琥珀色の戯言

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あんぽん 孫正義伝 ☆☆☆☆☆


あんぽん 孫正義伝

あんぽん 孫正義伝

内容説明
ここに孫正義も知らない孫正義がいる


今から一世紀前。韓国・大邱で食い詰め、命からがら難破船で対馬海峡を渡った一族は、豚の糞尿と密造酒の臭いが充満する佐賀・鳥栖駅前の朝鮮部落に、一人の異端児を産み落とした。
ノンフィクション界の巨人・佐野眞一が、全4回の本人取材や、ルーツである朝鮮半島の現地取材によって、うさんくさく、いかがわしく、ずる狡く……時代をひっかけ回し続ける男の正体に迫る。
“在日三世”として生をうけ、泥水をすするような「貧しさ」を体験した孫正義氏はいかにして身を起こしたのか。そして事あるごとに民族差別を受けてきたにも関わらず、なぜ国を愛するようになったのか。なぜ、東日本大震災以降、「脱原発」に固執するのか――。
全ての「解」が本書で明らかになる。

 ソフトバンク孫正義社長の半生記として、週刊誌(週刊ポスト)に連載中から話題になっていたものをまとめた本です。
 連載中に東日本大震災が起こったこともあり、その後の「孫正義という人が、最も注目されていた時期(それはいまも続いています)」が描かれているのも興味深かったです。
 「あのスティーブ・ジョブズの人生にも負けないくらいドラマチック」という謳い文句も、けっして誇大広告ではありません。


 この本では、孫社長の「ルーツ」に多くのページが割かれています。
 僕はもっと包括的な「孫社長の人生」が書かれていると思っていたので、若干物足りない面もありました。
 ソフトバンクを設立したのち、一介のソフト問屋から、ボーダフォンを買収し、ブロードバンドを「無料の機会を配る」ことによって日本中に広めていったという「仕事上の業績」には、ほとんど触れられていないんですよね。
 それも、いつかは書かれるべき話なのかもしれませんが、ジョブズの伝記が、「ジョブズの仕事」についても時系列で紹介されていたのに比べると、あまりに「孫社長の出自」に偏りすぎているのではないかと。


孫社長の「従兄弟」は、次のように「証言」しています。

 「思い出すのは、朝鮮部落の脇に流れていたドブ川です。そのドブ川が、大雨が降るとあふれ出すんですよ。ええ、洪水です。あっという間に部落全体が水没してしまう。その中に豚がぷかぷか浮かんだりしてね。ついでに豚のウンコまで浮かびあがる。
 それが井戸の中に流れ込む。水道なんてありませんでしたからね。そんなことがあると、しばらくの間、井戸の水が臭いのなんのって。豚のウンコの臭いがするんだから。その水を飲んだり、煮炊きに使ったりしながら、よく腹を壊さなかったもんだよ。
 大金持ちになった正義が、いまどんな水を飲んでいるかは知らんが、あいつだって、ウンコ臭い水を飲んで育ったんだ」

「在日」というキーワードをもとに、「在日部落で、豚を飼って生活していた、気性の荒い人たち」のなかから、どのようにして、「大事業家・孫正義」が生まれてきたのか、を関係者の証言を丁寧に拾い集めて検証している部分は、本当に読みごたえがありました。
 とくに、孫社著の実父(安本三憲氏、この「通名」が、この本のタイトル「あんぽん」の元になっています)が「アイディアマンでエネルギッシュだけれど、大言壮語壁がずっと抜けない、困ったところのある人」であるところとか(このお父さんへのインタビューは、まさにこの本の「読みどころ」だと思います)、孫社長の一族が、みんな「信じられないくらい不仲だった」(でも、そんなに仲が悪いにもかかわらず、いちおう「助け合おうとし続ける」のです)なんていう話は、下世話なんだけれども、すごく面白かった。


 この本を読んでいて、僕はようやく、「なんで孫社長のことが苦手なのか?」がわかったような気がするのです。
 それは、孫社長は「僕の理解をこえた人」だからなのではないかな、と。


 同じような事業家でも、堀江貴文さんは「わかる」んですよ。ああいうやりかたに賛成反対は別として。
 堀江さんは事業に成功して「お金は正しい」と言い続け、六本木ヒルズに住み、贅沢な生活をして、グラビアアイドルを抱く。
 ああ、「成功」した人って、こういうことをしたがるんだろうなあ、って。


 でも、孫社長は、(豪邸を建てたりはしているんですが)、東日本大震災のときに、いきなり100億円の個人資産を寄付したり、自然エネルギー事業を始めようとしたりしています。
 それは、タダでyahooBBの端末を配っていたときのように「事業としての将来的な採算」を見越しているような気もするし、衝動的な行動のようにもみえます。
 僕にとって、いちばん不可解なのは、孫社長の「日本という国への愛着」なんですよね。
 孫社長は「在日」として生まれましたが、日本生まれで日本育ち。いまは日本国籍だし、奥様は日本人です。
 とはいえ、子供の頃は「在日」として差別を受けてもいるし、久留米大附設という九州で有数の進学校に進みながらも、「このまま日本にいてもダメだ」と、アメリカに留学して、自ら道を切り開いた人でもあります。
 「在日では学校の先生にはなれない」と、絶望したこともあるそうです。


