あらすじ: ベテランのウィトカー機長(デンゼル・ワシントン)は、いつものようにフロリダ州オーランド発アトランタ行きの旅客機に搭乗。多少睡眠不足の状態でも一流の操縦テクニックを持つ彼の腕は確かで、その日もひどい乱気流を難なく乗り越えた。機長は機体が安定すると副操縦士に操縦を任せて睡眠を取るが、その後突然機体が急降下を始め……。
2013年5本目。
1日の「映画の日」のレイトショー+公開初日ということで、お客さんは50人くらいとけっこう入っていました(当地比)。
この映画、予告編を観た限りでは、「トラブルのなか、天才的な着地をみせたパイロットの血液からアルコールが!なぜそんなことが起こったのか?このパイロットは、セーフか、アウトか?その陰にはどんな陰謀が?」というサスペンス作品、だと思っていたのですが、観てみたら全然違って、ちょっと驚きました。
これはもう、アウト―――ッ!!
この映画、どちらかというと、アメリカの社会問題を扱った作品、と考えるべきなのでしょう。
それと、人間の尊厳とか、そういうもの。
この映画、ごく普通の日本人である僕の感覚としては、「いくらその状況で最善を尽くしたとはいえ、それはさすがに弁解の余地なしだろ……」なんですよ。
この映画をつくった人たちは、かなり「加害者(あるいは責任者)に甘い」ように感じてしまうのです。
以下は、『加害者家族』(鈴木伸元著・幻冬舎新書)という新書で紹介されていた話です。
犯罪が多発しているアメリカで、加害者家族に対して社会はどのように向き合っているのか。次に挙げるのは、にわかには信じがたい事例である。
1998年にアーカンソー州の高校で銃乱射事件が起きた際、高校のキャンパス内で発生したという事件の重大性に鑑み、マスコミは加害少年の実名や写真を報道した。
このとき、加害者少年の母親に対してアメリカ社会がどのように反応したのか、ジャーナリストの下村健一が驚くべきリポートをしている。
実名が報道されたことで、母親のもとにはアメリカ全土から手紙や電話が殺到した。手紙は段ボール2箱に及ぶ数だった。
だが、その中身は、本書でこれまで見てきたような日本社会の反応とはまったく異なっていた。加害少年の家族を激励するものばかりだったのだ。
TBSの「ニュース23」で放映されたリポートでは、少年の母親が実名で取材に応じ、顔を隠すことなく登場した。下村が、受け取った手紙の内容は何かと訊くと、母親は「全部励ましです」と答えたのだ。
下村は自身のブログで、その手紙の内容をいくつか紹介している。
いまあなたの息子さんは一番大切なときなのだから、頻繁に面会に行ってあげてね」「その子のケアに気を取られすぎて、つらい思いをしている兄弟への目配りが手薄にならないように」「日曜の教会に集まって、村中であなたたち家族の為に祈っています」等々。
下村は、アメリカでの取材生活の中で、「最大の衝撃」を受けたという。
このリポートが放映された当時は、日本では和歌山毒物カレー事件が発生した直後であり、加害者とその家族が暮らしていた自宅への大量の落書きが取り沙汰されていた頃だった。
作家の森達也はこの下村リポートを見て「激しく動揺した」といい、後に下村から詳しく話を聞いている(「僕らから遊離したメディアは存在しない」、JCA-NET)。
そのとき、下村はこう語ったという。「民度といえばいいのか、犯罪や個人に対しての意識の持ち方が(日本とアメリカでは)まったく違います。日本でもし、神戸の少年の情報を公開したら、とんでもない事態になっていたでしょうね」。
この物語の「結末」については、僕も含めて、多くの日本人は「すっきりしない」のではないかと思うのです。そもそも、最初の「つまづき」がなければ、あの事故そのものを避けられたのではないか、とか考えてしまいますし。
でも、作り手のほうは、「ギリギリのところで、人間として踏みとどまった」という描き方をしているようにも思われます。
いやまあ、それは確かに、そうなのかもしれないけど……
「それでも、人は許される、やり直すことができる」のか?
ただ、こういう「文化の違い」みたいなものを知ることが出来るのも、映画というものの面白さではありますよね。
どちらかが正しいというより、「過ち」と「赦し」の許容範囲が違うのです。
この映画を観ると、飛行機に乗るのが怖くなります。
パイロットたちからすれば、「あんなヤツはいねーよ!」って話なのかもしれませんけど。
僕たちにとっての「ドラマに出てくる酷い医者」みたいなもので。