琥珀色の戯言

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【読書感想】絶望の裁判所 ☆☆☆☆


絶望の裁判所 (講談社現代新書)

絶望の裁判所 (講談社現代新書)


Kindle版もあります。

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

内容紹介
裁判所、裁判官という言葉から、あなたは、どんなイメージを思い浮かべられるのだろうか? ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?
しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派、マイノリティーとなっており、また、その割合も、少しずつ減少しつつあるからだ。そして、そのような少数派、良識派の裁判官が裁判所組織の上層部に昇ってイニシアティヴを発揮する可能性も、ほとんど全くない。近年、最高裁幹部による、裁判官の思想統制「支配、統制」が徹底し、リベラルな良識派まで排除されつつある。
33年間裁判官を務め、学者としても著名な著者が、知られざる裁判所腐敗の実態を告発する。情実人事に権力闘争、思想統制、セクハラ……、もはや裁判所に正義を求めても、得られるものは「絶望」だけだ。


 そういえば、検事や弁護士のドラマはよくみかけるけれど、裁判官のドラマって記憶にないなあ……なんて思いながら、読み始めました。
 裁判官というのは、良くも悪くも「ドラマになりにくい」というか、「法律と判例に従って、粛々と判決を出していく」、そんなイメージがあるのです。
 面白味がなさそうな人たち、とも言えるのですが、あまり「人間的」であるのもちょっと怖い仕事ではありますし。

 ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?
 しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派、マイノリティーとなっており、また、そのその割合も、少しずつ減少しつつあるからだ。そして、そのような少数派、良識派の裁判官が裁判所組織の上層部に昇ってイニシアティヴを発揮する可能性も、皆無に等しい。

 この新書、東大法学部(文科1類)に入学し、在学中に司法試験に合格したという超エリートの著者の「裁判官・裁判所の現状告発の書」です。
 著者は「あとから考えると、自分は社会・人文科学の研究のほうが向いていたと思う」と後悔されているのですが、そういうふうに、自分を客観的に見ながら裁判所の仕事をしていた人だけに、「裁判官の世界の特殊性」に染まりきれなかったのかもしれません。
 向いてないなんて言いながら、司法試験に在学中に通っちゃう人もいるんだなあ……と、僕との能力差に圧倒されてしまうところもあるのですけど。


 著者は、いまの日本の裁判制度が、実際に当事者(原告あるいは被告)になってみると満足すべきものではないことを紹介しています。
 裁判で公正な判断を仰ぎたいと思っているにもかかわらず、すぐに「和解」をすすめられるし、判決文は長くてわかりにくくて素っ気ない。

 2000年度に実施された調査によれば、民事裁判を利用した人々が訴訟制度に対して満足していると答えた割合は、わずかに18.6%にすぎず、それが利用しやすいと答えた割合は、わずかに22.4%にすぎないというアンケート結果が出ている(佐藤岩夫ほか編『利用者からみた民事訴訟ーー司法制度改革審議会「民事訴訟利用者調査」の2次分析』(日本評論社)15ページ)。日本では、以前から、訴訟を経験した人のほうがそうでない人よりも司法に対する評価がかなり低くなるといわれてきたが、この大規模な調査によって、それが事実であることが明らかにされたのである。

 日本の裁判所では、「ささやかな正義」はしばしば踏みにじられているし、後に述べるように、裁判所が、行政や立法等の権力や大企業等の社会的な強者から国民、市民を守り、基本的人権の擁護と充実、人々の自由の実現に努めるという「大きな正義」については、きわめて不十分にしか実現されていない。

 周防正行監督の『それでもボクはやってない』でも描かれていたように、よほどの重罪でなければ、一度起訴されれば、否認してもまともにとりあってもらえないまま、ほぼ100%有罪になってしまいます。
 全体としての効率化のためには仕方がない、ということなのかもしれませんが、自分がその被告だったらたまらないですよね……
 そうなる可能性は、「誰にでもある」のですから。


 この新書に書かれている、裁判官の「官僚化」「上の方針に唯々諾々として従う人しか出世できないシステム」を知ると、日本における「三権分立」とは、いったい何なのだろう?と思えてきます。
 「司法」というのは、「行政」「立法」の誤りや矛盾に歯止めをかける、独立した存在であるべきなのに、国の、行政の顔色をうかがうのみ。
 少なくとも日本では「司法」の立場、独立性は微妙なもののように感じます。
 国政選挙における「一票の格差」が「違憲状態」であることを裁判所が再三指摘するようになりましたが、いまのところ、具体的な動きはみられませんし。

 現在、マジョリティーの裁判官が行っているのは、裁判というよりは、「事件」の処理」である。また、彼ら自身、裁判官というよりは、むしろ、「裁判を行っている官僚、役人」、「法服を着た役人」というほうがその本質にずっと近い。
「先月は和解で12件も落とした」、「今月の新件の最低三割は和解で落とさないときつい」などといった裁判官の日常的な言動に端的に現れているように、当事者の名前も顔も個性も、その願いも思いも悲しみも、彼らの念頭にはない。当事者の名前などは、はしがきにも記したとおり、訴訟記録や手控えの片隅に記された一つの「記号」にすぎず、問題なのは、事件処理の数とスピードだけなのである。

 専門職の「内輪での会話」って、こういうふうになりやすい面はあるのでしょうけどね……
 裁判という仕事は、あまりに対象に感情移入しすぎるとつらそうだし(それは医療も同じです)。
 こういう「仕事仲間にしか見せない顔」をあえて紹介するのは、お互いにとってマイナス面が大きそうな気もします。
 ただ、「なるべく裁判をしないほうが、良い裁判官」であるというのは、やっぱりちょっと変ではあります。
 

 この新書を読んでいると、あれだけ裁判関連のテレビドラマや映画を観てきたにもかかわらず、僕はその裏側を全然知らなかった、ということに驚かされます。
 裁判官にとっては、刑事裁判よりも民事裁判のほうが人気がある、とか(刑事裁判は、よほど大きな事件でもなければ、類型的で面白味がない、と考える人が多いそうです)、実力よりも「上の言いなりになるかどうか」で出世が決まるとか、「裁判官というのも、人間であり、『官僚』なんだなあ」と。
 まあでも、「驚いた!酷い!」というよりも、「そんなものだと思っていたけどね……」というのが、僕の率直な印象ではあるのですけど。


 著者の鬱憤が溜まりに溜まっていたせいか、著者の批判が独善的に感じられるところもあるのです。
 裁判官という仕事について、「医師とは違って病気という側面だけに関わるわけではないこの職業は」なんて書いておられますが、「医師というのも、人間を相手にしているのだから、現実的には病気という側面にだけかかわっているわけにはいかなくて、多くの医師は、その『本来の仕事以外の問題』に悩まされている」のですけどね……


 でも、こういうことを「告発」してくれる人は貴重だし、興味深く読めた新書でした。
 それにしても、「このくらいじゃ、いまさら『絶望』なんてしないけどね」としか思えない自分が悲しい。

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