- 作者: 常松裕明
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2013/04/12
- メディア: 単行本
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内容紹介
明日は今日よりいい日になる。
(そう信じないとやってられないことばっかりや……)
ただお笑いのために走り続けた35年間。
木村政雄氏(ミスター吉本)との出会い、嵐のような漫才ブーム、ダウンタウンとの日々、怪文書と社内抗争、マスコミを騒がせたお家騒動と脅迫事件、亡き母への想い、そして盟友・島田紳助氏の引退……。
激動の歳月を思いっきり包み隠さず描く、爆笑と感動の快作一代記!
これはなかなか面白かった。
(2013年6月現在)吉本興業社長・大崎洋さんの一代記。
とくにお笑いに、吉本に思い入れがあったわけではないけれど、あるきっかけで吉本興業に入社したこと。
同期の3人のなかでは、いちばん学歴が劣っており、配属先も「格下」からのスタートだったこと。
「ミスター吉本」木村政雄さんとの出会いと、一緒になって吉本の東京進出の礎を築いたこと。
保守的・閉鎖的な体質の吉本興行のなかで、新しい笑いを、新しい芸人たちと作り上げていこうとしたこと。
ダウンタウンとの出会い。
吉本のなかで、いちはやく「コンテンツビジネス」の重要性に気づき、整備していったこと。
……にもかかわらず、吉本興行の内部では「異端」として評価が低く、左遷されたり、上司から疎まれたりを繰り返したこと。
紆余曲折がありながら、最終的には、吉本興業の社長にまで上り詰めたわけですから、なんだか「リアル島耕作」みたいな人、でもあるんですよね。
見かけはマンガの島耕作とは、程遠い感じではありますけど。
吉本興業入社当時のことを、大崎さんは、こんなふうに振り返っておられます。
平凡な学生時代を送ってきた僕にとって、同じ世代でありながら、自分とは百八十度違う生き方をしている若い芸人たちの姿は衝撃的だった。
売れている人も、売れていない人も、毎日を貪欲に楽しみながら生きてきた。野心や決意を秘めた若い芸人たちがひしめく花月劇場の楽屋は、見るたびにそのボルテージの高さに圧倒された。
舞台の開演前は他の出演者を食ってやろうというギラギラした熱気が充満していた。さんまは楽屋でもテンション高く、この頃からいつも笑いの輪の中心にいた。
紳助は当時から自分の芸や方向性を熱心に研究し、常にボルテージを高く保って生きていた。舞台を離れた日常でも、無駄な時間は過ごさないという意気込みにあふれており、よく自宅に誘われ、一緒に作ったご飯を食べながらいろんな話をしたことを覚えている。
「今の漫才界はやす・きよさんがトップを走っていて、東京の状況はこうや。大阪の同期では、さんまは抜群の明るさとノリのよさがあるし、阪神・巨人は正当派の漫才で、モノマネという武器もある。今の俺らの動きはこんな感じ。だったら次は俺ららしく高卒を生かしたヤンキー・ネタでいこうと思ってるんや。大崎さんはどう思う?」
部屋の壁には、番組の視聴率などが細やかに書かれた棒グラフは表のようなものが一面に張ってあった。今でいうSWOT分析のようなもので、そんな風に自分なりの戦略を立てながら芸を磨いていたのだ。
大崎さんが「島田紳助復帰」を画策している、という話をネットでよく見るのですが、大崎さん自身は「具体的な動きはない」と語っておられます。しかし、大崎さんと吉本の芸人たちの売れていない頃からの付き合いを知ると、「戻ってこいよ」って、言いたくもなるだろうなあ、とは思います。
売れたあとの紳助さんの行動にはいろいろ問題があったのかもしれませんが、大崎さんは、その前の「売れない時代、苦労していた頃」を知っているだけに、思い入れも深いはず。
ちなみに、個人的な付き合いは、現在も続いているそうです。
僕自身は、紳助さんの復帰を歓迎はしませんけど。
しかし、芸人と暴力団などの「反社会的勢力」とのつながりというのも、根が深いところもあります。
少なくとも、昔は彼らが興行を仕切っていたし、お祭りなどで「暴力団員が観にきていたとして、彼らだけを笑わせないなんてことが可能だと思う?」と問われたら、それはなかなか難しいことだろうな、と。
ただし、最近は、ほぼ「浄化」されてきているのは間違いないようです。
また、明石家さんまさんが東京で活躍しはじめた頃は、こんな感じだったそうです。
コンビの場合、普段の仲がいい悪いはあっても、まったく知らない東京のスタジオに入れば一緒に戦うことができる頼もしい相方になる。だがピンの場合はどんな場所でも一人だ。当時のさんまにはまだブレーンと呼ばれる存在もおらず、こと芸に関してはどんな現場でもひとりで立ち向かっていた。
さんまは、漫才ブームの陰で自分の芸をどうするか試行錯誤していう様子だった。もともとは落語家・笑福亭松之助さんのお弟子さんだが、落語はやらない。
「じゃあどんなネタしよ?」
