琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

真夏の方程式 ☆☆☆☆



あらすじ: きれいな海に面した玻璃ヶ浦で計画されている、海底鉱物資源の開発。その説明会に招待された物理学者・湯川学(福山雅治)は、緑岩荘という旅館を滞在先に選ぶ。そして、そこで夏休みを過ごす旅館を営む川畑夫婦(前田吟風吹ジュン)のおい、恭平と知り合う。次の朝、緑岩荘に宿泊していたもう一人の客・塚原が……


参考リンク:映画『真夏の方程式』公式サイト


2013年18本目。
火曜日のレイトショーで観たのですが、シネコンのいちばん広いシアターに観客は僕も含めて7人。
今年の邦画のなかでは、かなりの好スタートを切っているそうなのですが、平日の夜だとこんなものなのかな。


さて、原作と比較すると……と言いたいところなのですが、実はこの『真夏の方程式』は原作未読なんですよ。
ガリレオ』シリーズで、唯一読んでません。
単行本が出たときに「これはこれで面白いけれど、ちょっと今までのシリーズとは毛色が違う」という評判をけっこう耳にしていました。
気になってはいたのですが、映画化されるという話を聞いたので、それなら、たまには原作を知らずに映像化されたものを先に観てみようかな、と。


観終えての感想。
あー、これはやっぱり『ガリレオ』というか、福山雅治の湯川学は良いなあ。
今回は、旅先で偶然出会った少年・恭平、そして宿泊先の旅館の経営者一家との交流(というか「交流」するのは恭平と成実がほとんどなんですけどね)が描かれていて、「研究室内でも、事件の推理をしているわけでもない湯川」を観るのはなかなか面白いものでした。
旅先でひとりで地酒を飲むのか湯川先生!


で、子どもが苦手な湯川先生(ご本人は「苦手なんじゃなくて、嫌いなだけだ)」と仰っていましたが)のぎこちなさが、同じく子どもが苦手な僕にはなんだかとても親近感がわきました。
「子どもが苦手な大人」って、「子どもを子ども扱いするのが苦手」なことが多いんですよ。
そんな湯川先生が「科学」を通じて、恭平との接点を見いだしていくところは、すごくいいシーンだなあ、と。
いやまあ、「それなら、水族館とかに連れていってもそんなに変わらないのでは……というか、そのほうがもっとよく見えるのでは……」などと、思いませんでしたっ!ええ、本当です。そんな野暮なことはっ!


この映画、ミステリとしては、驚くようなトリックもないし、「それはさすがに不自然だろ……」というような事件なんですけど、とりあえず海と海辺の町の景色の美しさ、真っ黒に日焼けして役作りをしていた杏さんの熱演(ただ、あの「ステレオタイプな環境保護運動家」たちの存在意義は、かなり謎)、そして前述した「湯川vs恭平」で、シリーズの、福山雅治の湯川学ファンには十分及第点の作品ではないでしょうか。


ネットでは「金を払って映画館で観る2時間スペシャルドラマ」などと書いている人もいましたが……


そのとおり!


でも、そういう映画があってもいいと僕は思いますし、この映画のプロモーション目的半分で『ガリレオ』の新シリーズが作られたのであれば、それはそれでいいのかな、と。
「映画的であろうとして、暴力やセックスシーンばかり派手な映画」よりも、綺麗な海や福山雅治を大画面で観ることにお得感を得られる人だって、少なくないはず。
「最初からDVDで稼ぐためにかたちだけ『劇場公開』するような映画」や「『ヤッターマン』も『ガッチャマン』も『逆転裁判』も同じ雰囲気で撮ってしまう映画」よりも、こっちのほうが、僕は好きです。


ただし、率直に言うと、僕はこの映画、最後のほうは、ひたすらムカムカしながら観ていました。
なーにが「家族の絆」だよ、自分さえよければいいのか!と腹が立ってしょうがなかったのです。


もしかしたら、この『真夏の方程式』が映画化原作になったのは、「映画化しやすい」のではなくて、ストーリー的に「地上波テレビで放送するには問題がある」と判断されたから、なのかもしれませんね。


とりあえず、『ガリレオ』シリーズと、福山雅治さんの湯川学が好きな人は観て損しないと思います。
ただ、基本的には「CMがなくて画面が大きい、有料スペシャルドラマ」です。



以下はネタバレ感想です。



本当にネタバレですよ!

 それで、なんでこんなにムカムカしているかというと、川端重治が、自分の「殺人」に恭平を利用したことに対して、僕は心底ムカついているんですよ。なにが「ごめんな」だよ、お前自分の娘がどんなに苦しんできたか見てきたんだろ?いくら「家庭を守る」ためとはいえ、他人の子どもが一生悩んで生きるようなことをさせるんじゃねえよ、なーにが「家族の絆」だ、このクズ!自分さえよければいいだけじゃねえか!あの母親も元はといえば自分が不倫していたのが問題なんだろうよ。……これから恭平はどうなるんだよ、あれじゃ本当に「使い捨て」以外の何物でもないだろ……
 自分で全部やれよ、そんなにやりたけりゃ。
 

 フィクションで良かったですよ本当に。
 でも、これが「家族愛からの悲劇」として美化されてしまうのだとしたら、それは違う!と言っておきたい。
 僕はあの最後のほうの面会のシーンで、「湯川先生、重治をせめてぶん殴ってくれ!」と思っていました。
(野蛮ですね、読んでムカムカしてきた人すみません。「戻る」ボタンは(たぶん)左上です)
 そうしないで、「ごめんな」で済ませようとした重治。
 ああ、ダメだこの男……
 結局、湯川先生は、重治を殴りませんでした。
 ただ、その言葉を聞いたときの湯川は、すごく絶望的な表情をしたのです。
 あれは「許した」態度じゃなくて、「呆れた」「諦めた」「殴る価値も見いだせなかった」態度だと、僕は思っています。
 湯川は、絶対に重治を許してはいない。


 それにしても、あんまり本筋とは関係ないような環境保護の話とか、「死んだ客を捨てる旅館」の話とか(いやそりゃさすがに21世紀の日本にはまずそんな旅館ないって!客が事故死するより、もっと潰れるよそんなの)、伏線なのかと思わせておいて、ミステリ部分の薄さを際立たせるばかり。
 これ絶対、湯川がいなくても、警察がなんとかしてるだろ……


 それでも、最後の駅の湯川と恭平のシーンは、すごくよかった。
 湯川先生は「子どもを子ども扱いする」ことに習熟するわけではなく、「少しだけ成長した子どもに、ほんのちょっとだけ前を歩いている同じ人間として寄り添う」のです。
 でもなあ、それだけに「あんなどうでもいい手伝いのために、子どもを利用するな!」というゲス男への怒りは、やっぱり燃え上ってしまう……

 
 個人的には、すごく「納得いかないところ」も多い作品だったのですが、それでも湯川先生カッコいいのでそれなりに満足はできました。

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