琥珀色の戯言

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「17歳」さんへの手紙

「きっと何者にもなれない」あなたへ - 琥珀色の戯言

このエントリには多くの反応がありました。
そのなかで、こんなことをコメント欄に残してくれた人がいました。
今日は、このコメントについて考えたことを書いてみたいと思います。

17歳


2011/10/04 21:51


私は高3です。今年野球部を引退しました。

小5から野球を続けていましたが、決して上手くはなかったです。それでも、努力すれば結果が必ず返ってくると信じてやってきました。
結局、最後まで結果は残らずに終わってしまいましたが、粘り強さと根性を…


と、これは面接のときに言う台詞にしか過ぎません。私が本当に欲したのは野球の上手さです。実際に、私と同じような人は大勢います。その中でも、結果が残る人はわずかです。そういう人たちを基にした話が、「やればできるんじゃないか」という気にさせてくれるのだと思います。しかし、私は本来欲しかったものに手が届かなくて、悔しさと虚しさでいっぱいでした。この記事を見て、省みさせられました。


しかし、私は研究者になるために大学へ行きます。研究者は自分の論文が評価されなければやってけない仕事です。そこでまた挫折を味わうかもしれません。むしろ、そうなることを確信しています。自分は、呼吸をするように勉強をしている人間ではありません。そういう人間には足下にも及ばないでしょう。

それでも私は進みたいと思います。根拠は、生き物らしく生きるためです。私がしたいことをしたいからです。この考えはバカで無謀で愚策かもしれません。でも、バカっていうのは悪いことじゃない気がします。「バカだな俺は、どうしてこんな道選んだんだよ」というのが私の夢です。運良く成功したらそれとなく喜びます。

なんにしても、難しいフィールドで競争することが人間、いや、生物にとっての淘汰であり、人間が生き物らしく生きるための「生存戦略」であると思います。


私は、きっと何者にもなれないということを、わかった気でいるのでしょうか?


 率直に言います。
 あなたは、「何者にもなれないということを、わかった気でいるだけ」です。
 でもね、僕はあなたのコメント、すごく好きだし、こういうふうに感じて、書いてくれる人がいてよかったなあ、と感謝しています。

 いや、本当に「何者にもなれない」なんて悟っている17歳とかいたら、それこそ変ですし、まだ時間に余裕がある人と、そうではない人の「切実さ」って、同じじゃないと思うんですよ。
 20歳の男の「俺、どうせ結婚できないし」と、40歳(今の世の中では、45歳くらいのほうが妥当なのかな)の男の「どうせ結婚できない」では、「同じ言葉でも、絡み付いた重しが違います。

 「先が見えない」「可能性はある」っていうのは、それだけで「希望」ではあるんですよね。

 あなたが、野球を一生懸命やったけれど、超一流のプレイヤーになれなかったことを悔しいと感じている気持ちはわかります。
 その一方で、「超一流のプレイヤーになれなくても、投げ出さずに続けてきたこと」を誇りに思っていることも。

 僕も昔、下手くそなのに、あるスポーツをずっとやっていました。
 結局最後まで結果は出せなくて、最後の試合のあと、会場の隅っこに隠れて泣きました。
 でも、それは「悔しかったから」じゃなくて、「よくこんなに下手くそでも、いままでがんばって続けてきたな、偉いよ俺」という感情が溢れてきたからです。
 悔し泣きは人生でたくさんしてきたけれど、自分を褒めてやりたくて泣いたのは、この一度きりです。
 僕はつらいとき、あのときのことを思い出します。
 あのとき、自分を認めてあげられたことが、「心の支え」になっているのです。


 あなたに読んでもらいたいエントリが、2つあります。
 ちょっと長いけど、読んでみてもらえると嬉しい。

参考リンク(1):それでも、「努力すれば報われる」 - 琥珀色の戯言


参考リンク(2):キムタク、ありがとう。



世の中には、いろんな価値観があります。
以前、世界的に有名な教授のお供で海外に行ったことがあるのですが、その飛行機のなかで騒がれていたのは、教授ではなく、たまにテレビに出るくらいの芸人さんで、内心「世間での知名度って、こういうものなのだなあ」なんて、少し悔しい気分になりました。
 毎日富士山に登ることを生き甲斐にしている高齢者もいれば、宇宙にロケットを飛ばして、地球から、ずっとその行方を見守っている人たちもいます。
 自分が生きている間に、そのロケットが還ってくるかどうかもわからないくらいの「未来」のために。


 「何者か」について、多くの人がいろんな解釈をしてくれましたが、僕がそれをはっきり書かなかったのは、自分でもよくわからなかったからなのです。
 ただ、僕の言いたかった「何者か」っていうのは、そう簡単に、他人に決めつけられるようなものじゃない、とは思っています。


 僕はあなたが「何者か」になれるかどうか、わかりません。
 ただ、ひとつだけ言えるのは、「何者か」になろうとするのは、ラクなことじゃない、ということです。
 簡単になれそうな「何者か」は、砂漠にあらわれる、オアシスの蜃気楼みたいなものです。
 才能の有無っていうのはもちろんあるんだろうけれども、努力しないで「何者か」になった人は、たぶん、いません。

 母親は小さな頃の僕によく「それはもう、頑張るしかないねえ」と言っていました。
 僕は内心、「もうこんなにがんばっているのに……」と反発していました。
 でも、自分が当時の母の年齢に近くなってくると、世の中には「がんばるしかない」状況があって、他人に「がんばれ」としか声をかけられないときがあるのだな、ということがわかってきました。


 だから、月並みな言葉だけれど、「がんばってください」。
 小さな縁ではありますが、僕はあなたのことを、すごく応援しています。
 「何者か」になってください。
 そして、しあわせになってください。


 最後に、僕の座右の銘森博嗣先生の言葉を、いま17歳のあなたに贈ります。

 経験できるのは、僅かに自分の人生一回だけだ。他人の人生も、自分の別の人生も、無理。人生経験が豊かな人というのは、基本的に嘘である。

 「野球で挫折した経験」を、これからの自分にとってプラスにするのも、マイナスにするのも、あなた次第です。
 あなたは、「自分のやりたいことができる環境」に生まれることができて、それをためらわずにやろうとしている。
 それは、人類の歴史のなかでは、とても幸運なことであり、すばらしいことなのだと僕は思います。
 どうか、「自分の人生」を大事にしてください。


 僕も、まだまだ、あがいてみますよ。
「往生際の悪い40歳にしか書けないこと」もあるはずだから。

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