琥珀色の戯言

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【読書感想】エンジェルフライト 国際霊柩送還士 ☆☆☆☆


エンジェルフライト 国際霊柩送還士

エンジェルフライト 国際霊柩送還士

内容紹介
ママが遺体にキスできるように。それが彼らの仕事。
国境を越えて遺体を家族のもとへ送り届けるのが国際霊柩送還士の仕事。日本初の専門会社で働く人々と遺族の取材を通して、筆者は人が人を弔うことの意味、日本人としての「死」の捉え方を知る。


第10回(2012年) 開高健ノンフィクション賞受賞作。
島田裕巳さんの『葬式は、要らない』という新書がベストセラーになり、日本人の「弔い」の意識の変化が明らかになってきたな、と感じていたなかで、東日本大震災が起こりました。
あの大震災で亡くなった方々に対して、遺族は、どう向き合っていったのか?


参考リンク:【読書感想】『遺体』(琥珀色の戯言)


「信仰もない人が死んだとたんに、信仰心の欠片も伝わってこない『僧侶』から高いお金を払って戒名をいただく」
そんなシステムはバカバカしい、でも、自分が最初に「破壊者」になる勇気もない。
多くの日本人が、そういう感じていたはずなのに、震災での「理不尽な大勢の死」に直面すると、「遺体」や「葬儀を行う」「お経をあげる」ことを「せめてもの供養」だと考えずにはいられなかったのです。


この本は、「国境を越えての遺体の搬送」を行うことを専門とする日本初の会社「エアハース・インターナショナル」の仕事と、その仕事を行っている人たちを描いたノンフィクションです。

 彼らは柩を覗き込み、そして見たこともない光景を見た。「なんで……」。社員たちは呆然とする。利惠は頭に血がのぼるのを感じた。
「ご遺体は金もうけの道具じゃない。どうして、できることをして送り出そうとしないんだろう」
 そこには現地で交通事故にあった日本人男性が裸のまま横たわっていた。外国から戻ってくる遺体には、エンバーミング(防腐処理)を施してあるのが普通だ。亡くなった人の静脈に管を入れて防腐剤を注入することにより、遺体は生前と変わらぬ外見を保つ。しかし、男性の肌は酸化による変色が進み灰緑色になり、頭部の解剖痕はホチキスで何ヵ所か留めてあるだけで、縫合していない皮膚の切り口からは血液と防腐剤が流れ出て幾筋にも肌にしみを作っていた。
 そして何といっても利惠の胸を締めつけたのは、柩の中に遺体と一緒に入っていたものだった。染みだす体液を吸収させる意図なのだろう。柩の中には遺体とともに50ロールほどのトイレットペーパーが乱雑に詰め込まれており、質の悪い紙は体液で赤茶色に濡れてふやけていた。長い間遺体の搬送をしているが、梱包材代わりにトイレットペーパーが詰められた柩を利惠は見たことがない。誰がこんな姿で日本に帰りたいだろうか。
 柩の中を覗き込む利惠の表情に苦いものが混じる。彼女は思わず手首で目頭をぬぐった。
「お父さん、大変だったね。つらかったね」

この本で描かれているエアハース・インターナショナルの仕事は、丁寧で、高い技術を持っており、亡くなった人への敬意も払われた、素晴らしいものでした。
僕も、万が一海外で死ぬようなことがあれば、エアハースにお願いしたい、と思うほどに。
その一方で、このスタッフたちは、こんなに仕事に人生を懸けていて、心身は大丈夫なのだろうか、と心配にもなってきます。
いつ呼ばれるか、わからない仕事でもありますし。


僕はこれを読むまで、内心「もちろん、御遺体は綺麗なほうが良いに決まっているけれど、すぐ火葬にしてしまうのだから、そこまで手をかける必要があるのだろうか?」と疑問でもあったんですよ。
そのコストに見合っただけの効果があるのだろうか、って。
でも、エアハースが手がけた個々の事例を読んでいくと、この仕事には「お金には換えられない価値がある」のではないかと思うのです。

