琥珀色の戯言

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青春少年マガジン ☆☆☆☆☆


青春少年マガジン1978~1983 (KCデラックス 週刊少年マガジン)

青春少年マガジン1978~1983 (KCデラックス 週刊少年マガジン)

内容説明
家賃8千5百円の四畳半で、新潟から漫画家を夢みてやってきた19歳の小林まこと青年が食中毒で死にかけていた。上京して1年、挫折寸前の小林青年の元に届いた朗報は、少年マガジン新人賞入選! 半年前に応募した作品が賞金100万円獲得、即デビューとなった! いきなり開いた漫画界への扉、そして怒涛の週刊連載! 瞬く間に新人ラッシュ時代の旗手となる。だが笑いに満ちた青春時代も、やがて終わりを告げ‥‥。

いろんなところで紹介されていたこの作品なのですが、僕は実際に読むまで、「ウェットなお涙頂戴モノ」なのではないかと思っていました。
でも、実際に読んでみると、ここに描かれていたのは、「新人漫画家が一挙に台頭して、それまでの『大御所』たちを押しのけ、新しい『週刊少年マンガの時代』をつくっていく、瑞々しい、そして鬼気迫る「創造者」たちの姿だったのです。
僕は『1・2の三四郎』を『週刊少年マガジン』連載中にリアルタイムで読んでいたわけではないのですが(『柔道部物語』『What’s Michael? 』はリアルタイムで読んでました)、小林まことさんが、大和田夏希さん、小野新二さんの両名と「新人三馬鹿」としてお互いに切磋琢磨し、まさに「命を削って」マンガを書いていた姿には、「ああ、こんなに打ち込めるものとライバルがいてうらやましいなあ」と感じた一方で、「クリエイターとして生きることのせつなさ」みたいなことを考えずにはいられませんでした。
医者という仕事は僕にはきつくて、頻繁に「こんな休みもない、責任ばかり重くて疲れる仕事をなんでやってるんだろうなあ、もっと『ものを創る』ような仕事に就きたかったなあ」なんてことを思うのです。
しかしながら、「マンガ家」という仕事は、まさに「自分で描かないと、何一つ先に進まない」、そして、「もし自分がイヤになって投げ出してしまっても、『代わりはいくらでもいる』」のです。
人気マンガ家は、好きなことを仕事にできて、読者には喜ばれ、大金が稼げて羨ましいなあ、と漠然と考えていたけれど、これだけマンガ家になりたい人間が多い世界で、「売れっ子」として生きていくためには、「人生を楽しむための時間」なんて、どこにも無くなってしまうのですね……
「週刊の少年マンガ」というのは、基本的に無理があるシステムなのかもしれません。
時代がそれを求めたために、そのシステムは、たくさんの若いマンガ家(とその卵)たちを使いつぶしながら、いままでずっと続いてきたのです。

小林まことさんは生き残ったけれど、大和田夏希さんと小野新二さんは燃え尽きてしまった。
小林さんは、そのことを友人として、とても淋しがっているし、彼らのことを少しでも多くの人の記憶にとどめるために、このマンガを描かれたのだと思います。
僕は、やっぱりこんなふうに感じるんですよ。
「そんなボロボロになるくらいに無理をしてマンガを描かなくてもよかったのに」「もっとマイペースでやることだって、できたんじゃない?」
しかしながら、小林さんは、2人の親友が「マンガに殉じたこと」を、あの時代に生きたマンガ家としては、「そうなるのが運命だった」ように受け入れているようにも見えるのです。

つまらないマンガを適当に描いて、つまらない人生を長生きするよりは、命を削ってでも、面白いマンガを遺すことを選んだ「マンガバカ」。
ひとりの小林まことには、2人の道半ばにして倒れた親友がおり、その陰には、多くの「無名のマンガ家」がいて、さらにその下には、無数の「マンガ家になることすらできなかった人たち」がいる……

「創造」という仕事は、怖い。
上に行けば行くほど、道は狭く、急になっていく。

オレも小野さんにものを言う資格は無い。
3日や4日寝ないのは当たり前。
20時間くらい何も食わないのも当たり前。
たばこは呼吸のように1日7箱。
缶コーヒーは1日10本以上。
締め切りのストレスで胃はボロボロ。
逃亡したこと数回‥‥

大げさと思うかもしれないが、オレはいつも神様にこうお願いしていた。

神様!!
オレはいつ死んでもかまいません

ただ!
今週号だけは仕上げさせてください。

にもかかわらず、読者は「毎週、そのマンガが載っていること」を当然だと思っているし、それができないマンガ家は、容赦なく「淘汰」されていくのです。
これは、医療の世界も同じなんですよ、たぶん。
医者は「徹夜明けでもミスは許されない」し、「ベッドが無い」という理由で夜の急患受け入れを断れても、「当直医が疲労困憊しているため」という理由で拒絶してはいけない。
以前、雪印の社長が「私は寝てないんだっ!」と「逆ギレ」したことで世間から大バッシングを浴びていましたが、僕はあの社長の精神状態が理解できます。
「寝ていない」「眠らせてもらえない」という状況が、いかにキツイかというのは、そういう立場になった人じゃないと、わからないと思う。

小林さんは、「自分が生き残れていること」に、ある種の「運のよさ」を感じているのではないでしょうか。
僕も、若くして仕事や生きることを止めてしまった仲間たちのことを思い浮かべると、自分はツイていたんだな、というのと、次は自分の番なのではないかな、という気持ちが入り混じるのです。
現場がそういう状況であっても、「読者」や「患者」が「じゃあ、休んでいいよ」と言ってくれることはありません。
医者は「休職」が許されるケースがありますが、マンガ家の場合は、「描けなくなったら、消えていくだけ」ですから、なおさら厳しい。

それでも、マンガ家は、描き続ける。描かずにはいられない。
そして、多くの屍を越えて、「マンガの世界」は、広がっていく。
尊いのか、バカバカしいのか、楽しいのか、つらいのか、うらやましいのか、うらやましくないのか、いろんな感情が混じり合って、うまく言葉にできません。
ただ、このマンガを読めてよかったし、これを連載することを認めた『マガジン』の関係者の英断にも感謝します。


それにしても、小林さんが高校時代に「柔道の試合で、相手にブレーンバスターをかけられて負けたことがある」という話は、本当なのかなあ。
ネタを引きよせてしまう人生っていうのも、あるのかもしれませんね。

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