- 作者: 横山進一
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2008/10/09
- メディア: 新書
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内容紹介
2006年ニューヨーク。ストラディヴァリウスのヴァイオリン『ハンマー』が、3億9千万円で落札された。
科学技術が発達した現在なお、18世紀につくられた楽器を超えることができないのはなぜか?
その音色の秘密、ニスの謎、誰にも真似できない曲線美……。多くの人を魅了し、人生を狂わせた至高の楽器を「300歳のプリマドンナ」に喩え、そのすべてを第一人者があきらかにする。
パガニーニなど著名な音楽家やヨーロッパ王室との関係、名器が辿った数奇な運命は、息を呑む面白さとロマンに満ちている。そしてアントニオ・ストラディヴァリが現代に投げかけるメッセージとは?
現在「ストラディヴァリ」というときは通常、製作した人物をさし(たまには楽器をさすこともある)、「ストラディヴァリウス」というときは、彼のつくった楽器をさす。
クラシック音楽に疎い僕にとってのストラディヴァリウスというのは、要するに「高価なヴァイオリンの代名詞」みたいなものです。
ダウンタウンの浜ちゃんがときどきやっている「違いのわかる一流芸能人を判定するための番組」で、「普通のヴァイオリン」と「ストラディヴァリウス」の演奏を聴き比べても、どっちがストラディヴァリウスなのかサッパリわからなかったものなあ。
そんな僕にも、この本で紹介されている「ストラディヴァリウス」についてのさまざまなエピソードは、興味深く読むことができました。
その理由のひとつは、なんといっても、著者の横山進一さん自身のライフワークである、「たくさんのストラディヴァリウスのカラー写真」が巻頭に掲載されていることだと思います。
タリシオ(1795年頃生まれといわれる、イタリアの有名な楽器商・楽器収集家)のもうひとつの大きな功績は、先述の<メシア>をサラブーエ伯爵から手に入れたことである。この名前には、つぎのようなエピソードがある。
タリシオは、ヴィヨームをはじめ、ルポー、シャノーら有名なパリの楽器商たちに、いつもその楽器の素晴らしさを話していた。「ストラディヴァリの手によってほんの数週間前につくられたような」「ニスが手につくような輝きを放つ」逸品で、つぎは必ず持ってきて見せましょうと約束する。ところが、会うたびに話ばかりで、実際にはその楽器を持ってくる気配はない。そこでヴィヨームがいった。
「それではまるで、救世主<メシア>を待つユダヤ人のようだ」
以来、その楽器は<メシア>のヴァイオリンと呼ばれるようになった。
この<メシア>が、どんなヴァイオリンなのか、見てみたくなると思いませんか?
この新書には、<メシア>の素晴らしい写真も掲載されています。
僕はいままで、「鑑賞の対象としての楽器」なんて想像したこともなかったのですが、横山さんの写真を見ていると、ヴァイオリンという楽器の艶かしさに陶然としてしまうのです。
ちなみに、このタリシオという人のエピソードには、こんな続きがあります。
だが、タリシオの奇妙な人生を象徴するのは、その生涯を閉じたときの姿であろう。1854年、ミラノの街外れにあるレストランの屋根裏で、ヴァイオリン二本を胸に抱えて息絶えているところを発見されたのである。
タリシオは死を迎える瞬間までヴァイオリンの収集を怠らなかった。ふだんから生活を切り詰めて、質素な身なりをしていたという。生涯独身で、間借りした屋根裏部屋で、孤独な死を迎えた。
それでもなお、楽器を購入する資金をかたわらに置き、しかも自分で気に入っていた楽器は売らずに二百数十本も手もとに置いていた。商売はうまくいったが、そのお金で買ったのは楽器だけだった。
音楽に魅せられたのであれば、楽器を演奏家に貸し出すなど、パトロン的なことをしてもいいはずだ。しかし、ただ見て、集めて、楽しむだけだったタリシオは、いったい何に固執し、どんな魔性に魅入られていたのだろうか?
なんというか、人間というものの不可解さを考えさせられる話ではありますよね。
本当に、タリシオにとって、どうして「楽器」だったのだろう?
でも、横山さんの写真を見ていると、なんとなく、タリシオの気持ちもわかるような……
「音」というのを言葉で表現するのは難しいのですが、この本のなかでは、ストラディヴァリウスの音について、こんな演奏家たちの話が紹介されています。
多くの演奏家から、つぎのようなことばをよく聞いた。
「ストラディヴァリウスは、耳もとでは静かだ」
それでいて演奏会場で聴いている人によれば、
「一音一音が、あたかも自分だけのために演奏されているかのように聞こえる」
同じことを、私もしばしば感じた。長らくストラディヴァリに傾倒しているためかもしれないが、ホール内のどこの場所で聴いても、まるで自分ひとりのために弾いてくれているかのように聞こえるのである。しかも、そのように音の通りがよいにもかかわらず、演奏者は決してしゃにむに弾いているようには見えない。
「ストラディヴァリウスは、音を持っています。すでに音楽がそこにある。自分は弓を楽器の弦に乗せて動かすだけで、音楽が流れ出てくるのです」
以前、演奏家のイツァーク・パールマンにインタビューした際、ストラディヴァリウスとほかの楽器とのちがいついて、彼はこう表現した。
また、このような名器は、「いままでにこの楽器を弾いてきた人たちの音楽性や音楽を、楽器のなかにたくわえている」とも語ってくれた。演奏家だけに可能な楽器とのコミュニケーションを感じさせてくれる。
こういう話を読むと、僕もあらためて、ヴァイオリンの音を「聴いて」みようと思うのです。
そうそう、僕はいままで、「有名ヴァイオリニスト」=「ストラディヴァリウス」というイメージだったのですが、実は、世界的に有名なヴァイオリニストには、グァルネリ・デル・ジェスという人がつくったヴァイオリンを愛用している人もけっこう多いということを、この本を読んではじめて知りました。クラシック・ファンにとっては「常識」なのでしょうけど、「世間のイメージ」ほど、「ストラディヴァリウスひとり勝ち」ではないんですね。
マニアには物足りないかもしれませんが、「ストラディヴァリウス」「ヴァイオリン」「クラシック音楽」にちょっと興味を持った人にとっての入門書としては最適の本なのではないかと思います。
とにかく、巻頭の写真だけでも、ぜひ一度見てみてください。