- 作者: 佐藤智恵
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2014/01/18
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
世界のエリートの「失敗力」 彼らが<最悪の経験>から得たものとは (PHPビジネス新書)
- 作者: 佐藤智恵
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2014/02/17
- メディア: Kindle版
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内容紹介
「あなたは失敗から何を学びましたか?」
世界最高峰の組織では、この質問への回答が、あなたを評価する重要な要素となる。
本書では、トップクラスの経営大学院の授業と、世界で活躍する12名の日本人エリートの実例から、身につけるべき「失敗力」の実情を探る。
大の大人が泣き出すほど厳しい「失敗シミュレーション」や、華やかな経歴の人が乗り越えてきた「忘れられない挫折」など、読みだしたら止まらない。
【主な内容】
このプレゼンはマッキンゼーのクオリティではない(マッキンゼー)/逃げた失敗の代償は大きい(BCG)/ 欧米流の効率主義がすべてではない(ゴールドマン・サックス)/失敗したという認識をもたない(グーグル)/シンガポールで部下が離職(トヨタ自動車)/マーケティングチームの解散(ソニー)/ タンチョウが売れない(電通)/アメリカ人女性とのバトルで会議が凍る(三井物産)/君は熱意が足りない(三菱商事) 。
「失敗しない人間はいない」
そう思っていても、やはり「失敗する」というのは、嫌なものです。
できれば、失敗とは無縁に生きていければなあ、と僕も思います。
あなたは失敗から何を学びましたか?
これは世界最難関の経営大学院、ハーバード大学経営大学院(ハーバードビジネススクール)の課題エッセイの設問だ。ハーバードは、2012年までの過去数年間にわたって、受験者に自らの「失敗」体験を書いて提出してもらい、重要な合否の基準としてきた。設問はほぼ毎年変わるため、Mistake(過ち)、Setbacks(挫折)など、表現の方法は変わるが、いわゆる「失敗」した体験を書かせることに変わりはない。
先日、こんな事件が話題になりました。
大手旅行代理店に勤務する男性社員がバスの手配を忘れていたため、予定された遠足の日にバスが配車されない、という状況に。
この社員は責任を逃れようと、生徒を装って「遠足を中止しなければ自殺する」との自殺予告を捏造。
学校は保護者に文書で経緯を説明し威力業務妨害の疑いがあるとして警察に相談し、事件が明るみに。
ワイドショーやネット上ではかなり大きく採り上げられていたので、ご存知の方も多いはずです。
最近は個人旅行ではネットを活用する人が多く、旅行代理店にとって、学校などの団体旅行というのは安定した収益が見込める「優良顧客」だそうなのですが、自分のミスを隠すためにこんなことをやってしまうとは……
ああ、でも僕は「こういうことをやってしまいたくなる気持ち」って、わからなくもないのです。
実際にやってはいけないことであるのは間違いないのですけど。
この新書を読みながら、この旅行代理的の事件、もし、この社員が気づいたときに「自殺する生徒の捏造」など行わずに、そのまま上司に相談したら、どうなっていたんだろう?と考えていました。
これだけの大きなミスであれば、もちろん、なんらかのペナルティが課せられることにはなったでしょう。
でもたぶん、クビにはならなかったのではないかと思うし、大手旅行会社が手を尽くして代替のバスを探したか、それが無理でも、会社として学校にお詫びをしたはずです。
いやもちろん、顧客として学校は怒っただろうけど、赦すのも人間、ではあります。
少なくとも、こんなに大きな事件にはならなかったし、この社員にとっても、10年先、20年先には、笑い話になっていたかもしれません。
この新書を読んでいて痛感したのは、「会社とか上司というのは、社員や部下が失敗する可能性を織り込み済みで動いている」ということでした。
ですから、社運をかけた大事業に、責任ある立場として新人を登用することはまずないし、大企業では、ひとつの事案で失敗しても、会社が潰れたりはしないようになっています。
この新書には「失敗の作法」みたいなものが書かれています。
「新人だから、若いから失敗してもいい」というほど、甘いものじゃない。
同じ失敗でも、次のチャンスにつながるものもあれば、能力を見極められてしまうものもある。
スタンフォード経営大学院のアーヴィング・グロースペック顧問教授は、失敗には2種類あると説明しているそうです。
・再起できる失敗
・再起が難しくなる失敗
再起できる失敗とは、次の二つのいずれか、あるいは両方を指す。
・最大限の努力をした結果の失敗
・投資家や周りの人に対して、最大限の誠実さを尽くした結果の失敗
つまり、仮に起業した会社がうまくいかなかったとしても、精一杯、誠実に努力した結果であれば、世の中から再起のチャンスが与えられるのだ。
僕はこれを読んで、なんだかとても痛いところを突かれたような気分になったのです。
アメリカは「失敗を許容し、再チャレンジを認めてくれる国」だというイメージがあったのですが、誰もが再チャレンジの資格を与えられるわけじゃない。
「以前、どのように失敗したか」が、ちゃんと問われるのです。
