琥珀色の戯言

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学問のすすめ 現代語訳 ☆☆☆☆


学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

内容(「BOOK」データベースより)
近代日本最大の啓蒙思想家・福澤諭吉の大ベストセラー『学問のすすめ』。本書は歯切れのよい原書のリズムをいかしつつ、文語を口語に移した現代語訳である。国家と個人の関係を見つめ、世のために働くことで自分自身も充実する生き方を示した彼の言葉は、全く色あせないばかりか、今の時代にこそ響く。読めば時代情勢を的確に見極め、今すべきことを客観的に判断する力がつく。現代にいかすためのポイントを押さえた解説つき。

表紙の「齊藤孝=訳」というのを見て、なんとなく読んでもいないのに食傷気味になったのですが(最近、本に齋藤先生と勝間和代さんの名前を見かけるだけで、「ああもういいや」という気分になるのです。齋藤先生の本は、読んでみるとそんなにつまんなくはないんですけど……)、以前読んだ『慶應幼稚舎』で紹介されていた、福澤諭吉の思想が気になっていたので購入。
読んでみると、かなり現代的な言い回しになっており、読みやすい『学問のすすめ』になっているのですが、「これって『超訳ニーチェ』みたいな、アバウト翻訳なのでは……」という不安も若干あります。
とはいえ、原書を読むのは僕には不可能だから、いたしかたない。

この『学問のすすめ』を読んで感じたのは、「やはり、長い間読み継がれるものには、それだけの『普遍的な価値』があるのだな」ということでした。
いま売れている「ビジネス著」「自己啓発書」を何冊も読むより、この『学問のすすめ』を1冊精読するほうが、よっぽど意味があるんじゃないかな。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。
 つまり、天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また互いに人の邪魔をしないで、それぞれが安楽にこの世をすごしていけるようにしてくれているということだ。
 しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい人も、金持ちもいる。また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差と呼ぶべき違いは、どうしてできるのだろうか。
 その理由は非常にはっきりしている。『実語教』という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。

冒頭の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」ばかりが独り歩きしてしまい、「福澤諭吉は人間の平等を宣言した立派な人」だと世間では思われがち(というか、最近まで僕もそう思っていました)なのですが、実際のところ、福澤諭吉が訴えたのは、あくまでも「機会平等」であり、「結果平等」ではないんですよね。
「みんなスタートラインは同じなんだ、あとは、学ぶか学ばないか、それで人間の価値が変わってくるんだ」ということです。

学問のすすめ』は、けっして、甘いことばかりが書いてある本ではありません。

 西洋のことわざにある「愚かな民の上には厳しい政府がある」というのはこのことだ。これは政府が厳しいというより、民が愚かであることから自ら招いたわざわいである。愚かな民の上に厳しい政府があるとするならば、よい民の上にはよい政府がある、という理屈になる。いまこの日本においても、このレベルの人民があるから、このレベルの政府があるのだ。
 もしも、国民の徳の水準が落ちて、より無学になることがあったら、政府の法律もいっそう厳重になるだろう。もし反対に、国民がみな学問を志して物事の筋道を知って、文明を身につけるようになれば、法律もまた寛容になっていくだろう。法律が厳しかったり寛容だったりするのは、ただ国民に徳があるかないかによって変わってくるものなのである。
 厳しい政治を好んで、よい政治を嫌うものは誰もいない。自国が豊かになり、強くなることを願わないものはいない。外国にあなどられることをよしとするものもいない。これは人の当然の感情である。
 いまの世の中に生まれて、国をよくしようと思うものは、何もそれほど苦悩する必要はない。大事なことは、人としての当然な感情に基づいて、自分の行動を正しくし、熱心に勉強し、広く知識を得て、それぞれの社会的役割にふさわしい知識や人間性を備えることだ。そうすれば、政府は政治をしやすくなり、国民は苦しむことがなくなり、お互いに責任を果たすことができる。そうやってこの国の平和と安定を守ることが大切なのだ。私がすすめている学問というのも、ひたすらこれを目的としている。

これは、あくまでも「理想論」だと言う人も少なくないでしょう。
でも、福澤諭吉がこうして明治のはじめに書いたことは、平成22年、2010年に生きる日本人にとっても「真理」だと思うのです。
民主党の失政をネットで嘲笑う人は多いけれど、ああいう「情けない政府」を生んだのは、「情けない国民」なのでしょう。
そもそも、選挙のときに投票したんだし。

それにしても、福澤諭吉の言葉は厳しい。

 また、世間で事を企てている人の言葉を聞くに、「一生のうちに」だとか、あるいは「十年内にはこれを成す」という者は最も多い。「三年のうちに」「一年のうちに」という者はやや少なくなり、「一月のうちに」「今日計画して、いままさにやる」と言う者は、ほとんどいない。「十年前に計画していたことは、もうすでにやり終わったよ」というような者に至っては、いまだお目にかかったことがない。
 このように、将来に長い期限をとって言うときには、たいそうなことを計画しているようだけれども、期限がだんだん近くなって、今日明日とせまってくるにしたがって、その計画の経過をはっきりと言えないということは、結局、事を企てるに当たって、時間のかかり方を計算に入れないことから生じているのである。

これなんかもう、耳が痛いとしか言いようがありません。
将来に向かって大言壮語するだけで、いつのまにかそんな目標があったことすら忘れてしまう。
そして、「昔は夢を持ってたなあ」なんて、懐かしがりさえする。
いや、人間って、こんなものなんですよね、きっと。
そしてそれが、明治のはじめのころから、人間の変わらない性質だったのです。

この『学問のすすめ』、本当に「この本一冊読めば、ビジネス書や自己啓発本は、他には要らないのではないか」と思うくらい、「人はなぜ学ぶべきか」「人は『組織』や『国』とどう向かい合っていくか」が書かれている本です。
「古い本」だからこそ、いま、あらためて読んで驚かされること請け合い。
騙されたと思って、一度読んでみることをオススメします。
これを読むと、同じ内容の繰り返しの「自己啓発本」に、いかに騙されてきたのかが、よくわかるから。


慶應幼稚舎 (幻冬舎新書)

慶應幼稚舎 (幻冬舎新書)

参考リンク:『慶應幼稚舎』感想(琥珀色の戯言)

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