- 作者: 伊集院静
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2013/03/09
- メディア: 単行本
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内容
松井秀喜は日本人の美徳である「謙譲の精神」を貫き、アメリカのメジャー野球を変えた------敬愛する作家だけに松井が明かした魂の成長の秘密!
僕はこの本を読みながら、松井秀喜という選手のことを考えていました。
広島カープファン、アンチ巨人の僕にとっては、松井選手は「怖い対戦相手」ではあったのですが、なんというか、松井秀喜という選手は嫌いにはなれなかったんですよね。
そりゃまあ、カープ戦で打ちまくった日は、けっこう嫌いでしたけど。
松井選手がメジャーリーグで「引退」を発表したとき、僕のなかでは「ああ、松井選手おつかれさま。ワールドシリーズでMVPにもなったし、偉大な選手生活でした」という賞賛の気持ちがありました。
でも、その一方で、「でも、松井がもしメジャーリーグに挑戦しなかったら、日本で王貞治のホームラン記録に迫ることができた、唯一の選手になれていたかもしれないな。メジャーで、ヤンキースで『それなりに活躍』したけれど、日本の野球ファンの『期待値』、あるいはイチローが遺してきた記録に比べると、なんか物足りないところもあるな……」とも感じたんですよね。
そもそも、松井秀喜は、こんなふうに記者会見で「引退発表」をするべき選手ではなく、満員のスタジアムでカクテル光線を浴びながら、「引退スピーチ」をするべき選手ではないのか?と。
松井選手の師匠である長嶋茂雄さんが、そうであったように。
あと、松井選手について記憶している、ものすごく個人的な出来事がひとつあります。
もう10年以上前の話なのですが、上司に連れられて、いわゆる「女の子がいるクラブ」に行ったときの話です。
そういう席では、「どんなタイプの男が好きなの?」という話が出ることが多いのですが、僕たちのテーブルについた若い女の子が「ジャイアンツの松井秀喜選手!」と答えたんですよね。
「えーっ、松井?どこがいいの?顔はそんなにカッコイイとは思えないし……そんなに野球好きなの?」
「いえ、野球のことはあんまりよくわからないんですけど、松井さんが良いんです!」
ああ、あの頃の僕は「人を見る目」が全くなかったなあ。
その後、松井選手に関するさまざまなエピソードに触れ、僕は彼女が正しかったことを知りました。
松井秀喜は、本当に「いい男」いや、「素晴らしい人間」だった。
「男は顔じゃない」なんて言いながら、顔が悪いからモテないのだ、と僻んでいた自分は、なんて小さい人間だったのか!
この本のなかで、松井選手との交流が深く、1年に一度はともに夕食をとっていた著者による、さまざまな松井選手のエピソードが語られています。
有名になったものや、そうでないものも含めて。
「君の周囲の人から聞いた話なのだけれど、君は人の悪口を一度も口にしたことがないそうだね?」
「野球選手になると決めてからは一度もありません」
私は少し口元をゆるめで(たぶん笑っていたのだろう。妻があとでそう言った)もう一度同じ質問をした。
「一度も人前で人の悪口を言ったことがないの?」
「はい、ありません」
彼の目は真剣だった。しかも気負いがあるような口振りでもなかった。ごく当たり前にように、彼はそう断言したのだ。私は思わず、少し離れた場所で私たちの話を聞いている妻の顔を見た。妻は驚いたようにうなずいていて、目でゆっくり私に語った。
――その若者は真実を話しているわ。
私たちの対話を見守っていた雑誌の編集長もカメラマンと同じように驚いた表情をしていた。
「どうしてそうしているの?」
「父と約束したからです。中学二年生の時、家で夕食を摂っていたんです。僕が友だちの悪口を言ったんです。すると父が夕食を食べるのを中止して、僕に言ったんです。人の悪口を言うような下品なことをするんじゃない。今、ここで二度と人の悪口を言わないと約束しなさいと……。それ以来、悪口は言ってません」
私はその話を聞き終えて、もう一度彼の顔を見た。彼は少し恥ずかしそうに言った。
「実はその夕食の席で、どんなふうに友だちの悪口を自分が言っていたかをまるで覚えていないんです」
正直な若者だと思った。
読んでいて、「こんな完璧な人間、いるのだろうか?」とも思うのですよ。
もしかしたら、完璧すぎるからこそ「怪我」という試練を何者かが松井選手に与えたのではないか、とか考えてしまうくらいに。
でも、こんなやりとりのなかで、「実際の悪口の記憶はないんですけど」って、洩らしてしまうところが、松井選手の魅力でもあるんですよね。
