琥珀色の戯言

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【読書感想】日本の聖地ベスト100 ☆☆☆☆


日本の聖地ベスト100 (集英社新書)

日本の聖地ベスト100 (集英社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
日本には、数多くの魅力的な聖地が点在している。神道仏教、修験の社殿がある場所もあれば、磐座やストーンサークルが残された場所もあり、その姿はさまざまだ。しかし、特別な気配の感じられる場所という点では共通している。それらは、古来人々が神に対して祈りを捧げたか、神の臨在を得た場所なのである。それらはどこにあるのか?どうすればそこにたどり着けるのか―。日本の聖地をたどることは、この国の輪郭がどのように形成されたのかを探る旅でもある。三〇年以上の調査にもとづき、必ず訪れるべき日本の聖地をランキングしつつ解説する。

『偶然のチカラ』の植島啓司先生の著書ということで期待しつつ購入したのですが、この新書は植島先生の「本業」である「宗教人類学」に関するリサーチをまとめたものです。
個人的には「ギャンブルのことを書いた本のほうが面白いのに!」なんて、ちょっと思ってしまったのですが、「パワースポット」なんて言葉が一人歩きしている時勢に、専門家(?)が選んだ「聖地」とはどんな場所なのか?と、けっこう興味深く読むことができました。

 現在、日本中のお寺の数は約7万と言われており、一方われわれの家のそばにあるコンビニは約4万だ。つまり、お寺だけを取り上げてもコンビニの2倍近くあることになる。神社も公称8万といわれており、それが本当ならば、日本中が聖地だらけということになる。もちろんこの数字は公称であって、その実態ははるかに少ないと思われるが、明治以前にはたしかにそれ以上の数の神社仏閣が存在していた可能性もある。社殿のない神社、鎮守の森、修験道の行場など数え切れないほどの聖域(サンクチュアリー)が存在していたはずだからである。
 でも、それらも含めて、聖地とはいったいいかなる場所を指すのか。
 ぼくはかつて『聖地の想像力』(集英社新書)のなかで聖地の定義と条件について書いたことがある。まず定義をして考えられるのは以下の二つであろう。すなわち、聖地とは、(1)ある特定の人物(例/イエス、仏陀)にゆかりのある場所であって、その目印になるような自然条件が選び出されたとするもの、または、(2)特別な自然条件を備えた場所がまずあって、それが人々を引き寄せ、そこでなにがしかの祭祀的な行為を引き出したとするもの。
 どちらにしても、聖地の定義としては神の降臨した場所という他にないのではないか。ではいったい神はどこに降臨したのか。そして、誰がそれをどのように認識したのだろうか。


 この新書では、植島先生の独断と偏見にもとづき、聖地が「ランキング」されています。
(というか、「聖地のランキング」なんて、客観的に評価できるはずもないので当然といえば当然のことなのですが)
 ただし、「第1位はここ!」というような「ザ・ベストテン方式」ではなく、全国各地の「聖地」を植島先生がフィールドワークしたときの様子がエッセイ風に書かれており、そのなかで登場する聖地の名前に、順位をあらわす数字が添えられている程度です。
 最初は、この数字って「脚注」みたいなもので、順位だとは気づかなかった……


 ちなみに、「ランキング」では、


第1位:天河大弁財天社(奈良)
第2位:宝生寺・室生龍穴神社(奈良)
第3位:天岩戸神社西本宮(高千穂)


 となっています。
 いろんなしがらみもありそうなものですが「順不同」なんて言わないのが、植島先生らしいな、と。
 メジャーどころでは、出雲大社が第35位で、伊勢神宮・内宮が第41位。
 うわー、これ『帰れま10』で、『植島基準による、日本の聖地ベスト10』をやったら、たぶん誰も帰れないんじゃなかろうか。
 でも、この本を読んでみると、たしかに、レジャー雑誌に載っている「パワースポット」なんて、所詮「観光地化したところ」でしかないのかな、とも思えてくるんですよ。


 まあ、ここで紹介されている「聖地」は、実際に行ってみるとあまりに自然なままの状態で残されていて、その「意味」を知らなければ「なんじゃこの石は?」みたいな感じなのかもしれませんけど。


 第2位の「室生龍穴神社」を、植島先生は、こんなふうに紹介されています。

 もともと龍穴は風水でいう龍脈(山脈)の気が集まる場所の意で、そこにはすばらしい水流があり、それによって周囲には木々がみごとに繁り、あたり一面を溶結凝灰岩が柱状節理をかたちづくるような特徴を示している。実際の龍穴に至るには室生龍穴神社からさらに山中を1キロほど進んだところまで行かなければならない。歩くにはややつらい距離かもしれない。しばらく上がっていくと、龍穴の入口付近の右側に「天の岩戸」と書かれた石組みが置かれているのに気がつく。なぜこんなところに天の岩戸があるのか。
 龍穴は、そこから左奥の峡谷に向かって下りていったところに口をあけており、その一帯にはなんとも言えない空気が漂っている。雨と水しぶきでマイナスイオンでも発生するのか、かぎりなく居心地のよい一角となっている。龍穴そのものは川の流れを隔てた向こう側にある岩の亀裂で、こちらから近寄ることはできないが、川の手前に簡素な拝所が設けてある。周囲を見渡すと、そこを支える岩盤にも柱状節理をもつ花崗岩に特有の風化現象が見られる。そうした情景こそ聖地特有のもので、すぐ近くには「龍の滝」と呼ばれる段差があり、龍穴の下には「龍の棚」が広がっている。

 この文章を読んでいると、まさに「昔から伝わってきた、人の手が入り込みすぎていない聖地」の姿が浮かんできます。
 写真をみると、「なんだかたしかに聖地って感じがする!」と「うーん、でも単なる洞穴といえば洞穴だな……」の中間くらいの印象なんですけどね。
 たぶん、実際に現地に行ってみないとわからない「気」みたいなものが、この「聖地」にはあるんでしょうね。


 交通の便が悪いところが多いですし、よっぽど興味がある人以外は「ガッカリスポット」になってしまう危険性も高い「聖地」。
 だからこそ、この新書で、自分の「聖地好き度」を確かめてみるのも良いのではないかと思います。
 僕個人としては、太宰府天満宮で十分、という気もするんですけどね、「梅ヶ枝餅」も食べられるし。

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