- 作者: 津村記久子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/02/05
- メディア: ハードカバー
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内容(「BOOK」データベースより)
お金がなくても、思いっきり無理をしなくても、夢は毎日育ててゆける。契約社員ナガセ29歳、彼女の目標は、自分の年収と同じ世界一周旅行の費用を貯めること、総額163万円。第140回芥川賞受賞作。
最初から最後まで、とくに引っかかるところもなく、ツルツルと、のどごし良く読めました。
まさに「無駄のないキチンとした小説」という感じです。
この作品の「女性ばかりが出てくる」という舞台設定もあって、「放浪癖のない角田光代」「男っ気のまったくない絲山秋子」みたいな印象。
津村さんは、とにかく文章と情景描写が上手い人だなあ、と思います。
かわいい、というところはあまりない子供だった。ナガセ自身が、あまり子供をかわいいと思うたちではないのかもしれないのだが、かわいく思ってもらおうとしている子供のことはなんとなくわかる。恵奈にはその片鱗もないことから、べつにかわいいというわけではない子だ、とやはりナガセは思った。ナガセの母親とはうまが合うのか、一緒にいてよく笑っているところを見かけるが、りつ子やナガセにはきわめてフラットな態度で応じる。慎重にカップを吹き、ときどき疲れてやめ、そしてまたカップを吹き、しっかり持って少しずつ中身を飲んでいくさまは、大人びている、というのとは違うのだが、妙に厳格な印象をナガセに植えつけた。
これだけの描写で、この恵奈という「就学前の女の子」の姿が、目の前にくっきりと浮かび上がってくるんですよね。しかも、過剰な修辞や無駄な説明がない。こういう文章を書ける人って、ベテランの作家にもそんなに多くはないはず。
内容としては、本当に「あまりにも何も起こらない小説」で、驚いてしまうくらいです。
僕はこれを読みながら、ここに描かれているのは「小さな希望のふりをした大きな絶望」なのではないかと感じたのですが(だって、ナガセはこんなに働きづめなのに、未来への具体的な希望なんて何も持てていないから)、芥川賞の選考委員のあいだでも、この作品を「こんな時代に足元を踏みしめて生きる女性の小さな希望の物語」とポジティブにとらえた人もいれば、「こんな生活に『適応して自己肯定してしまっている』のはおかしいんじゃないか?」と問題提起をしていた池澤夏樹さんのような人もいたんですよね。
僕は選考委員の人たちより、もう少しナガセの年齢に近いのですけど、正直、「そんなに働いて、この状況を受け入れて生きていくのに疑問を感じないのかナガセ?」って思いました。
いや、「夢」っていうけどさ、どうみてもこの話の後半は、ナガセがちょっと体を壊したら、一巻の終わりであることを予想させてくれますし。
これを「ワーキングプア時代の小さな希望」って、素直に受け入れられる人って、どのくらいいるのだろう?
それでも、「絶望だけを投げつけてくる小説」よりは、読者にとっての「救い」になりうるのだろうか?
確かに、「母と娘が台所で卵を投げつけあう小説」や「なんとなく不倫して競馬場デートしちゃう小説」よりも、はるかに「リアル」なんだけど……
実体としての「男」が出てこないのも、かえってリアルなんだよなあ、この作品……
この『ポトスライムの舟』って、「八月の路上に捨てる」が受賞した2006年上半期(第135回)の選評で村上龍さんが書かれていた、
「現代における生きにくさ」を描く小説はもううんざりだ。そんなことは小説が表現しなくても新聞の社会欄やテレビのドキュメンタリー番組で「自明のこと」として誰もが毎日目にしている。
という問題提起へのひとつの「アンサー」なのではないかと、読みながら考えていました。
いまの時代には、たしかにこういう「小さな肯定感」を与えてくれる小説必要なのかもしれません。
村上龍さん自身の選評からすると、「あまりにキチンとコントロールされすぎている」『ポトスライムの舟』は、あまり好みではなかったみたいですけど。
読みやすい作品ですし、『文芸春秋』の今月(2009年3月)号に全文掲載されていますので、興味のある方はぜひ。