琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

毎月新聞 ☆☆☆☆☆


毎月新聞 (中公文庫)

毎月新聞 (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
毎日新聞夕刊紙上で、月に一回掲載された日本一小さな新聞、その名も「毎月新聞」。その月々に感じたことを独自のまなざしと分析で記した、佐藤雅彦的世の中考察。人気の3コマまんが「ケロパキ」に加え、文庫オリジナルの書き下ろしも収録。

うーむ、佐藤雅彦さんは本当にすごい。
東大を出て電通に入社し、湖池屋の「ポリンキー」、「ドンタコス」や、NECの「バザールでござーる」を手がけ、プレステで『I.Q インテリジェントキューブ』を作り、作詞・プロデュースをつとめた『だんご3兄弟』は大ヒット、僕が子どもと一緒に観ている『ピタゴラスイッチ』の監修もされています。
まちがいなく、日本を代表するクリエイターのひとりです。

この『毎月新聞』は、そんな佐藤さんが、毎日新聞の夕刊で、1998年から2002年まで、月一回掲載していた「日本一小さな新聞」を集めて書籍化したものです。
書店で佐藤さんの著書だからとなんとなく購入したまま、けっこう分厚いから読むの大変だろうな、と積んだままになったいたのですが、読み始めてみると、佐藤さんの視点のすばらしさと文章の巧みさにすっかりハマってしまい、けっこう字が大きいこともあって、すぐに読み終えてしまいました。
この『毎月新聞』が2002年で終わってしまったのが残念でなりません。
幅広い知識と、バランスのとれた視点。そして、「他人に読んでもらうための」技術。
「このアイディアはすごいな!」と唸る回もあれば、佐藤さんの熱意に驚かされる回もあり、第34号の「真夏の葬儀」のように、淡々と情景を描写しているだけなのに(いや、それだからこそ)「悲しみ」が染みわたってくる回もある。

「海亀のスープ」という名前の、とても面白い推理ゲームがある。マサチューセッツ工科大の学生が作ったと言われているこのゲームは、通常数人のグループでおこなわれる。「海亀のスープ」の話の真相を知っているひとりの人間が出題者となるのだが、まず出題者はほかの参加者全員に対して、この話の悲劇的な結末だけを伝える。
 ここからゲームは開始する。なぜ、そのような悲劇的な結末をむかえたのか、参加者は推論して、出題者に次々と質問する。
 この質問の方法、ここにこのゲームの最大の特長がある。それは、『質問は無限にしていい』ということだ。
 その悲劇的な結末を、かいつまんで言うと、幸せに暮らしているある中年の夫婦がその年の結婚記念日に、海の見えるレストランで豪華な食事をはじめる。そして、最初に運ばれてきた海亀のスープをひとくち飲んだとたん、夫はテーブルの上にあったナイフを自分の心臓に突き刺し、死んでしまうのだ――。
 なぜ海亀のスープをひとくち飲んだだけでその男が自殺をしてしまったのか。様々な憶測が飛びかい、様々な質問が出題者に向けられる。
 出題者は、質問すべてに対して、イエス・ノーで答えなくてはならない。参加者達は、そのイエス・ノーの答えだけを頼りに、ストーリーの全貌を予測していく。解き明かすまでの、1回限りのゲームである。

この話、どこかで聞いたことがあるな、と思われた方も多いのではないでしょうか。
少し前にニンテンドーDSでヒットした『スローンとマクヘールの謎の物語』というゲームのCMで紹介されていたのが、この問題だったんですよね。
僕はこのゲームをクリアしたので「答え」を知っていますが、正直、「なんて後味の悪い話なんだ……これをCMに使うか?」と感じたことをよく覚えています。

ちなみに、この回を佐藤さんは、こんなふうに締めておられます。

 いい質問は、新しい枠組みを開拓する。
 例えば、ニュートンはいきなり万有引力を発見したのではなく、まず初めに「なぜ物は下に落ちるのか」という質問を自分に投げかけた。それまで、こんなばかげたそして独創的な質問は誰もしなかった、いや出来なかった。そしてその質問の先に待ちかまえていてくれたのが「万有引力」という答えだったのだ。
 私たちは、質問(=問題)ができた時に初めて答えに向かって進むことができる。極端な言い方をすれば、素晴らしい質問ができた時、その先に素晴らしい答えが用意されていると言ってもいいほどである。

10年も前に書かれたものなのに、読んでいると、いままでの自分の視野の狭さ、頭の固さを痛感させられっぱなしです。

 故郷で独り住まいをしている高齢の母親は、テレビの野球中継をとても楽しみにしています。「この松井って子はいいよねえ」と、目を細めながら応援しています。そして、好きな番組が終わると迷いもなくテレビを消すのです。たまたま帰郷していた僕は、そんな母親のあたり前の態度にハッとしてしまいました。『面白い番組を見る』――こんなあたり前のことが僕にはできなかったのです。
 テレビを消した後、静けさが戻ったお茶の間で母親は家庭菜園の里芋の出来について楽しそうに僕に話し、それがひと通り終わると今度は愛用のCDラジカセを持ってきて、大好きな美空ひばりを、これまた楽しそうに歌うのでした。
 僕はそれを聴きながら、母親はメディアなんて言葉は毛頭知らないだろうけど、僕なんかより、ずっといろんなメディアを正しく楽しんでいるなあと感心しました。そして目の前にある消えているテレビの画面を見つめ、先日のやつあたりを少し恥ずかしく思うのでした。
 つまらない番組を見て、時間を無駄使いしたと思っても、それは自分の責任なのです。決してテレビの責任ではありません。リモコンにはチャンネルを選ぶボタンの他に「消す」ボタンもついています。
 僕達は、当然テレビを楽しむ自由を持っていますが、それと同時にテレビを消す自由も持っているのです。

テレビに「消す」ボタンがついているのは当然だと、僕はずっと思っていました。
逆に、ついてなかったら驚くでしょうけど。
でも、こうして考えてみると、たしかに、「テレビ番組の質の劣化」を嘆くのなら、「見なければいい」のですよね。
テレビというのは、「亀田兄弟やバラエティ番組をバカにしながらも見ている人たち」に支えられている。
僕らはいつも言っています。
「こんなくだらない番組ばっかり作って、テレビはダメになった」
本当にダメなのは、「テレビを消すことができない自分」なのに。

こういう「目のつけどころ」って、そう簡単に身につくものではないのだろうけど、少し触れてみるだけでも、けっこう良い刺激にはなると思います。
「ものを創ること」に興味がある人には、ぜひ読んでみていただきたい一冊です。

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