- 作者: 松永多佳倫
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/01/19
- メディア: 単行本
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内容(「BOOK」データベースより)
野球界に閃光のごとく強烈な足跡を残した、伊藤智仁、近藤真市、上原晃、田村勤ら七人の壮絶な過去と第二の人生を描く感動のノンフィクション。
何ヵ月か前、『怒り新党』で、伊藤智仁投手の新人時代のピッチングが紹介されていました。
巨人戦、素晴らしいピッチングで、三振の山を築くも味方の援護がなく、0−0で迎えた最終回。
巨人の篠塚選手にサヨナラホームランを打たれた試合、僕もリアルタイムで観ていました。
「ああ、野球っていうのは非情だな……」と、唖然としたのを記憶しています。
あの年の伊藤智仁投手のスライダーのキレは、ヤクルトファンではない僕にとってもすごくインパクトがあって、「テレビゲームみたいだ……」と思っていました。
結果的には、伊藤投手は2ヵ月間の「酷使」が祟って、オールスター戦前に怪我で離脱してしまい、その年の実働は2ヵ月間にとどまったのですが、新人王に輝いています。
新人王というのは、「1年間を通しての活躍」が重視されることが多いのですが、あの年の伊藤智仁の存在感は、わずか2ヵ月間でも、1年分以上のインパクトがありました。
それにしても、人間の記憶というのは自分の都合の良いように作り替えてしまうものですね。
僕は「伊藤智仁は、ルーキーイヤーに怪我をしたまま長いリハビリも奏効せずそのまま引退した」と思い込んでいたのですが、実際は何度も怪我とリハビリを繰り返しながら、ヤクルトで先発、リリーフとしてそれなりに活躍していたのです。
復帰後も、リアルタイムで少なからず観ていたはずなのですが、なぜそれを忘れてしまったのだろう。
伊藤智仁を見ると、なぜか切なくなる。いきなり絶頂期を見てしまったからか。たった二ヵ月弱の輝きが脳裏にこびりつき、いつまでも忘れることができない。
「ルーキーイヤーは単なる一年です」
伊藤智仁は淡々と語った。なんで一年目のことを何度も何度も取材をするんだという懐疑的な思いを持っているかのように。
「僕の野球の取材は、ルーキーイヤーのことしかないですから」
目尻に皺を寄せながら少し自嘲気味に笑って話す。伊藤自身と他人との間に大きな感情のズレが生じている。天才とは得てしてそういうものなのか。
当たり前のことなのですが、本人にとっては、大活躍したルーキーイヤーも、リハビリに明け暮れた年も、同じ「一年」だし、苦労したという意味では、後者のほうが記憶に残っていることもあるんですよね。
でも、周囲は、活躍していた2ヵ月間のことばかりにこだわり、「悲劇の人」だというレッテルを貼りたがる。
伊藤智仁投手にかぎらず、この本に登場する「大活躍したけれど、怪我などで短命に終わった投手たち」は、弱音や「酷使されたことへの恨み言」をほとんど吐きません。
読んでいて「もういいじゃないか」と言いたくなるくらい、著者が「『本音』を引き出すための誘導尋問」を繰り返しているにもかかわらず。
「みんなルーキーのときは同じように必死でやってますよ。ピッチャーはみんな自分の身を削って投げてます」
酷使されたなんて思っていない。チャンスを与えられたから必死で投げる、ただそれだけ。自分の身を削って投げることはプロとして当たり前だ、なんでそんな質問をするんだ、とでも言いたげな口調で答える伊藤。
「今は球数制限が確立されてきたけど、当時は試合に勝つためにどのピッチャーを選ぶかということが優先され、平気で200球近く投げているピッチャーはいました。一番球数が多いのが193球。二試合分ですね。今では延長戦で投げるピッチャーもおらず、投げても7回まででしょ」
200球近く投げさせられたことでさえ、あの時代はそうだったと納得している。むしろ、無理矢理納得しているようにも見えた。最後にまたしつこく質問してみた。
ーーまったく後悔はしていないですか?
