- 作者: 池上彰,佐藤優
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2014/11/20
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (22件) を見る
内容紹介
最強コンビが語り下す戦略、情報術
領土・民族・資源紛争、金融危機、テロ、感染症。これから確実にやってくる「サバイバルの時代」を生き抜くためのインテリジェンス。
池上彰×佐藤優。
そうか、この組み合わせがあったか!という、まさに「新書界の2大巨匠による、ドリームマッチ」的な新書です。
読んでいると、池上さんがうまく佐藤さんを喋らせているなあ、という感じもするのですけどね。
内容的には、現在(2014年秋)の世界情勢について、さまざまな角度から、二人が分析していくというもので、かなり時事的なものとなっており、読むならいま、という気がします。
この本のタイトルは『新・戦争論』なのですが、冒頭、佐藤優さんは、このように仰っています。
佐藤優:今の世界を見回したとき、私の印象は、クラウゼヴィッツの『戦争論』はまだ古くなっていない、というものです。プロイセンの軍人だったクラウゼヴィッツが、ナポレオン以降の近代戦争をはじめて体系的に研究し、没後の1832年に刊行された、戦争と政治の関わりを包括的に論述している古典的な名著です。そのポイントは「戦争は政治の延長である」というテーゼにありますが、ベルリンの壁崩壊から四半世紀が経ち、戦争と政治の境界線が再びファジーになっています。
「核兵器がつくられて以来、クラウゼヴィッツは無効になった」「核兵器は人類を滅亡させるところへ行きつくから、もう大国間の戦争はなきなった」というのが、ついこの間までの常識でした。しかし、どうやら人類には、核を封印しながら、適宜、戦争をするという文化が新たに生まれてきているのではないでしょうか。
池上彰:確かに核兵器が登場したときに、「これでいわゆる通常戦争はなくなるのではないか」と喧伝されました。しかし依然として、通常戦争は通常戦争として行われています。核はあまり戦争の抑止力になっていないのです。
佐藤:まず、ここで「戦争」という概念をもう一度考え直してみる必要があります。
第一次世界大戦の開戦から2014年でちょうど100年経ったというのに、なんであんな戦争が起きたのか、いまだにわからない。ヨーロッパは、19世紀初頭のナポレオン戦争以後、普仏戦争などがあったにはせよ、基本的には平和な時代が続いていた。それなのに、なぜ大戦になったのか。
池上:不思議ですよね。みんな本当はやる気がなかった、何となく戦争はしたくなかったというのに、ああいう結果になってしまった。
佐藤:芥子粒みたいな小国・セルビアの人間が、超大国であるオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻を暗殺したのが発端でしたから、二週間くらいで、小国がひねられて終わりだ、とみんなが思っていた。ところが結局は、足かけ五年もの長きにわたる世界大戦になった。
また、第一次世界大戦と第二次世界大戦を連続して考える、いわば20世紀の「31年戦争」という説もあります。さらに、最近の世界を見ていると、20世紀の「100年戦争」が続いているのではないか、とまで思えてしまう。われわれは、その「戦間期」にいるだけなのかもしれない。14世紀から15世紀にかけての100年戦争にしても、イギリスとフランスの間で実際に戦闘が生じた期間は、すべて集めても、二、三ヵ月にしかならない。
池上:そう考えると、今は実は「大戦前夜」なのに、それに気づいていない時期と言えるのかもしれません。
たしかに、「核兵器」があっても、実際に「使ったら、すべておしまい」なわけで、いまのところ、戦争のやり方というのは、そんなに変わっていないような気がします。
各国の経済的な繋がりを考えていくと、核兵器を使わないとしても、「国家の間で、相手を絶滅させるような戦争」は起こらない、と思いたい。
いまは、「植民地」をつくれるような時代ではありませんし、他国は「市場」だったり、「生産工場」だったりもしますしね。
もちろん、そういうのは「先進国の言い分」なのかもしれませんけど。
この話のなかで印象的だったのは、第一次世界大戦も、みんなそんなに「やる気満々」ではなかったし、「セルビアとオーストリア=ハンガリーでは戦力差があるから、どうせすぐに終わるだろう」と楽観していた、ということでした。
戦争前に、市井の人々が書き残していたり、生き延びた人が当時を振り返って語っているものを読むと、多くの人が「普通の生活」をしていたし、戦争を望んでもいなかったのです。
それでも、戦争は、起こるときには起こる。
いまの日本の「平和」だって、永続するものではないのでしょうね、きっと。
国家のあいだの戦争じゃなくても、同じ国のなかでの「格差」から起こる戦争みたいなものも、これから顕在化してくるかもしれません。
この対談を読んでいると、池上さんも佐藤さんも、日本人の感覚で「世界はこうあるべきだ」と見ているのではなくて、現地の人たちの考え方、ものの見方を知り、尊重していることがよくわかります。
ウクライナ情勢について。
佐藤:ロシアは十分広いのだから、ウクライナは緩衝地帯にしたほうが得策です。日本の報道では、こうした点はまったく触れられていませんので、日本人からすると、ともすれば、黒海に面して、ヨーロッパに近いウクライナのほうがロシアより文明的に見えるかもしれません。
