺客」に大差で敗れた事例も紹介されています。
 前回、バイデン大統領が勝った大統領選挙後に起こった連邦議会襲撃事件を受けて、彼女は「トランプ氏は危険な人物だ」と訴えるようになったのです。
 その結果、共和党の要職から解任されています。

「敵」として認知されたチェイニーに向けられる敵意は、その支援者にもおよんだ。自宅で迎えてくれたのは地元で約30年にわたって州議会議員を務めているケール・ケース。勉強熱心なのだろう。案内してくれた書斎は資料や書物であふれ、部屋の壁には支持者や同僚議員らと撮影した写真が多く飾られていた。
 彼は選挙戦で、トランプが主張する選挙不正や議会襲撃事件を毅然として批判するチェイニーに共感し、支持を表明していた。しかし、表明直後に地元の共和党幹部から事実上の党員資格剥奪を言い渡され、支持者などから嫌がらせのメールや電話が殺到。携帯電話にはそうした留守番電話のメッセージが大量に残され、それ以上録音できない状態だった。
「お前を選挙で落としてやる。脅しじゃない。本気だ」
「トランプへの裏切り行為は許されない」
 ケースはカメラの前で留守電メッセージを次から次へと再生する。聞いていて気の毒になるほどの内容だ。中には「お前の対立候補に政治献金をした。もう二度と支持しない」といったものも含まれていた。
 数十年来の友人や支援者、子どもの結婚式に出席するほど親しかった人々との関係も途絶えてしまったという。こうした場合の嫌がらせは匿名で、見知らぬ人間から行われることが多いが、ケースの場合は身近な人からも行われていたことが、問題の深刻さをより浮き彫りにしているように見受けられた。
 彼を落ち込ませているのは、チェイニーを支持する自分に反対する人々がいること自体ではなく、そうした人たちと議論できなくなっている状況だった。「なぜ立場が異なるのか、なぜ相手がそう考えるのかという議論すらできない。意見が異なってもいい。私はなぜチェイニーを支持するのか、そうでない人はなぜそうでないのか。それをきちんと向き合って議論したい。でも、人々はすべてを『敵か、味方か』だけで判断するようになってしまった」と嘆いた。
 まさに「Us vs. Them」という二分割的思考がコミュニティを分断してしまっていた。トランプを批判するチェイニーを支持することで「敵」とみなされ、なぜそう考えるのか、という意見をぶつけ合う議論には発展しないのだ。


 トランプ反対派の議員を支持しただけで、こんな状況になるのですから、よほどの勇気と信念がなければ「トランプに批判的な態度をとる」ことは難しい。
 そして、「トランプに反対している理由」に聞き耳を持ってくれない。ただ、「トランプの敵は俺たちの敵」だと攻撃されるだけです。
 この本を読んでいると、アメリカの「分断」は、ここまで酷いことになっているのか、と驚かされます。

 おそらく、大統領選挙でも、「トランプ信者」たちは、確実にトランプ候補に投票してくるでしょう。
 そうせざるを得ない人たちも含めて。
 これが、ドナルド・トランプという「カリスマ」に特有の現象であれば、まだ「民主主義的の未来にとっては」マシなのだろうけど。

 民主党支持者の「トランプ再戦だけは防ぎたい」人たちは、ハリス候補に入れるはずで、あとは、勝つ政党が選挙ごとに変わる可能性がある州(スイング・ステート)の結果次第になりそうです。
 アメリカの大統領選挙については、もともと、そう言われてはいたのですが。

 日本で紹介されるアメリカの情報は、リベラル、民主党寄りのメディアから発信されているものが多いのですが、この新書には、著者がまさに「足で稼いだ」トランプ支持者たちの声が詰まっています。
 よそ者の日本人に、彼らがまともに話をしてくれるのだろうか?と思いながら読んでいたのですが、彼らは自国(アメリカ)のCNNやニューヨーク・タイムズなどの大手メディアは自分たちを正当に扱っていない、まともに話を聞きもしない、という不信感が強く、外国のメディアの記者である著者が話を聞きにきてくれたことに親近感を抱き、中立的なメディアとして話をしてくれたそうです(著者が聞き上手だったのかもしれません)。


 著者は、トランプ支持者側からみた世界について、こう述べています。

 2022年の中間選挙に立候補した候補者のうち、選挙否定論者は200人以上もいたと、ニューヨーク・タイムズは報じている。選挙結果を否定するのは市民だけでなく、候補者の中にも大量にいるのだ。
 彼らは「”選挙の公平性”を取り戻さなければならない」と語る。一方で、不正がなかったとする人は「”選挙の公平性”を守らなければならない」と口にする。選挙は公平かつ公正に行われなければならないという点で両者は完全に一致している。
 だが、その捉え方はまさに正反対だ。投票の監視は「投票者への脅し」なのか、それとも「選挙の公平性を担保するもの」なのか、まったく異なる解釈がなされている。
 それは両者のナラティブ(自身の基盤としている物語)が異なるからだ。公正な選挙が行われたと考える人々は、選挙結果を受け入れない。惜しくは投票を「妨害」するような行為は民主主義の否定だと受け止める。一方で、選挙で不正が行われたと信じる人々は、不正が行われたのに、それを見過ごすことこそ民主主義への脅威だと考える。不正を起こさせないために監視することが正義となる。
 選挙をめぐるアメリカ社会の受け止めは、まるで「合わせ鏡」のようだ。二つの”正義”が衝突しているのだ。日本人にとって、自身が敗れた選挙結果を受け入れないトランプを熱狂的に支持する人がなぜこれだけいるのかはわかりにくいかもしれない。私はこの「合わせ鏡」の世界を理解することが、その理由を腹に落とし込むのに役立つと考える。

