琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】宗教を学べば経営がわかる ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

なぜ日本企業はイノベーションを起こせないのか?

宗教を理解すれば、ビジネスがより深く考えられる。

経営理論から読み解けば、宗教がわかりやすくなる。

変化が激しい時代だからこそ、ビジネスパースンにとって宗教を学ぶことが不可欠だ――。
博覧強記のジャーナリストと希代のの経営学者が初対談。
キリスト教イスラム教から、トヨタやホンダ、イーロン・マスクまで。人や組織を動かす原理に迫る。


・歴史上最も成功した「組織」はキリスト教イスラム
・企業研修は、ミサや礼拝を見習うべし
・「お金のためじゃない」から資本主義社会で成功する
イスラム教が「ティール組織」を作れる理由
米大統領選をも左右する、アメリカ社会の根底にある宗教思想とは?

ビジネスパースンの課題は、宗教と経営理論で解決できます!


 有名な経営者が書いた本を読んでいると、けっこう精神論的なものが多くて、「宗教みたいだな」と思うことがあるのです。
 とくに、カリスマ経営者の言動の社員への影響は、「教祖と信者」のようにもみえます。
 パナソニック松下幸之助さんや京セラの稲盛和夫さん、アップルのスティーブ・ジョブズにテスラのイーロン・マスク


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 今の日本では、自分たちは「宗教的ではない、宗教には縁遠い人間」だと思いがちなのですが、性能は良いとしても、同じくらいの機能のものがかなり安く買えることが多いApple製品を愛してやまず、高いお金を出して純正品を購入する顧客は、ある意味「Appleにお布施をする信者」みたいなものではありますよね。
 他人事のように書いていますが、僕もずっとiPhone+MacBookです。
 
 企業経営者だけではなく、YouTuberやオンラインサロンをやっている有名人などは、自分の「ファン」からお金を集めて、より規模を大きくする「ビジネス」をやっているわけで、結局のところ、神とか宗教的な儀礼というのが縁遠くなっただけで、人は、何かを信じないと生きていきづらいのかもしれません。
 オンラインサロンとか、よく「信者ビジネス」と呼ばれているものなあ。

 
 この本、おなじみのジャーナリスト・池上彰さんと、経営学者・入山章栄さんの対談本で、池上さんが全体の聞き手と宗教について、入山さんが現代経営学の観点からの解説を担当されています。

 カリスマ経営者のもとで、昔から続いている会社って「宗教みたい」だよねえ、なんて言われることは少なくないのですが、逆に言えば、企業というのが成長・拡大していくためには「宗教的な組織づくり」が求められる、という面もあるのです。
 宗教の「教団」というのを維持・拡大していくためには、「経営のセンス」が必要とされますし。
 まあ、Appleスマートフォンに愛着を持ち、機種変更してもiPhoneを使い続けるのと、側から見れば実用性皆無な「ありがたい壺」を買わされるのは同じなのか?と問われれば、「僕はスマホのほうがいいです」としか、答えようがないのですけど。


 入山さんは、「宗教とビジネス・経済が互いに学び合える理由」のひとつとして、こう書いておられます。

 第一に、最も重要なこととして、両者は根底にあるものが「人」であり、「組織」であり、「信じることに向けての行動」という意味で、本質的にはほぼ同じだからだ。先にも触れたが、宗教とは根源的に「何か(超自然的なもの)を信じている人たちが集まり、共に行動する行為・組織のこと」と言える。よく考えれば、これは現代の「理想的な民間企業」そのものである。今後はさらに社会・環境問題が顕在化し、何よりデジタル技術やAIの台頭で変化が激しく、不確実性の高い、先の見通せない時代になっていく。この時代に企業が自らを変化させながら前進するには、(それが超自然的なものでなくても)経営者や従業員が共に信じるべき目的・理念が必要だ。だからこそ、いま多くの企業で「パーパス経営」が注目されている。
 すなわち、そもそも理想的な民間企業とは「同じ経営理念・パーパスを信じている人たちが集まり、共に行動する」組織なのだ。この意味で、民間企業と宗教に本質的な差はほとんどない。実際、私の知る優れた企業には、「入山さん、外ではこういう言い方はできないけど、ウチの会社は宗教みたいなものなんだよ」と、笑いながら語る経営者が実に多い。
 他方で、「理念・パーパスの浸透」が社内で行き渡らないことに悩む経営者・ビジネスパーソンが多いのも事実だ。つまり自分の企業を、いい意味で宗教化できていないのである。


 働いている側からすれば、「パーパスよりも給料や労働環境」だと思ってしまうのですが、人というのは「やりがい」的なものがない仕事を長く続けることは難しいみたいです。いくら稼げても、悪いことをやり続けて生計を立てていける人のほうが珍しい。
 やっぱり「何かいいこと」をやりたいものではあるのです。

 入山さんは、歴史上最も成功した「組織」は、キリスト教イスラム教だと捉えることもできる、と仰っています。
 その宗教も、現在、21世紀のヨーロッパや日本では、その影響力がかなり失われてきていて、ヨーロッパでも日曜日に教会に礼拝に来るキリスト教徒の若者は激減している、という記事を最近読みました。
 それと比較すると、イスラム教では、礼拝が毎日何度も行われることもあり、戒律の厳しさは国や地域によって差があるものの、キリスト教よりも、現在も、より日常に密着しているようです。

池上彰誰もが名前を知っている、ある日本の大企業のOBたちは、「死んだら一緒に入りましょう」ということで、合同でお墓をつくっているんですよ。会社のみんなで永遠の眠りにつこうと。


入山章栄:家族はどうするんですか?


