ストーリー:戦後の混乱期、酒飲みで多額の借金をし浮気を繰り返す小説家・大谷(浅野忠信)の妻・佐知(松たか子)は、夫が踏み倒した酒代を肩代わりするため飲み屋で働くことに。生き生きと働く佐知の明るさが評判となって店は繁盛し、やがて彼女に好意を寄せる男も現れ佐知の心は揺れる。そんな中、大谷は親しくしていたバーの女と姿を消してしまい……。
土曜日の11時からの上映で鑑賞。
観客は30人くらいで、こういう「文芸もの」としては、けっこう入っているな、という印象でした。
主演の松たか子、浅野忠信のふたりをはじめとして、キャストはけっこう豪華ですし(広末涼子さんや妻夫木聡さん、堤真一さんも出てたんですね、観てはじめて知ったのでちょっと驚きました)、根岸吉太郎監督が「モントリオール世界映画祭、最優秀監督賞」を受賞したことも追い風になっているのでしょう。
しかし、この映画、僕にとっては、なんというか、一筋縄ではいかないというか、ものすごくモヤモヤとしたものが残ったんですよね。
この映画の公式ホームページには、こんなふうに書かれています。
太宰治 生誕100年。ある夫婦をめぐる「愛」の物語。
でもなあ、これって、「愛」なのか? いわゆる「共依存」なんじゃないの?
じゃあ、「愛」と「共依存」の境界は?
太宰治自身がモデルと思われる、作家・大谷は、とにかくひどい男なんですよ。酒に溺れ、自分は「不安」を理由に浮気を繰り返すのに、妻の浮気を極度に恐れるだけではなく、「妻は浮気をしているのではないか?」という妄想に自ら取り込まれてしまう。身勝手で、ワガママで、理不尽。
でも、彼は「自分を愛してくれる人」「自分を助けてくれる人」をちゃんと見分けてしまう本能をもっていて、「死なない」くせに、「死ねない」と嘆くばかり。
この作品を観ていると、貞淑な妻・佐知に、どうしても感情移入してしまいます。
……と言いたいところなのですが、物語が進んでいくにつれ、僕はなんだか、佐知の「純粋さ」が疎ましく思えてきたんですよね。
ああ、佐知は、立派な妻だなあ、ただ、こういう純粋で真面目な人が傍にいたら、幸福なのと同時に、劣等感を抱かずにはいられないのではないか?
僕自身も、妻に対して「劣等感」を消せないときがあるので、大谷が佐知と一緒に生活することの「息苦しさ」も、なんとなく理解できるような気がします。
佐知と一緒にいることによって、「ダメ人間」である自分が、いっそうクリアになっていくというやるせなさ。
それなら、いっそのこと、「もっとどうしようもなくダメな人間であること」に逃げ込んでしまいたい。
「自分の配偶者に、劣等感も何もないだろ!」と思う人は多いだろうけど、そういうふうに感じる人間って、いるんですよ実際に。
この作品は、「女性の自立の物語」だという感想が多いみたいなのですが、僕には「『愛』というもののやるせなさ、どうしようもなさ」を描いた物語のように思えました。ラストも感動というよりは、「どうせまた同じことが繰り返されるのだろうな……」という諦念が僕のなかには渦巻いていましたし。
ただ、それはけっして、「いやな気分」ではなくて、「人間には、いろんな関係があって、どれが正解ってわけでもないんだよな」という「ささやかな希望」でもあったのです。
松たか子さんは、Yahoo!映画でのインタビューで、この映画について、こんなことをおっしゃっていました。
Q:最後に、悩める女性たちにとって、応援映画にもなりそうな本作の見どころをお願いします。
松たか子:そうですね。ただ、女性が自立するだけのような映画に受け取られてしまうと、そういうつもりで佐知を演じていたわけじゃないので、趣旨と違ってしまうかもしれません。男性に頼っていいとわたしは思っていますし(笑)。男女という違う生き物が生きているこっけいな姿を見てもらって、そこが美しかったり、カッコ悪かったりするわけですが、自分はこの二人よりはマシかもって思ってもらえれば(笑)。生きていさえすればいいというセリフも出てきますが、ちょっと考え方を切り替えたり、希望を感じてもらえたりすればうれしいですね。
参考リンク:『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』松たか子 単独インタビュー
世の中には、「正しさ」だけじゃ割り切れないものがある。
まあ、太宰みたいな「甘え上手」じゃない僕は、「ただし、イケメンに限る、だよな……」というような気分になったのも事実なんですけど。