二人でずっとそんな話をしていた気がする。『オレたちひょうきん族』で、高田純次さんの代役としてブラックデビルを演じる少し前の話だ。
そして、どんな状況でもさんまは決して弱音を吐かなかった。芯が強いのだ。漫才ブームに乗れなかった焦りはあったはずだが、売れっ子になっていた親友の紳助に対しても、「どんどん先を走ればええ。俺はお前らが息切れして倒れたとこに、ゆっくり行かせてもらうわ」と笑い飛ばしていた。弱みや強がりを決して表に出さず笑いにする明るさはズバ抜けていた。
これまでたくさんの芸人さんたちを見てきたが、あの世代で誰が男らしいかといえば、さんまがダントツだ。
「仲が良いコンビ芸人はほとんどいない」なんて噂を耳にするたびに、「ピン芸人のほうが、気楽だし、ギャラも独り占めできるし、いいんじゃない?」なんて思ったりもするのですけど、ひとりでできるネタのバリエーションはもちろん、芸能界という魑魅魍魎が跋扈する世界で生きぬいていくというのは、やっぱりひとりだとつらいのでしょうね。
さんまさんには「いつも明るく、よくしゃべるひと」というイメージがあるのだけれど、それができるのは「芯の強さ」あればこそ、なんですね。
「漫才ブーム」は、芸人たちに大きな収入と知名度をもたらしましたが、その一方で、「お笑いの世界の転機」にもなったのです。
新しい波が始まっていた。『オレたちひょうきん族』に象徴されるように、漫才コンビはそれぞれがピンで登場し、持ちネタは一切やらない。これまで劇場で練り上げてきた漫才という芸とは別に、テレビという舞台で即興性や応用力が求められはじめたのだ。
「今から勝ち残りゲームなんやなあ」
『オレたちひょうきん族』の収録が行われるスタジオの片隅で、ボンヤリとそんなことを考えていたことを覚えている。
なんとなく上司の木村さんともギクシャクしてしまい、東京から大阪に戻されてしまった大崎さん。
そこで、大崎さんは、あるコンビと出会います。
そんなある日、相変わらず暗い顔をした二人にNSC(吉本総合芸能学院)で会うと、「お茶おごってくれません?」と向こうから声をかけてきた。
三人で近所の喫茶店に入ると、いつものようにどこかふてくされたような空気が漂う。僕が社員だから、おごってもらうからと、愛想を遣うような性格ではない。
そんな二人がボソボソと口を開いた。
「大崎さん、僕らのこと、どう思います?」
「どうって、自分らおもろいやん。ダントツやで。なあ」
「でしょ。ですよねえ」
「せやろ」
「でも、じゃあどうして僕ら、仕事ないんですかね?」
「……せやなあ、ほんまや。みんなアホやなあ」
アホなのは、こんなことしか言えない僕だ。
二人の話を聞いているうちに、自然と口にしていた。
「じゃ、俺がマネージャーするわ。一緒に頑張ろか」
無名の新人コンビと窓際社員のチームが誕生した。この日から、僕の本当の意味でのマネージャー業が始まったと思っている。
スケジュールの管理だけではない。そうやってこの二人の仕事の場所を作っていくか。その場所もどこでもいいわけではなく、二人の面白さがちゃんと伝わる場所でなければならない。方向性や戦略まで含めた総合プロデュースだ。
何をすればいいのか見当もつかなかったが、時間だけは腐るほどある。まずは真っ白だった二人のスケジュールを無理やり予定で埋めることから始めることにした。吉本では十日ごとに区切ったスケジュール表をタレントに渡していたので、同じように「松本様」「浜田様」と二枚のスケジュール表を作って手渡すことにした。
この仕事がなくて悩んでいたふたりが、後の『ダウンタウン』なのです。
大崎さんは「正式にマネージャーに任命されたことはない」にもかかわらず、この二人をサポートし、「新しい笑いの潮流」を作り出していったのです。
ふたたび、大阪から、東京へ。
200万枚以上も売れた”H Jungle with T”の誕生秘話や「『ごっつええ感じ』降板事件の真相」など、「当事者しか知りえない話」も大崎さんの立場から書かれていますし、「大阪パフォーマンスドール」や吉本のアーカイブを活かしてのDVD販売などの「新規事業の開拓」も大崎さんの仕事でした。
これらの新規事業のなかには、うまくいったものも、いかなかったものもありますし、吉本興業の社内的には、大崎さんが「サイドビジネス」に奔走していると批判する勢力もあったようです。
まあ、それでもいろいろな縁があって、大崎さんは、吉本興業の社長となり、いまも活躍されています。
吉本興業にも「お笑い」にも格別の思い入れがあったわけではなく、一就職先として思いついた会社が、吉本だった。
伝統にしがみついていた「主流派」に煙たがられ、疎まれたおかげで、新しい仕事を開拓することができた。
不思議ですよね、いちばん遠回りのように見えた道が、「会社の頂点」に続いていたなんて。
いろんな芸人さんたちのエピソードも興味深いのですが、「吉本興行も、ある意味、『普通の会社』だったんだなあ」ということがわかる本でもあるんですよ、これ。