琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】本にだって雄と雌があります ☆☆☆☆☆


本にだって雄と雌があります

本にだって雄と雌があります


Kindle版もあります。紙の本は1890円、Kindle版は1440円。
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Kindle版のほうが安いのですが、この本はなんというか、紙で読んだほうがサマになる感じがします。

内容紹介
旧家の書斎に響く奇妙な羽音。そこでは本たちが「結婚」していた! 深井家には禁忌(タブー)があった。本棚の本の位置を決して変えてはいけない。九歳の少年が何気なくその掟を破ったとき、書物書物とが交わって、新しい書物が生まれてしまった──! 昭和の大阪で起こった幸福な奇跡を皮切りに、明治から現代、そして未来へ続く父子四代の悲劇&喜劇を饒舌に語りたおすマジックリアリズム長編。第3回Twitter文学賞国内篇第1位!


この本、「第3回Twitter文学賞国内篇第1位」というのをみて、購入したあと、しばらく積みっぱなしになっていたんですよ。
何度か読みかけては、いつまで経っても読み進められないような感じで、中断して、を繰り返していました。
『19.5』が出てくるくらいまでは、正直、「こんなに読むのに時間がかかる小説は、久しぶりだな……」なんて、思ってもいました。

 あんまり知られてはおらんが、書物にも雄と雌がある。であるからには理の当然、人目を忍んで逢瀬を重ね、ときには書物の身空でページをからめて房事にも励もうし、果ては跡継ぎをもこしらえる。毛ほども心あたりのない本が何喰わぬ顔で書架に収まっているのを目に止めて、はてなと小首を傾げるのはままあることだが、あながち斑惚けしたおつむがそれを買いこんだ記憶をそっくり喪失してしまったせいばかりとは言えず、実際そういった大人の事情もおおきに手伝っているのだ。

この冒頭部を読んだだけで、「なんじゃこれは……」という感じです。
この小説がすごいところは、このテンションがずっと続いていくということで、虚実入り混じりながら、本への愛着と薀蓄が、とめどなく続いていくのです。

 ところで、たった今、私は本棚から『旧約聖書』と『新約聖書』と『コーラン』を引き抜いて机上に積み重ねてみた。この三兄弟はカミュサルトルより仲が悪いが、重ねようと思えば重ならないこともない。ひとえに重力のおかげだ。もしこの三冊がこの世からなくなれば、数千年来の宿便が解消されたようで猛烈にすっきりするようにも思われるが、もしかしたらさらに剣呑な書物の出現を押えこむ瘡蓋のような働きをしていないとも言いきれないし、いずれにせよ世界的ベストセラーとして資本主義経済に貢献しているのは確かだから、その辺はまあよしとする。というわけで、試しにその上に手を置いて宣誓してみよう。神様、私は嘘をつきません。本当のことだけを書きます。もしくは、本当だと信じていることだけを。完璧だ。というわけで、本当の話をしよう。

Amazonでの「内容紹介」には、「マジックリアリズム」という言葉が使われています。
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』という作品は、「マジックリアリズムの傑作」(というか、文学史に残る傑作、と言っても問題ないでしょう)として名高いのですが、僕はあの作品の世界に、なんとなく馴染みにくかったんですよね。
途中からは、見事にハマってしまったのですけど。


この『本にだって、雄と雌があります』は、すごく情報量が多い作品です。
ひとつの段落のなかに、いくつも「仕掛け」があって、読みながら、「こんなにたくさんのネタを、一冊の本を書くために使うなんて、もったいない」とか考えていました。
そして、日頃「読みやすい本」を選びがちにな僕にとっては、「すごいんだけど、読むのが大変な本」でもあったのです。
でも、この本に詰め込まれた「本に対する蘊蓄」や登場人物たちの不思議で幻想的な体験(読んでいて、ドラえもんの『ぞうとおじさん』のエピソードを思いだしてしまいました。もちろんこれも元ネタは『かわいそうなぞう』です)を読み進めていくうちに、なんだかこの世界にすっかり取り込まれたような気分になったのです。


題材が「本」であったり、「昭和の大阪のちょっとインテリでくせ者揃いの家族」に起こったことだったりするので、少なくとも「マコンド村」より敷居は低く感じるのですが、「本」や「家族」への愛情、そして、「次の世代への希望」に満ちあふれたこの小説は、若干ウェットなだけに、『百年の孤独』よりも、読みやすいのではないか、と思うのです。
というか、あまりにも突拍子もない物語に引き込まれて読み終えたあとに、「ああ、こういうのが『マジックリアリズム』なんだなあ」と、わかったような気がしたのです。
きっと、『百年の孤独』が世界的な評価を得る前に読んだ人たちも、こんな読後感だったのではないかなあ。


この本を読んでいると、「戦争」とか「大きな事故」なんていうのも、後世の人間にとっては、いや、当事者以外にとっては、ひとつの「物語」なのではないか、と思えてきます。
「現実」と「物語」を隔てるもの、それは何なのか?
良質の幻想は、邪悪な事実よりも、人の心を揺り動かすのです。
僕はこれが「フィクション」だというころは百も承知、のつもりでした。
でも、読みながら、涙が止まらなくなってしまったのです。
これが嘘だとしても(嘘なんだけど)、こんな美しい嘘をつける人間って、すごいな、って。


正直、本を読み慣れていないと、ちょっと馴染むのに時間がかかると思います。
本に関する蘊蓄などは、僕もほとんど消化できていませんし、真の愛書家なら、もっと「くすぐり」を楽しめたのにな、とも感じます。


本を読むのは楽しい。
でも、読めば読むほど、自分の無知や、まだ読んでいない本がたくさんあって、一生かかっても読みきれないことが「わかる」のも事実なんですよね。

「おい、ひろぼん。本いうんはな、読めば読むほど知らんことが増えていくんや。どいつもこいつもおのれの脳味噌を肥えさそう思て知識を喰らうんやろうけど、ほんまは書物のほうが人間の脳味噌を喰らうんや。いや、脳味噌だけやないで。魂ごと喰らうんや。せやから言うてな、わしみたいにここまで来てまうと、もう読むのをやめるわけにはいかん。マグロと一緒や。ひろぼん、知ってるか。マグロは泳ぐんやめたらな、息できんようなって死んでしまうんやでェ。せやから、わしみたいな学者も字ィ読むんやめたらなあ、ううっ、胸が苦しい……ひろぼん、そこの本取ってくれ。せや、その本や。早うわしに字ィ読ましてくれ! 頼む! 早う! ええい、わしを殺す気ィか!」

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