 アメリカでの保守とリベラルの価値観の衝突は、文化闘争(culture war)とも表現され、学校現場にも及んでいるそうです。
 ここ数年、アメリカの学校図書館では、特定の本を禁止する「禁書」の動きが広がっていて、アメリカ図書館協会のまとめでは、2022年に禁止の対象となった本は2571作品で、2015年の190作品の13倍以上になっています。禁止されている本は、多くが同性愛者など性的マイノリティをテーマにしたものや、性描写を含む作品、同性愛を自覚した少年が、自分のジェンダーを見いだしていく成長の物語なのです。

 禁書を支持する人に話を聞こうと、発言した人や拍手をした人を見つけて話しかけてみるが、誰もが「メディアと話すつもりはない」とにべもない。返事もしてくれず、手で追い払う仕草をする人もいた。
 またか……保守派の人々を取材していると、こうした場面に出くわすことが少なくない。背景にあるのはメディア不信だ。保守派はメディアがリベラルに寄りすぎだと感じている。取材に応じても発言が歪められ、攻撃の対象になるだけだと感じているのだ。逆に、禁書に反対するリベラルな人々は取材に応じてくれることが多い。自分たちの主張をきちんと届けてくれる、と親和性を感じているのかもしれない。


 日本でのアメリカのニュースが「リベラル寄り」になるのは、取材しやすく、ニュースの素材が得やすい、という面もあるのかもしれません。
 そして、そういう状況で、リベラル寄りの報道が目立つと、保守側の「メディアはあっちばかり贔屓している」という意識はさらに強くなっていくのです。

 この「禁書」についても、保守派は「アメリカの伝統的な価値観を守りたい」「未成熟な子どもたちには影響が大きすぎる」と主張し、リベラル派は「子どもは多様な価値観に触れるべき」だと考えています。
 どちらかが悪なら話はわかりやすいのですが、どちらも、それぞれの「正義」に基づいている。
 僕個人としては、「子どもは自分が読みたい本を読むだけだろう」と思っているのですが、それは、僕自身が「自分の価値観」をはっきりと持っていないから、なのかもしれません。
 今の世の中では、図書館で読めなくても、電子書籍やネットなどで、年齢規制がある作品に触れることも難しくはありませんし。
(実際、この問題について子どもたちに取材をすると「自分たちが好きなものを読めばいいんじゃないか」という反応が多かったそうです)

「私たち」と「彼ら」に分断された世界では、取材する記者の側も立ち位置をはっきりさせるよう迫られることも少なくない。つまり、「あなたは私たちの側なのか、そうでないのか」ということだ。 
 特にトランプ支持者の取材では踏み絵を踏まされるような場面によく出くわした。彼らの会合に顔を出すと、こう尋ねられる。「あなたはどちらを支持しているんだ?」。バイデンかトランプのどちらの側なのかという質問だ。
「私は記者なので、どちらかを支持することはない」
 そう答えるたびに、彼らの表情から読み取れるのは、なんとも言えないしらけた空気だ。「なんだそれ?」と言った声すら聞こえてきそうな表情だ。保守かリベラルか、トランプ支持か反トランプか。深く分断されたアメリカで「どちらでもない」などという立場は考えられないからだ。自分たちが熱心に片方を支持している場合はなおさらだ。
 このしらけた表情を、私は過去に嫌というほど見ている。かつて特派員として3年間暮らした中東のエルサレムでのことだ。出口の見えない紛争を続けるイスラエルパレスチナの溝は限りなく深い。取材では双方から「あなたはどちらの側に立っているのか」と聞かれ、「記者なので中立だ」と答えるたびに、あのしらけた表情が返ってくる。
 紛争地ほど「私は中立だ」という言葉が虚しく響く場所はない。誰もそんなことは信じない。相手側がひどいことをやっているのに中立だというのは、加担しているのと同じだ、という意識があるからだ。


 アメリカの分断は、深い。
 この国は、大きな危機、戦争や外敵の脅威などに対しては、「アメリカ」として一つにまとまる、これまではいつもそうだった、と思うのです。
 でも、これからもずっと、そうなのだろうか。むしろ、また南北戦争のようなことが起こる可能性もある。
 議会襲撃事件なんて、すでに「内乱」ですよね。
 トランプ前大統領が、こんなアメリカを作ってしまったのか、こんなアメリカだから、トランプ現象が生まれてしまったのか。


 著者は、「おわりに」で、こんなふうに述べています。

 本書を読んでくださった読者がどのような印象を持ったかはわからないが、私はトランプ支持者に本当によくしてもらった。一人一人が親切で、温かく、時間を惜しまずに話を聞かせてくれた。
 家族同然に扱ってくれた人も多く、休暇を一緒に過ごし、アメリカらしい経験をさせたいと言って私を狩猟に連れ出してくれた人もいた。取材を超えた付き合いの中で彼らが紡ぐ言葉が、私の理解を深める何よりの助けとなった。取材に協力してくれたすべてのトランプ支持者に感謝したい。本書は彼らの物語だ。彼らから見える合わせ鏡の世界が少しでも読者に伝われば望外の喜びだ。


 民主党支持者の都会に住むリッチなお高くとまった人たちより、トランプ支持者たちのほうが、「日常生活において、よき隣人」なのではないか、と僕は感じずにはいられませんでした。
 そして、彼らはその、身近で小さな平和と安心と希望を守ろうとしている。

 様々な世代別のアンケートや人口比の変化予想をみると、たぶん、世代交代とともに、自然にアメリカの価値観も変わっていくのだと思います。
 「対話」しようとして絶望するよりも、それぞれがうまく棲み分けて、次世代の選択に委ねるしかないのかな、と、この本を読みながら考えていました。
 年齢的に、僕がその変化を実感できる可能性は低いけれど。


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