しかし、ロシア人の感覚としては、モスクワを中心として、西へ行けば行くほど貧しくなる。とくに西ウクライナは山岳地帯で、中央ウクライナと比べても収入は6割くらい。ウクライナの西側に対する憧れなど皆無、「貧乏なところ」という印象があるだけです。そしてロシア人は、貧乏な人を基本的に尊敬しません。貧乏な連中と一緒にやりたいとは思わない。ウクライナをどうして軽く見るのかというと、貧乏だからです。
池上:そもそも「ウクライナ」というのは、ロシアから見て「田舎」とか「地方」とかいう意味です。長年そう呼ばれているうちに、そのまま国名になってしまったとも言われます。
佐藤:しかも、西ウクライナはナチス協力の過去がある。だから、戦後、インフラ整備もしなかったのです。
池上:それではますます貧しくなり、西ウクライナの連中からすれば、恨みが深まっていったのでしょうね。
こういう「背景」が、ゴールデンタイムのニュース番組で語られることはありません。
そりゃ、「ウクライナは貧乏で、ロシア人は貧乏な人を尊敬しない」とか、「ウクライナは『田舎』とか『地方』という意味」なんていうのは、なかなか「公言」しにくい話ですよね。
僕も、単純に、ロシアも西側のほうが豊かで「文明化」されている、というような印象を持っていたんですよね。
西ヨーロッパに近くなる、というだけの理由で。
でも、多くのロシア人にとっては、「西のほうが貧しい」というのが共通認識なのですね。
世界の情勢は、刻々と移り変わっていっています。
「中東のCNN」などと呼ばれ、中東では珍しい政治的な影響を極力排した放送局だといわれていたアルジャジーラも、最近はカタールの国策、あるいはスンニ派、サウジアラビア寄りになっているそうです。
また、「遠隔地ナショナリズム」という、「母国を離れた人たちが、自分でリスクを負うことなく、母国のナショナリズムを煽っていく」風潮も、ベネディクト・アンダーソンさんの言葉を引用しながら紹介されています。
佐藤:それと、国家の空洞化と並行して、ナショナリズムの新たな形態も生まれています。とくにアメリカで大きな問題になるのは、遠隔地ナショナリズムです。アメリカが世界各地のトラブルの発生地になる可能性があります。
現在、慰安婦が深刻な問題になっていますが、その追及の激しさを比べてみると、韓国国内よりもアメリカでのほうが激しいのです。
池上:アメリカでは、訴訟になって話題になったカリフォルニア州のグランデールほか各地に慰安婦像が建てられています。
佐藤:それは、もはや韓国には帰らず、また韓国語よりも英語のほうが上手になり、子どもたちもアメリカ社会に同化させようと思っている在米韓国人たちがやっている運動です。ふるさとの韓国で、その歴史について勉強したこともなかった韓国で、こんなことが行われていたんだ、と聞いて、自分たちの心の祖国を大事にしたいという、ナショナリズム論でいうところの「遠隔地(遠距離)」ナショナリズムは働いている。
この「遠隔地ナショナリズム」というのが「故郷」への思慕の念から出ているのか、「祖国を離れてしまった人たちの後ろめたさ」みたいなものから来ているのか、あるいはその双方なのか、わからないところはあります。
しかしながら、こういう「自分自身が直接傷つくリスクは低い場所からの攻撃」というのは、先鋭化しやすいのも事実です。
そういう「安全圏からの過激なナショナリズム」は、今後の世界の不安材料になってくるような気がします。
というか、もうすでに、なっているのか……
そして、「このふたりの情報収集能力ならでは」という裏話だけではありません。
特別な知識や人脈がなくても、「考えてみれば簡単に想像できること」が本当はたくさんあるのだ、というのもわかります。
池上:北朝鮮が再調査をすると言っていますが、本当は再調査なんかする必要はないわけです。外国人なり、日本人に関しては、全部データがあるのですから。
日本側は妥協しているわけです。「とっくにわかっているだろ」と言ったら話が進まないから、「『再調査したら見つかりました、以前悪いやつが隠していたのが見つかりました』と弁解していいですよ」と逃げ道を与えている。
かなり昔の話とはいえ、「北朝鮮の国としての政策」として日本から拉致されてきた人々についての資料を、北朝鮮政府が「いまは持っていない」とは、たしかに考えにくいのです。
北朝鮮政府は、拉致してきた人たちに、それぞれの役割を与えていたのですから、「監視」も続けてきたはずです。
最後のほうには、池上さんと佐藤さんの「情報収集法」についても紹介されています。
池上:私は新聞は毎日10紙を紙(かみ)で読んでいます。切り抜きをする時間まではないものですから、とりあえず必要なところをペリッと破って、クリアファイルに入れて持ち歩きます。
10紙も読むのか!と驚いてしまったのですが、考えてみると、池上さんでさえ、誰でも買って読めるような新聞を読んで、「勉強」しているのです。
池上さんの勤勉さは特別だけれど、情報収集に「裏技」みたいなものは、ほとんど無いようです。
しかし、「紙で新聞を読む」と書いておかなければならない時代になったのだなあ、と、感慨深くもありますね。
インターネット前であれば、この文を読んで、「新聞は紙に決まってるだろ!へんな日本語だ……」と思う人も多かっただろうから。