琥珀色の戯言

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アフリカにょろり旅 ☆☆☆☆☆


アフリカにょろり旅 (講談社文庫)

アフリカにょろり旅 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
世界で初めてニホンウナギの産卵場所を特定した東京大学海洋研究所の「ウナギグループ」。今回の目標は、全18種類のウナギのうち、唯一まだ採集されていない「ラビアータ」を見つけることだった。過酷な状況下、幻のウナギを求めて、二人の研究者が繰り広げる爆笑アフリカ冒険記。第23回講談社エッセイ賞受賞作。

このエッセイ(というか「フィールドワークの記録」と言ったほうがいいのでしょうけど)を読むと、「研究者」っていうのも大変なんだなあ、とあらためて思い知らされます。
東京大学海洋研究所でウナギを研究している青山潤さんと渡邊俊さんが、「幻のウナギ・ラビアータ」を求めてアフリカの大地を彷徨する、というとなんだか「川口弘探検隊」みたいなイメージになってしまうのですが、これがまた地味でハードな旅なんですよ。
東大の研究者のフィールドワークなら、それなりのグレードのホテルに泊まって、現地からも万全のサポートを受けて……
というような想像を僕はしていました。

 一連のウナギ採集調査は、文部省(現文部科学省)の海外学術調査という予算で実施されている。予算額は、当然のことながら必要最低限で見積もられる。現地で「データ」を集めるような仕事ならば、計画は比較的立てやすい。しかし、私たちの目的は「ウナギを手に入れる」ことであり、現場へ行けば必ず成果が上がるという訳ではない。時には、思いもよらぬ苦戦を強いられ、滞在日数が大幅に予定を越えることもある。さらには、撤退を余儀なくされ、計画外の再戦を挑まざるを得ないこともある。
 このため、私たちは宿や食事、移動など切り詰められる部分は、極力切り詰めて予算を温存することにしているのだ。それでも実際にはギリギリで、自腹を切って生き延びることも少なくない。これまでウナギ採集調査に参加した人の中には、「もう勘弁してくれ」という者もいた。しかし幸いなことに、塚本研究室には、「貧乏旅行」を楽しめる種類の人間が多く集まってきていた。

 実際は満員のバスに何時間も揺られたり、現地で最も安いホテルに泊まり(もちろんシャワーお湯なんて出ないし、蚊の大群に襲われまくり)、いちばんの御馳走(というか、なんとか食べられるもの)がカレー、というような状況下でずっと男二人という、『あいのり』が羨ましく思えてしまうような環境で、いつ獲れるかわからない(というか、本当にいるのかもわからない)「幻のウナギ」を追い求めるのが青山さんたちの「フィールドワーク」なのです。
 それも、「アフリカの奥地で自ら船を操って大冒険」ならカッコいいのかもしれませんが、青山さんたちの目的は「冒険」をしに行っているわけではなく、「研究のための標本を採集すること」ですから、現地の漁師たちに「ラビアータ」を見つけてくれるように依頼し、あとはひたすら待つばかり。
 僕だったら、こういう「過酷で退屈な貧乏生活」を異国で強いられる時点で、ついていけないと思うんですよ。
 もちろん、青山さんも渡邊さんも辛そうなときはたくさんあるんですけど、それでも「前向き」なんだよなあ。
 そういう状態にいる自分たちを、こうして「ネタ」にできるしたたかさ、みたいなのもあるし。
 研究者、とくにフィールドワークをする人に必要なのは、何よりも「楽天的な考えかた」と「折れない心」なのでしょうね。

 タイトルから「楽しい冒険小説」を想像された方も多いと思うのですが、実際は「研究者残酷物語」です。
 それでも、いや、だからこそ、「研究者」を目指したり、憧れている人は、ぜひ一度読んでみてもらいたい本です。
 ほんと、「この人たちは、なんでこんな過酷なことを自分からすすんで楽しそうにやっているんだろう?」と疑問になるんですが、その一方で、「そこまでして追い求めたい何か」を持っている「研究者」という生きかたには、やっぱりすごい魅力があるんですよね。
 研究者への憧れはあったものの、研究室で顕微鏡をずっと覗いている生活くらいで、「酔った……」「自分には向いてないなこれは」なんて腐っていた僕にとっては、なんだかすごく眩しい世界でもあり。

 最後にひとつ、このエッセイのなかで、もっとも印象に残った部分を御紹介しておきます。

 大学院に入ってから始めた生態学研究では、何も作り出すことができなかった。ウナギの進化がわかったからといって何の役に立つというのだ。もっと人の役に立つこと、他にやるべきことがあるのではないか、と自問自答していた。大学院修士課程を終えた私は、ある時、ひょんなことから塚本教授に食ってかかった。
「研究者なんて糞だと思います。何もできないくせに口ばっかりで!」
 すると窓の外に目をやった先生は、静かな声でこう言った。
「糞だって時間が経てば肥料になるんだ。百年二百年先には役に立つかもしれないじゃないか」
(そんな事じゃない! 今、この瞬間にも役に立っているのかってことだ。ただの空論なんて聞きたくもない)
 キッと睨みつける私の視線を、先生は寂しそうな顔で受けとめた。
 しばらくたって、市民講座で先生の講演を聴いた。私にとっては目新しくもない「いつものウナギの話」だった。しかし、講演の後、決して豊かとは言えない身なりをした老人と、孫なのだろう、連れて来た子供が目をキラキラ輝かせ、話す声が耳に残った。
「面白かったね。ウナギはすごい所まで泳いで行くんだね。不思議だね」
 その時私は、初めて生態学研究所が何も作り出さないのではなく、自分自身が作り出したものを料理できないだけだったことに気がついた。
(そうか、俺が未熟なだけだったんだ)
 一見なんの役にも立たないようだが、研究活動は立派に人々の心の糧を作り出していたのである。
 思えば、アンデスの友人たちも夜空を見上げて、星の不思議について語り合っていた。たとえ貧しくとも、人が人である限り、知的好奇心は心の栄養になっていることを知った。そして私は、博士課程への進学を決意したのだった。

 現実には奇麗事や理想論だけで「研究」というのがうまくいくわけじゃありません。
 僕もそういう「うまくいかなかった」実例をいくつも見てきましたし。
 それでも、「知的好奇心」というのは、もっとも「人間を人間らしくしている感情」なんですよね、きっと。
 まだ「知りたい」から、「生きたい」、僕はそう思う。
 「そんなことも知らないのか」と嘲る人がたくさんいたとしても。

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