空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む (集英社文庫)
- 作者: 角幡唯介
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/09/20
- メディア: 文庫
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
内容紹介
現代の冒険界に期待の新星現る!!
チベット、ツアンポー川流域に「空白の五マイル」と呼ばれる場所があった──。その伝説の地を求めて、命の危険も顧みず冒険に出る。開高賞ほか数々の賞を受賞した若き冒険作家のデビュー作。
僕は全く「冒険的ではない人間」であり、登山をする人に対して、「なんでわざわざ危険で、きつい目に遭うようなことをするのだろう?」なんて、ずっと考えていました。
率直に言うと、今でも自分で「冒険」をしよう、なんて思うことはないのですけど。
だって、蛇一匹見たら、足がすくんでしまうような人間だし。
さりながら、「冒険記」には、すごく惹かれてしまうのも事実です。
僕にとっては「なぜそんなことをするのか、わからない世界」だからなおさら、あえてそれをやる人たちに、興味も湧いてくるのです。
でも、いまの世界に「冒険する場所」なんて、残されているのだろうか?
僕はそう考えていました。
僕が子どもの頃、20〜30年前くらいには、まだ「秘境」を探検するようなテレビ番組がけっこうあったような気がするのですが、最近ではあまり見かけなくなりましたし。
実はこのチベット、ツアンポー川流域に「空白の五マイル」と呼ばれる場所があることも、この本を読むまで知りませんでした。
そこを探検しようとして、命を落とした日本人がいたことも。
著者は、早稲田大学に入学した際、高校時代の友人に誘われて、ラグビーサークルに所属します。
そして、いかにも体育会系な男子大学生の生活を送っていたものの、なにか満たされないところがあり、大学二年のときに「探検部」に入ったそうです。
探検部は何をしてもいいし、何もしなくてもいい場所だった。山に登ってばかりいる部員もいれば、新宿でホームレス調査をしている者もいた。探検部員となった私は世界中の山岳地帯に足跡を残した英国のエリック・シプトンのような探検家に憧れ、彼がやったような本格的な山岳探検をいつかやってみたいと思うようになった。私は山に登ってばかりいるほうの部員だったが、それでも山岳部に入部したわけではないという意識が強くあり、登山はいつか訪れる本格的な探検に備えてのことだと自分に言いきかせていた。登山とは一風違った探検や冒険旅行こそ、その頃から私の一環したモチーフであり憧れであった。
ただ、それを実現するには大きくて解決の難しい問題がひとつだけあった。それは、いったいどこを探検すればいいのかよく分からないということだった。21世紀を目前にひかえ、人跡未踏の面白そうな秘境などそう簡単に見つかるものではなかったし、仮にあったとしても、それは誰にも見向きもされない、重箱の隅を楊枝でほじくるような、要するに行ってもあまり意味のなさそうな場所ばかりだった。そうしていつしか山を登ること自体が目的化し、探検をすることは私にとって実現困難な見果てぬ夢となりかけていた。そんなふうに探検への渇望を募らせていた大学四年生の時、私はツアンポー峡谷のことを知ったのだ。
読者の多くが「ツアンポー峡谷」についての予備知識をほとんど持っていないであろう、ということで、著者は、この本のなかのかなりの分量を、著者がアタックするまでの「ツアンポー峡谷の探検史」に割いています。
そこには、数多くのドラマチックな出来事があり、「幻の大滝」が存在するのではないかという伝説が、多くの探検家をひきつけてきたのです。
なかでも著者は、1993年に、この峡谷の激流を下ろうとした若きカヌーイスト、武井義隆さんのことを、入念な関係者への取材も行い、書きのこそうとしています。
人がカヌーで渡るのは不可能ではないか、と考えられた激流にあえて挑戦し、そして、ある理由で命を落としてしまった「大きな男」のこと。
先日観た、映画『ホビット』で、主人公のビルボに、ある人物がこう言います。
「真の勇気というのは、誰かを殺すときにではなく、誰かを助けるときに問われるものだ」