「もうしょうがないですね。ヘタに手を抜いて二軍選手で終わるよりも一瞬でいいから活躍したほうがいい。プロ野球選手は一年一年が勝負ですよ」
しょうがない……伊藤は何がしょうがないと言っているのだろうか。怪我したこと? それとも自分の思い通りに活躍できなかったこと? 現役を続けたかったこと? 一年一年勝負をかけての結果が、「しょうがない」ではけっしてないはずだ。
「もし怪我がなかったらとか考えたことがない。痛みがないときなどなかったので現実を受け止めて、この怪我とどうやって付き合っていったらいいか、どういうトレーニングをしたらよくなるかを試しながらやってました。これもピッチャーとしての野球人生だと思ってました」
僕もやはり「酷使されなければ……」「怪我がなければ……」って、思ってしまうのです。
でも、プロ野球の世界で生き残っていくために、「投げさせてもらえること」=「チャンス」なんですよね、本人たちにとっては。
「仕事」がないと、食べていけない。
そのために無理をすることはあるけれど、それでも「仕事がない」よりは、はるかにマシ。
いや、だからこそ、野村克也監督が後悔していたように「周りが考えてあげるべき」だったのかもしれません。
その一方で、監督やコーチだって、チームが成績を残せなければ「切られる」世界でもあります。
良いピッチャーを、なるべく多く投げさせたいはず。
伊藤投手をはじめとする多くの選手たちの怪我の経験から、投球数が制限されるようになったり、トレーニング技術が向上したり、投手の分業制が確立されるようになりました。
その結果、野球選手の「選手寿命」が長くなってきたのも事実です。
この本のなかには、デビュー戦でノーヒットノーランを成し遂げた近藤真市投手や脳腫瘍から「復活」した盛田幸妃投手などへのインタビューも収められていて、長年の野球ファンにとってはたまらない一冊だと思います。
「脳腫瘍からの復活」という「感動的なエピソード」で語られがちな盛田投手のヤンチャっぷりなどは、読んでいてあまりの「メディアで美化されたイメージとの違い」に驚いてしまいました。
「病気は俺のネタだからね」
軽く笑いながら即答。
「今、野球やっていないので病気のことしかないから。横浜の盛田と近鉄で復活した盛田の二種類ある。解説者になれるのもある意味で病気して戻ってきたからでしょ。戻ってきてなかったら今の俺はない。横浜でダブルストッパーとして活躍し、近鉄で病気になって落ちて、そこから戻ってきたのがミソ。脳腫瘍から戻ったのがインパクトなんでしょ」
盛田なりに自覚はあった。脳腫瘍という病気から復活した自分にニーズがある。これは現実として受け止めるしかなかった。ただ盛田は極力、「復活」という単語を使わないようにしているという。自分で復活したとは思っていないからである。ただマウンドに戻ってきただけ。盛田が考える復活は、横浜で活躍したダイナミックなフォームで右足を思い切り蹴り上げて、インコースの胸元をえぐる150キロのシュートを投げられたとき。
「困った選手に『一回活躍して病気になれ!』って言ってやる。中途半端にやってもいずれ消えるから一回活躍して困ったら病気になれって」
ノリノリな感じでブラックジョーク的な発言をするものだから、つい「これは盛田さんしか言えない発言ですから」と軽く釘をさしたが、盛田はヘッとおかまいなしにヤンチャ坊主のような顔をする。ただで転ぶのは嫌だ、何かで飯を食わないといけない。脳腫瘍から復帰した初のプロ野球選手ということで講演の依頼も多数寄せられる。もちろん、講演内容は病気に対してどう克服していったか、その後の人生観などを語っていく。本当は野球のことだけを話したいのだが、野球ネタだけでは二時間近く持たないし、誰もそれを求めていないのも重々わかっている。
「でもそのために病気になったわけじゃないし、野球のほうがいいよ。ボール投げてりゃいいんだもん、簡単だよ」
僕などは、こういう話を読むと、むしろ、「病気を克服してから聖人のようになってしまった人」よりも、親しみを感じるというか「人間くささ」にちょっと安心してしまうんですけどね。
この本によると、盛田投手は、脳腫瘍とその手術の影響で、復帰後は右足首がまともに動かない状態で投げていたそうです。
それをカバーするために(自分としては珍しいくらい)練習もしたのだとか。
それにしても、片方の足首が動かないのにプロのマウンドに立つというのは、ちょっと信じ難いような話ではあります。
盛田さんのインタビューを読むと、この人ならそんなとんでもないことをやってしまいそう、でもあるのですが。
あのとき、あの選手たちは何を考えながらマウンドに立っていたのか?
ファンの思い込みと、本人たちの思いのギャップの大きさに驚くところもありましたし、おそらく本人たちも「思いはあるけれども、言ってはいけないこと」を抱えてもいるのでしょう。
でもまあ、「みんなそれなりに元気にやっている」というのがわかって、ちょっと安心もしました。
「あの野球人生の後遺症で、転落しつづけている」こともなく。
もちろん、そういう人は、こういうインタビューに答えてはくれないのでしょうけど。
とりあえず、登場するなかに「気になっていた選手」がふたりくらいいれば、読んでみて損はしないと思います。