- 作者: 清武英利
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/08/21
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (4件) を見る
Kindle版もあります。
- 作者: 清武英利
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/08/28
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (4件) を見る
内容紹介
負け戦のときに、最後列で敵を迎え撃つ者たちを「しんがり」と言います。戦場に最後まで残って味方の退却を助けるのです。
四大証券の一角を占める山一證券が自主廃業を発表したのは、1997年11月のことでした。店頭には「カネを、株券を返せ」と顧客が殺到し、社員たちは雪崩を打って再就職へと走り始めます。
その中で、会社に踏み留まって経営破綻の原因を追究し、清算業務に就いた一群の社員がいました。彼らの一部は給与も出ないまま、「しんがり」を買って出て、無一文に近い状態になっています。この中心にいたのは、会社幹部に裏切られながら業務の監査をしていた人間たちで、証券会社では「カネを稼がない、場末の連中」と陰口を叩かれていた人々でした。・・・
山一證券の破綻を、記者会見で号泣した社長の姿とともに記憶している方も多いことでしょう。「社員は悪くありませんから!」という絶叫でした。
社長までが泣く、その大混乱にあって、「しんがり」の彼らはなぜ筋を通そうとしたのでしょうか。逆襲なのでしょうか、意地でしょうか、優しさなのでしょうか。
山一が消えたあとも、彼らは不器用な人生を送っています。しかし、決して不幸ではないと言います。「会社の破綻なんて人生の通過点に過ぎないよ」「潰れたって、何とかなるんだ」と。
一生懸命生きていれば、きっと誰かが見ていてくれる。――そんな彼らのメッセージは、どんな会社が潰れても不思議のない、リスク多き時代を生きる人々の励ましとなるのではないでしょうか。
1997年、山一證券が「自主廃業」。
僕自身は株や投資に縁がない生活をおくっていましたので(って、過去形で書きましたが、現在もほとんど縁はないです)、ニュースを観ながら「あんな大きくて有名な会社でも、潰れるんだなあ……」と思った記憶があります。
そして、「他の放漫経営の銀行や証券会社などは、会社更生法などである程度『救済』されたのに、なぜ山一證券だけが『自主廃業』することになったのだろう?」とも。
自主廃業を宣言した山一がすぐに始めなければならないことが三つあった。
一つは、速やかに営業を停止し、本支店を閉鎖するように社員を導くこと、つまり敗戦処理である。山一自体の資産を売却したうえで社員に再就職を斡旋することもその中に含まれる。二つ目に、顧客から預かった24兆円の株券や資産を早急、かつ正確に返還することである。すなわち清算業務だ。そして、三つ目が債務隠しの真相を暴く社内調査である。このうち、厄介なのは時間のかかる清算業務と嘉本が引き受けた社内調査だった。
この本には、山一證券という歴史ある大企業の「撤退戦」に最後まで残って、残務整理(顧客への株の返還など)や、山一證券が2000億円以上の負債を抱えた原因の究明にあたった「最後の12人」にスポットをあてています。
この12人は、それまで、会社では「実力はそれなりに評価されていたものの、うまく上司に取り入ることができなかったり、部下に過剰なノルマを課して実績をあげることに懐疑的だったりして、主流派にはなれなかった人たち」だったのです。
その組織が「場末」と呼ばれるのには二つの理由があった。一つは、証券会社が抱える体質である。
証券会社という職場は人柄や倫理観よりも数字が優先する。山一でも1965年の大々的な組織改正を機に、「営業第一主義」が掲げられ、本社スタッフは挙げて営業部門の活動を支援するのが任務とされていた。
人格的に少々問題があっても稼げる社員に稼がせ、出世させるという不文律で押し固められている。そうした空気に疑問を投げ掛けたり、上司に不正や疑問を直言したりすると、追いやられる職場としてギョウカンは真っ先に選ばれた。
「ギョウカン」というのは、1991年7月に新設された社内の司法部門で、「取引や業務の調査・把握と不適正行為の防止」を目的としていました。
そういう仕事の常として、社内では煙たがられており、「出世コース」から外れてしまった人たちが、送り込まれていたのです。
菊野は、西宮、水戸、荻窪、鹿児島と四ヵ所で支店長を務めたが、一度も旗を取ったことがなかった(「旗を取る」というのは営業できわめて優秀な成績をあげ、社内で表彰されること)。
最後に支店長を務めた鹿児島は菊野の郷里だった。それは、「ふるさと人事」と社内で呼ばれていた。故郷に錦を飾らせる計らいのように見えるが、実のところは、地方を転々として定年が見えてきた支店長クラスの幹部を、高校や大学の人脈が広がる故郷に戻して最後の鞭を入れるのである。そこで成績を上げさせようという本社の魂胆だった。だが、ここでも彼は表彰を受けなかった。
菊野が支店を去った後の後任支店長はたいてい表彰を受けている。そのたびに自分にこう言い聞かせた。
「わしは荒れた田んぼを耕して、後の人が刈り入れた。それでいいではないか」
旗を取るほどの成績を上げるということは、自分を追い込み、どこかで部下に無理をさせているということだ。
「数字の追求、その重みは半端ではなかった。僕は常にその重圧に苦しんできた」。山一の営業本部担当常務はそう証言する。
「昭和43年に入社したが、『パンパン』とびんたを張る音が支店で聞こえたものだ。上司が成績の上がらない部下を叩いているんだよ。ノルマ営業のその厳しさから多くの優秀な同期や若い支店員が辞めていった。残念でしかたなかった」