いや、言葉にするのは簡単なんだけど、本当に自分が生きるか死ぬか、あるいは、自分は助かる、という状況のときに、とっさに自分を犠牲にするのは、とても難しいことなのではないかと思うのです。
修行をしてくる。それは生前の武井が父親につぶやいた最後の言葉だった。武井はチベットに出発する前の7月、徳島を流れる有名な激流・吉野川を訪れた時に高松の実家にも立ち寄り、その時初めてチベットに行くことを面と向かって父親に伝えた。
どうしてそんなとこへ行くんや? そんな危険なところはだめだ。激流にのみ込まれてどっかに流されるかもしれんぞ。そしたら誰も助けには行けへんぞ。現実にそうなったら、よう行かんぞ。平八がそう諭すと、息子はどこかへ流れ着いたら、そこで修行をするんだと答えたという。そこはチベットの有名な聖地なんだ。それが二人の間に交わされた最後の会話だった。
この本を読んでいて意外だったのは、武井さんの「最期」について、それを目の当たりにした関係者たちは「そんなことは思い出したくもない」と言葉を濁さずに、しっかりと、自分が見たことを語っていたことでした。
それを「語り継ぐ」ことが、生き残った人間の責務であるかのように。
もちろん、この本で紹介されていないところで、「黙秘」した人もいたかもしれませんが、たぶん、武井さんが生き残った側だったとしても、同じように「その光景」を語っていたのではないかと僕は思います。
命を落とすことは、もちろん悲しいことではなるけれど、それもまた、冒険にとらわれた人間のひとつの運命だ、そういう「悟り」あるいは「共通の意思」を感じるのです。
「そんな無謀な冒険をしなければ、死ぬこともなかったし、今も元気で日常を過ごせていたはずなのに」
僕は、そう思う。
でも、「それでは満たされない人」がいる。
あるいは、「それでは満たされない時期」が人生にはある。
僕にはやっぱり実感は出来ないのだけれども、だからこそ、ツワンポー峡谷での孤独な探検に挑戦した著者への憧れというか、畏怖の念を持たずにはいられない。
体の中に蓄えられていた脂肪が、ついに完全に燃え尽きたのかもしれなかった。だとしたら驚きだった。そんなものはとっくになくなったと思っていたからだ。たくましかったはずの太ももはモデルのように細くなり、肋骨は見事に浮き出て、なでるとカタカタと乾いた感触が手に残った。体力とともに集中力もなくなり、必須装備であるコンパスをどこかで失くしてしまった(もちろん食器やカメラバックなど、小物は他にもいろいろと失くしていた。ザックにはたき火の不始末で直径20センチほど穴があき、ガムテープと糸で補修していた)、これからは地形や川の向きでどっちに進むかを判断しなければならない。もはや注入したエネルギーの分しか体は動かなかった。人間なんて、所詮、有機物でできたあまり性能のよくない機械にすぎないらしい。燃料が尽きたらおしまいだ。胃袋は完全にスポンジ状態になっており、コメを入れたらすぐに消化して、そしてすぐに空になった。体重は何キロ減っただろう、体重計を持ってくればよかった……。
誰に強制されたわけでもなく、こんな苦行に自らを投げ込む人生って……
バカバカしい、と思うのと、なんだかすごく崇高なもののように感じられるのと。
この本を読んでいると、今の時代の「冒険」について、考えずにはいられないのです。
どこかに行けばいいという時代はもう終わった。どんなに人が入ったことがない秘境だといっても、そこに行けば、すなわちそれが冒険になるという時代では今はない。
今の時代に探検や冒険をしようと思えば、先人たちの過去に対する自分の立ち位置をしっかりと見定めて、自分の行為の意味を見極めなければ価値を見いだすことは難しい。パソコンの画面を開き、グーグル・アースをのぞきこめば、空白の五マイルといえどもリアルな3D画像となって再現される時代なのだ。
「写真」が誰にでも撮れるようになって、絵を描くことが「実物に似せること」ではなく、「そこにあるものをどう解釈してみせるか」という「現代美術」になっていったように、「冒険」も、「行くことそのもの」ではなく、「それをどう意味づけるか」が問われる時代になってきたのかもしれません。
「冒険すること」そして、「生きること」。
少しだけ、「冒険せずにはいられない人」に近づけたような気がする、そんな極上の冒険の記録です。