 「孫社長は、なぜそんなに『日本のため』になろうとするのか?」
 僕の頭のなかの計算では、孫社長が日本から受けた恩恵と恨みとを比べると、恩恵のほうが大きいとは思えないのです。
 それでも、孫社長は、「愛国者」であり続けています。
 「事業のための方便」にしては、あまりにもスケールが大きすぎるし、孫社長自身がかぶっている火の粉は熱すぎます。
 黙って事業をやっていれば、面倒なことに巻き込まれなくてもすむはずなのに。
 孫社長の、どこまでが「本気」で、どこまでが「世渡りのための方便」なのか、僕にはよくわかりません。
 でも、この本を読んでいると、実は孫社長本人にも、わかっていないんじゃないかな、という気がしてきました。


 この本のなかで、孫社長の中学校時代の同級生の、こんな話が紹介されています。

 奇矯な行動といえば、こんなこともあったという。
「ある日、僕の家に遊びに来ていた安本くんが、なぜだか扇風機をじいっと見つめているんです。そして突然、何を思ったのか、回転する羽根の中に棒を突っ込んだんです。あっ、と思ったときはもう遅かった。バリバリバリという大きな音を立てて、扇風機の羽根は木っ端微塵に砕けてしまった。
 おい、なんてことをするんだと言うと、安本くんは『すまん。棒を入れたら羽根がどうなるか知りたかったんだ』って言う。ねえ、変なヤツでしょう(笑)。
 そのあと、彼はうちの両親にもきちんと謝っていました。その謝罪の仕方がまたすごいんです。『申し訳ございません』と言いながら、正座して額を床にこすりつけて謝るんです。
 それを見て、両親も唖然としていましたね。後になってから『安本くんは礼儀正しいいい子だけど、ちょっと芝居がかった子やねえ』と言っていましたね」

 この「扇風機を壊された同級生の両親」と同じような「違和感」を、僕もずっと持っているような気がするのです。
 それは、少なくとも、孫正義という人間にとっては、「わざとやっている芝居」ではないのでしょうけど。


 「出自」がすべての理由ではないとは思います。
 ただし、その影響は少なからずあったでしょう。
貧しいなかからここまでの成功をおさめる過程での「身内への感謝と、疎ましく思う気持ち」、それは、自分が育った国である「日本」への孫社長の「ふたつの相反しながら共存している本心」と同じなのかもしれません。


 ちょっと著者の意見が前に出過ぎている「伝記」ではあるのですが(著者は、孫社長が「紙の本は30年以内に無くなる」と発言したことが、どうしても気にいらないようです)、ここまで徹底的に調べて、本人・家族まで巻き込んだ「伝記」というのは希有なものですし、いまの日本において、孫正義という人は、そんなふうに語られるだけの意味と価値がある存在なのでしょう。

 孫社長の出自を「在日」だと蔑む人がネットにもいるけれど、この本を読んでいると「お前のほうこそ、日本人の親を持ち、日本で生まれたというだけで、本当に『日本人』だと胸を張って言えるのか?」と問われているような気がしてくるのです。


 著者は、こんなふうに、「孫正義をいかがわしく感じる理由」を説明しています。

 もう一度、孫に対する私の”立ち位置”を確認しておこう。
 孫正義は成り上り者だから、いかがわしさを感じるのか。ノーである。
 孫正義は元在日朝鮮人だから、いかがわしさを感じるのか。ノーである。
 孫は「経済白書」が「もはや戦後ではない」と高らかに謳った翌年、鳥栖駅前の朝鮮部落に生まれ、豚の糞尿と密造酒の強烈な臭いの中で育った。
 日本人が高度経済成長に向かって駆け上がっていったとき、在日の孫は日本の敗戦直後以下の極貧生活からスタートしたのである。
 その絶対に埋められないタイムラグこそ、おそらく私たち日本人に孫をいかがわしいやつ、うさんくさいやつと思わせる集合的無意識となっている。
 高齢化の一途をたどる私たち日本人は、年寄りが未来のある若者をうらやむように、底辺から何としても這い上がろうとして実際にそれを実現してきた孫の逞しいエネルギーに、要は嫉妬している。

 孫社長は、ジョブズのような「クリエイター」ではないけれど、それだけに、その生き方の「生々しさ」を感じさせられる一冊です。
 たしかに、ジョブズの伝記とは違うけれど、同じくらいのインパクトがある本です。
 ソフトバンクに、孫正義に少しでも興味があれば、読んでみて損はしませんよ。

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