 エアハース・インターナショナルは国際霊柩送還の専門会社として日本で最初に設立された会社だ。
 国際霊柩送還とは、海外で亡くなった日本人の遺体や遺骨を日本に搬送し、日本で亡くなった外国人の遺体や遺骨を祖国へ送り届けることである。実はこの「国際霊柩送還」という言葉も、エアハースの登録商標なので一般的な言葉ではない。だがこの仕事自体が特殊で、手がけている業者は少ないため、これに代わる言葉が存在しない。そこでここではこの名称をそのまま使うことにする。
 国際霊柩送還という概念があまり知られていないのも無理のないことだった。この会社が日本に生まれたのは、2003年と比較的新しいのである。それまでは葬儀社の仕事のひとつとして扱われていた。
 利惠たちは独立前の1995年には、当時働いていた葬儀社で、ネパールで遭難した邦人トレッカーの遺体送還業務に携わり、その後、エジプト・ルクソール襲撃事件の犠牲者、パキスタンでの車両転落事故における被害者、在イラク日本大使館員襲撃事件における職員等の遺体を搬送している。
 さらに独立以降はスマトラ沖地震アフガニスタン邦人教職員殺害事件、ミャンマーのフリージャーナリスト殺害事件、アフガニスタンの国際援助団体の職員殺害事件の犠牲者・被害者の日本への送還に携わるなど、新聞に載るような重大事件、事故の裏には必ずといっていいほど彼らの働きがある。だが「死」を扱う仕事だ。表立って報じられることはまずない。

この本のなかで紹介されている、エアハースのスタッフたちは、かなり個性的です。
なかでも、社長の利惠さんの人柄、豪快さと繊細さが入り混じったキャラクターは、とても印象的でした。


社長・利惠さんの息子である利幸さんも、エアハースで働いています。
彼は、自分の「仕事」について、こう語っています。

 自分はもともと、人に喜んでもらうことが好きなんです。一回しか会わない人に対して、自分がやりたいようにやるのはただの自己満足です。亡くなった人が何を望んでいるのか、ご家族が何を望んでいるのかを汲み取って、ご家族の代わりにやってあげることが俺の仕事です。どこまで同じ心境に立って、故人と接することができるのか、それを試されていると思っています。損傷のひどいご遺体を見ると、このままじゃご遺族に会わせられないと思うし、身元確認に行ったご遺族はどんな気持ちだっただろうと思います。
 だから、会わせられるようになんとかするんです。ひどい状態のままだとご家族は、現実を見ようとしなくなります。『これはあの子じゃない、違う人だ』と、そう思う。
 だから死を受け入れられるように、きちんと対面させてあげたい。お別れをさせてあげたいと思うのです。


家族に「生きているときの姿を思い出してもらうため」というよりは、「家族ときちんと対面できるようにして、死を受け入れてもらう」。亡くなった人のためだけではなく、これから、生き続けていかなければならない人のために。
そのために「弔いの儀式」というのは、やはり、必要なのではないかと思います。
とくに、理不尽な死、突然の死の場合はなおさら。
「きれいな状態で見送るのが難しい死」ほど、残された側にとっては、心残りも多いのです。
そのために利幸さんは、化粧の技術を学んだり、さまざまなトレーニングを積んでいます。
それは、「綺麗な顔をつくる」ためではなく、「その人が、生きていたときの状態に、少しでも近づける」ために。


この本の終盤、著者は、こう書いておられます。

 改めて国際霊柩送還というものを考えてみると、不思議な行為だと思う。たとえ遺体の処置をしても、医療的な手術のように命を救うわけではないし、蘇生するわけでもない。腐りやすい遺体を遠い国から家族のところへ戻し、生きている時と同じ顔に修復してお別れをするのだ。なぜ次の日には骨にしてしまうというのにわざわざ合理的とは思えない行為をするのだろう。科学の発達した世の中だ。生命の失われた体をただのたんぱく質のかたまりだと済ませてしまうこともできるだろう。しかし我々はいくら科学が進歩しようとも、遺体に執着し続け、亡き人に対する想いを手放すことはない。その説明のつかない想いが、人間を人間たらしめる感情なのだと思う。私には、亡くなった人に愛着を抱く人間という生き物が悲しくも愛おしい。亡くなったのだからもうどこにもいない、と簡単に割り切れるほど、人は人をあきらめきれないのだ。

「人は人をあきらめきれない」
あれだけ批判されている日本の葬式・戒名の制度も、自分の身内のこととなると、「じゃあお経も戒名もいりません」と言い切れないのは、世間体もあるのでしょうが、やっぱり「あきらめきれない」「何かできることをしてあげたい」という気持ちがあるから、なのでしょう。
だからこそ、「葬式ビジネス」はタチが悪い、とも言えるのですが……


こういう仕事をして、人間の死と向き合っている人たちがいることを知って、僕もあらためて「死」そして、「ご遺体」について考えさせられました。
その一方で、こういう仕事は、100%を目指せば目指すほど、従事する人間の心身を削っていくものでもあるんですよね……



遺体―震災、津波の果てに

遺体―震災、津波の果てに

遺体―震災、津波の果てに―

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こちらはKindle版です。

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