ヤンキースで怪我をするまでずっとフル出場を続けていた松井選手の「フル出場にこだわる理由」も印象的でした。
「フル出場にこだわっているの?」
「こだわってはいませんが、ジャイアンツ戦のチケットを手に入れるのは大変なんです。一年で、そのゲームだけしか見られない子供もいると思うんです。その子供が僕のプレーを見たいと思ってスタンドに座っているかもしれません。ですからいつも出場していたいんです」
松井選手の魅力のひとつを、著者は「謙虚さ」だと書いておられるのですが、僕は松井選手のすごさは「謙虚である」のと同時に「自分が選ばれた人間であることを受け入れ、そこから逃げずに自分の役割を果たそうとしてきたところ」だと思うのです。
「僕だって人間ですから」なんて自分や他人に言い訳をせず、「ヒーロー」であり続ける。
それは、並大抵の努力で、できることではなかったはず。
人格だけではなく、松井選手の場合は「野球に対する姿勢」も素晴らしかったのです。
そんな時に、私が、とうとうニューヨークのメディアもそのことに気付いてくれたかと思う記事が出た。それは2003年8月2日にニューヨーク・タイムズのタイラー・ケプナー記者が書いた記事である。
A STAR MODESTY INCLUDED
”謙虚さを胸の中に持つスター”(つつしみ深さを知っているスター)
パワフルなバッティングは松井の長所だが、最強の武器ではない。松井が際立っているのは、オールラウンドプレイヤーだということだ。守っても、走っても、打席でのアプローチも素晴らしい。松井はトーリ監督が予想していた以上にさまざまなかたちで貢献している。トーリはこう言っている。「彼がアメリカに来た時は、どんな選手かよくわからなかったが、今の松井がいなければ、今のヤンキースもない。彼は私たちに驚異を与えてくれた」
松井はヤンキースの中で誰よりも厳しい目にさらされているが、動じるそぶりも見せない。さらにトーリはこう言った。
「地に足がついた男だ。日本の記者ともアメリカの記者とも気さくに付き合い、自分が注目される存在であることを十分に理解していながら、人気におぼれず、謙虚さを忘れない。私は選手のプレーを結果だけで評価していない。松井については努力を評価したい」
小学五年生から野球チームでプレーしていた松井は、デレク・ジーターと同じように野球の基本に忠実で、精神的に崩れることもめったにない。練習と試合を重ねて勝負の駆け引きを身に付け、本能をとぎ澄ましてきた。
著者は、豪快なバッティングや守備ではなく、ひとつでも先の塁を狙うという走塁に「常にチームのことを考えてプレーしている」松井選手の真骨頂があると述べています。
「オールラウンドプレイヤー」というのは、「走攻守の3拍子」だけでなく、チームを支えるメンタルの強さも含まれているんですよね。
トーリ監督も、あるゲーム後に、
「マイナーリーグから上がってくる多くの若い選手が松井から学ぶべき点は多い。野球を知っているからね。私を含めてチームメイトの信頼も厚いし、とてもプロフェッショナルだ」
と言っていたそうです。
技術的な素晴らしさだけではなく、野球の「本質」を知っていた選手。
この本を読んでいると、引退が報じられたとき、ジーター選手をはじめとするヤンキースの元チームメイトから贈られた惜別の声は、リップサービスではなく、本心だったにちがいない、と思うのです。
もしかしたら、ヤンキースという名門の看板を背負ってきたジーター選手のことを心から理解できていたのはほんの一握りだけで、国籍が違っても、松井選手はその数少ないひとりだったのかもしれません。
このふたりの野球人生を振り返ってみると。
松井選手は、2005年のシーズンを述懐する中でジータのことをさらにこう話している。
シーズン終盤からプレーオフにかけて、ジータの活躍には目を見張るものがあった。特にチームが戦意を喪失しそうになる場面でよく打った。
「彼への信頼が、さらに強くなりました。ジータというプレイヤーがよくわかってきました。チームを引っ張るところは勿論ですが、踏ん張れる男なんですよ。死に体に見えても、最後まで踏ん張る男なんです。ミスター・ヤンキースですね」
さらに松井選手は親友をほめちぎった。
「打とうが打つまいが、彼の振る舞いは何ひとつ変わらないんです。自分より常にチームが優先しているんです。自分の影響力の大きさもちゃんとわかってるんです」
松井選手は素晴らしい友を得たものである。
ああ、これはまさに「松井秀喜の姿」でもありますね。
松井選手は、野球によって、「野球だけではないもの」を多くの人に遺したプレイヤーでした。
いやほんと、これを読みながら、松井選手にこそ日本の総理大臣になってほしいな、なんて考えていたんですよ、僕は。