この菊野さんのような人は、たぶん、会社が順風満帆であれば「仕事ができないやつ」として、冷遇されたまま、だったはずです。
なんのかんのいっても、会社としては「成績を上げたもの勝ち」にせざるをえない。
この本を読んでいると、「成績を上げるため」に、(大きな問題にならないくらいの)不正をはたらいたり、顧客に儲からない株を承知の上で薦めたりしている証券マンのほうが出世していくということが、よくわかります。
レオナルド・ディカプリオ主演の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の冒頭で、主人公に先輩の証券マンが、こんなことを言うのです。
「相場がどう動くかなんて、しょせん、俺たちにはわからない。俺たちは、ただひたすら、お客に株を売って、売って、売りまくるだけさ。それで、こっちは儲かるんだから」
この本を読んでいると、あれはアメリカの極端な例というわけじゃないのだな、と痛感します。
そして、そういう世界で騙し騙されながら闘っていく覚悟がない人は、投資なんて手を出すべきじゃないな、と自戒せずにはいられません。
山一證券という巨大船が沈もうとしたとき、それまで舵をとってきた幹部たちの多くが、責任を逃れようとし、我先に船を脱出しようとしました。
そんな中で、責任ある立場で最後まで会社に残って、幕を引いた12人。
僕は歴史が好きなのですが、さまざまな王朝の終幕をみていくと、意外な人物が、その王朝や主君に殉じていることがあるのです。
それまで優遇されてきた寵臣たちが、裏切ったり逃げたりするなかで、ずっと冷や飯を食わされてきたはずの人が、毅然として、その「最期」を看取る。
本当に、人間って不思議だよなあ、と考え込んでしまうのです。
それを「滅びの美学」と解釈してしまうのは簡単なのだろうけれど、たしかに「負け戦で真価を発揮する人材」って、いるのですよね。
そういう人たちは、その組織が「うまくいっている」時代であれば「空気を読めない、変わり者」として生涯を終えてしまう。
山一證券の「幕引き」に大きな役割を果たした12人は、会社が危機に陥るまでは、「普通の社員」だったのです。
会社の幕引きの責任者となった人物も、権力を握っていた経営陣に疎んじられて、「会社の暗部」を知りませんでした。
彼は、責任を押し付けられたにもかかわらず、もっとも重要な情報からは隔離され、「自主廃業」も、当日になって日経新聞のニュースで知ったくらいなのです。
結局のところ、組織の中枢にいたごく一部の人たちが「自分の出世欲」や「自分の上司や部下への義理」にとらわれて行動してしまったことが、山一證券の悲劇を生んだのです。
嘉本さんたちがつくりあげた社内調査の報告書は、関係者が実名で書かれており、内容も詳細で、身内の膿を可能なかぎり排出するものでした。
「みんなが悪かった」「会社のためにやったことで、特定の悪人はいない」などという、「形式だけの報告書」ではなかったのです。
この報告書は、マスコミでも高く評価され「歴史に残るもの」となりました。
「あなた、会社が潰れるの知ってるの? 朝からニュースでやってるよ」
木戸みね子は居酒屋で同僚から電話を受けた。スキューバダイビングに夢中で、沖縄から上京してきた友達と早い時間から飲んでいたのだった。はしゃいでいただけに驚きは大きかった。しょんぼりと帰る途中で、父もまた長年勤めた会社が倒産の憂き目にあったことを思い出した。親子二代、勤め先の会社が潰れるのだろうか。
木戸は三人兄妹の末っ子である。六つ離れた長兄は金融関係の出版社にいて、山一が破綻へと向かっていることを知っていた。しばらくして「大丈夫か」と電話がかかってきた。
「きょうだいでも言えないことはあるんだ。経営破綻のことを言えなくてごめんな」
兄の言葉を聞いた途端に、悔しさがこみ上げてきた。ボロッと熱いものがブラウスの上にこぼれた。自分は社員なのに何も知らなかった。いきなり崖から突き落とされたのだ。
山一破綻のテレビニュースを見ながら、父はこうつぶやいた。
「もう普通の世の中ではなくなるんだ」
山一破綻までは世間に「まさか」はなかったのに、そのあと、「まさか、まさか」ということが当たり前のように起きている。普通の時代は終わったのだ。
今から考えると、山一證券の自主廃業というのは「本当に何が起こるかわからない時代」の幕開けだったのではないか、と思えてきます。
しかしながら、この本で紹介されている「最後の12人」の生きざまを追っていくと、「仕事とは何か」「会社員としての人生とは何か」について、少しだけ「答えが見える」ような気がするのです。
彼らもまた、自分たちの山一證券での仕事を終えたあと、転職していくのですが、転職先でも「マンガのような人生の大逆転」が待っているわけではありませんでした。
沈む船に最後まで付き合ったため再就職レースに出遅れ、その後も転職を繰り返している人もいます。
それでも、彼らはけっこう幸せそうだし、カッコいいんですよ、本当に。
自分の生きかたを自分で決められる人。
誰もやりたがらないような仕事を、あえて引き受けて、筋を通そうとする人。
彼らは、きっと「大変だけど、幸せに生きている」のだと思います。
どんなエリートだって、大会社の幹部だって、有名な教授だって、必ずしも幸せとは限りません。
でも、「自分が幸せかどうかの判断を、他人任せにしない生きかた」ができる人は、たぶん、どこにいても、何をやっていても、幸せに近い場所にいるのではないか、と感じました。
きれいごとだけではなくて、旧幹部たちの所業を読むと、「ああ、会社というのは、こういうふうに風通しが悪くなって暴走し、腐っていくのか……」というのも理解できる本でもあるのですけどね。