池上:家族も含めてみんなでそこに入るんです。


入山:いやあ、宗教ですね(笑)。


池上:そうなんです。「死んでもみんなと一緒にいたいと思うくらい熱い気持ちがあるから、ウチの会社は成功したんだ」って彼らは言うんですけど。


入山:日本に限らず、たとえばテスラやスペースXは、完全に「イーロン・マスク教」ですね。「教祖」である彼の宗教観というか世界観にみんなが共鳴するから、人が集まってくる。その意味で、強い会社と宗教ってそんなに違いがないと思うんですよ。


池上:イーロン・マスクの下で働くのは大変なんですよね?


入山:まあ、そこで働いていた人の話をうかがった限りでは、ブラック企業的な働き方のようです(笑)。


 長年一緒に過ごしてきたはずの家族でさえ「一緒のお墓には入りたくない」という人がたくさんいるこのご時世なのに!

 世の中に知られている大企業でも、外部からみると、「宗教的」というか、カリスマ経営者の独善的な世界観にイエスマン社員が従っているように見えることもあるのです。
 スティーブ・ジョブズイーロン・マスクの下で働くのは、レベルの高い仕事と、カリスマの逆鱗に触れないことが求められ、僕には「修行」か「天罰」のようにしか思えないのです。
 それでも、彼らの下で働きたい(働きたかった)、という優秀な人材は、後を絶ちません。
 人は「信じるもの」に対してならば、苦行も「やりがい」になってしまうことがあるのです。


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 おふたりは、これからイスラム教の影響力がさらに世界で高まっていくのではないか、と予測されています。
 キリスト教徒が多い西欧諸国では人口減、あるいは頭打ちになってきており、宗教への熱量も低下している。
 その一方で、イスラム教徒はまだ人口が増え続け、出生率も高めの国が多いのです。

池上:移民が多い国では、とりわけ双方の常識がぶつかり合うことになります。たとえばスウェーデンフィンランドは、もともと非常に寛容な社会なので、イスラム系の移民も積極的に受け入れてきました。その中には、自分たちの信仰や生活様式を堅固に守り抜く人たちもいます。これが他の市民からは不寛容に見えることがある。
「自分たちは寛容に受け入れたのに、彼らは不寛容だ」と反感が生まれるわけですね。


入山:難しい問題ですね。移民の人たちが不寛容というわけでもないと思うんですが。


池上:そのように見えてしまう。スウェーデンフィンランドは税金が高いこともあって、「我々のカネで世話をしてあげているのに、彼らの態度はなんだ」となる。寛容な社会は、独立性を守り続けようとする人たちが現れると動揺するんです。


入山:近年、ダイバーシティ、つまり多様性が重要だと言われています。ただ、多様な人の中には、「多様性を求めない人」もいる。その「多様性を求めない」「多様性に反発する」人までも含めて、多様性として受け入れていくべきなのか。これは今後の課題だと思います。


池上:そうですね。実は日本にも、イスラム教徒が集中して住んでいる地域があります。埼玉県の川口市蕨市近辺には、クルド人が大勢暮らしているんです。トルコ国内で抑圧されて逃げてきた人たちで、日本に難民申請をしている。ただ、日本政府としてはトルコとの関係上、難民認定はしにくくて、人道的な配慮から滞在を許可している状態なんですね。彼らは地域のイベントに参加したりして、日本人と積極的に交流している。しかし、一部では周辺住民との軋轢も起きていると聞きます。


入山:はい、最近はネットなどではかなり取り上げられていますよね。少なくとも一部のクルド人にとっての常識は我々日本人と違う。他方で、先鋭的なクルド人の中には、あるいは日本人もそうかもしれませんが、自分の常識だけが正しいと考える人もいるので、別社会の常識を受け入れられない、となるわけですね。
 実は、移民って世界の経済学では、重要な研究テーマになっているんです。例えばアメリカで成功して10億米ドル(約1500億円)以上の時価総額のスタートアップを作った起業家のうち、55%が移民なんです。やはり、移民はものすごいパワーを持っている。アメリカの多様性の強さを示していますね。


 アメリカや西欧諸国に比べると地理的な事情や言葉の壁もあって、これまでの日本で「移民問題」は、あまりクローズアップされることはありませんでした。
 しかしながら、近年、ネットでは、とくにSNSでは、この「クルド人問題」を目にする機会が多くなっています。
 どの人種・民族であっても、問題を起こしやすい人というのはいるから、とは思うのですが、異文化の常識に慣れていない、「郷に入れば郷に従え」なんて言葉を受け継いできた日本の、移民たちと直に接している人たちにとっては、「多様性」で割り切るのは難しいし、「なんで自分の地元ばかり……」と感じるのもわかります。

 僕は若い頃、ラスベガスを観光しているときに、体の大きなアメリカ人たちに声をかけられ、絡まれたことがあって、すごい恐怖を感じました。
 今から思うと、彼らには積極的な害意があったわけではなくて、見かけない東洋人がいるから、ちょっとからかってやるか、というくらいの「挨拶がわり」だったのかもしれません。
 それでも、こちらからすれば、「怖いものは怖い」のです。

 難民として異国で生活する大変さを思えば、その人たちに寛容でありたい、とは思っても、直に接していると、なんだか自分たちばかりが我慢しているような気がしてくる。
 いまの日本は、移民先として、あまり魅力がない国になってしまっているのも事実で、それはそれでせつないことではあるのですが。


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