ちなみに「再起が難しくなる失敗」には、法に反するような不正・不祥事の他にも、
・起業家がなまけていた
・投資家に納得のいく業績説明をしていなかった
というケースがあてはまるそうです。
スタンフォードビジネススクールを2013年に卒業した加藤千尋さんは、著者にこんなふうに説明しています。
「失敗を対外的に説明するときに、出来る限り、客観的に事実を伝えることが必要です。最もやってはいけないのは、『市場が悪かった』というように、コントロールできないものに責任を転嫁するような説明方法です。そうではなく、戦略面でどのようなミスがあったのか、ビジネスモデルのどこがダメだったのか、マネジメント人材は適切だったか、客観的に分析して報告することが大切なのです。
結局のところ「その場しのぎでごまかそうとする」と、信用を失うことになり、もう、取り返すことはできなくなるのです。
この本のなかでは、さまざまな「エリート」たちの「失敗談」が紹介されているのですが、読んでいて感じたのは「欧米のやり方=グローバル・スタンダード」ではなくなってきているのではないか、ということでした。
ゴールドマン・サックスから国際金融公社に就職した小辻洋介さんは、こんな話をされています。
小辻さんのアフリカ勤務は、2009年、西アフリカのセネガルから始まった。ところがワシントンから意気揚々とセネガルに赴任して早々、最初の案件で大きな失敗をしてしまう。それは、西アフリカのマリ共和国にある大手飲料メーカーへの融資案件だった。
上司でもあるナイジェリア人の女性とマリ共和国のCEOの元を訪れ、融資前審査のための資料を出してもらおうとした。ところが、CEOは何の資料も用意していなかった。
「この財務項目の目次データはありませんか?」
「なぜないのですか? 会計システムがおかしいのではありませんか? そこは改善していただかないと、とても融資はできません」
小辻さんは、畳み掛けるようにCEOにせまった。
CEOは40代ぐらいの男性だったが、困ったような顔をして、小辻さんの話を聞いているだけだった。そして、結局、このミーティングでデータは出てこなかった。
「エリート気取りで、『これはグローバル基準じゃない、改善してください』などと上からモノを言ってはいけなかったのです。特に年長者を敬う西アフリカの文化ではそうです。こうした態度が相手の心を閉ざしてしまいました。今振り返れば、恥ずかしい限りですが、『オレは世界のトップクラスの投資銀行とビジネススクール出身で、グローバル基準を持ち込んでいる』というような傲慢な思いが心のどこかにあったのかもしれません」
ホテルに戻ると、ナイジェリア人の上司から諭すように言われた。
「ヨースケ、きょうの会議での発言だけれど、私だったら、ああいう言い方はしないわ。特に私は女性だから、なおさら言えない……」
怒るわけでもなく、否定するわけでもなく、自分だったら言わない……という上司の発言に、自分の欧米流のやり方が間違っていたことに気づく。
「西アフリカって、古き良き時代の日本のような感じなんですよ。人々は情に厚いし、年長者には大きな敬意を払います。明日病気になるかもしれない。クーデターや内戦が起きるかもしれないような不安定な状況で生きているのですから、なおさら人の繋がりは大切です」
(中略)
マリ共和国の案件で、小辻さんがもう一つ学んだことがある。それは、西アフリカには紙に残さず、頭の中に記憶する「口承の文化」があり、「紙や電子媒体で細かい記録を残す」という習慣があまりないことだ。だから数字は全部覚えるのが基本だ。優良企業であっても紙のデータが存在しないことも多々ある。また、極端な話、紙に残したところで、もし戦争が起きれば、いつ燃えてなくなるか分からない。マリ共和国の例でいえば、2012年に軍事クーデターとマリ北部紛争が勃発し、いまだに国が安定しているとはいえない。
こうした事情が分かっていたナイジェリア人の上司は、その後、CEOに聞き取り調査を行い、データをすべて口述筆記で書き取った。やはりデータはCEOの頭の中にあった。しかも、細かい数字まで明確に覚えていた。そして、そのデータを元に、国際金融公社からの融資が決まったという。
いま経済的に伸びてきている、あるいは、これから伸びていく可能性が高い国として、アジアやアフリカ諸国が注目されているのですが、それらの国々には独自の文化や習慣があります。
有名なビジネススクールや大企業出身で、「欧米型のスタンダード」を学ぶと、「みんながそうあるべきだ」と考えてしまいがちなようですが、それを相手に強要するのが正しいとは限らないのです。
こういう話になると「だからエリートってやつは……」なんて思われがちなのですが、こんな経験から自分を修正する能力が高い人が多いのも、真のエリートの底力、なのでしょうけど。
アジアやアフリカ諸国の経済的な重要性が高まるにつれて、それらの国々も「欧米型のスタンダード」に倣っていくのか、それとも、人脈(ちょっと悪い言葉を使えば「コネ」)を重視するような取引習慣が続いていくのか、それはまだまだ不透明なのです。
少なくとも現時点では、相手の伝統や文化を無視して、「欧米型に従え!」と命令しても、うまくいかない場合のほうが多いでしょう。
「過去の古き良き時代の日本的な付き合い方」のほうが、好まれる場合もありそうです。
これから、新しい仕事に立ち向かっていこうとしている人たちには、エリートであるかどうかに関わらず、一度読んでみていただきたい新書です。
世の中は、案外「失敗」に対して寛容なんですよ。それが「正しい失敗」であるかぎりは。