琥珀色の戯言

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【読書感想】巨匠の失敗作 ☆☆☆


巨匠の失敗作

巨匠の失敗作

内容紹介
天才・ミケランジェロの代表作≪ダヴィデ像≫の欠点とは?


ミケランジェロフェルメールゴッホムンクピカソ、ウォーホル、葛飾北斎など、
美術史にかがやく15人の巨匠と代表作の<真相>を、
原田マハ福岡伸一平野啓一郎山口晃など、作家、専門家や関係者への取材を通して再検証する。


今までの「アートの見方」をくつがえす挑発的入門書!

 このタイトルを見たとき、「おっ、なんだか面白そうじゃないか」と思ったんですよ。
 巨匠の「名作」と呼ばれている作品に隠された秘密、みたいなのが明かされている本なのかな、とワクワクしました。
 そして、「失敗作」であるとまで言っているのだから、それなりの根拠もあるにちがいない、と。
 いや、いちおう出版社名を確認はしたんですよ、自費出版とかだったら、「個人の思い込みによる妄言」の可能性もあるから。
 紹介されている作品は、レオナルド・ダ=ヴィンチの『最後の晩餐』、ミケランジェロの『ダヴィデ像』、ピカソの『ゲルニカ』など、それほど美術に造詣が深くない僕でも知っている、名画・名作揃い。
 いったい、どんな新しい知見が、書かれているのか……


(2時間後)


 やられた……
 「釣りタイトル」でした。
 自称「目利き」のオッサンが、自分の思い込みだけで歴史に残る作品群に文句をつけまくる、というような内容ではなかったのですが(むしろ、そのほうが面白かったかも……)、読んでいて「みんなが喜んで観ているものに対して、わざわざ揚げ足をとって本質的とは思えないような批判をすることに意味があるのかねえ」という寒々とした気持ちになりました。


『最後の晩餐』の項より。

 さて、このようにレオナルド・ダ・ヴィンチの人生を俯瞰してみると彼が実にさまざまな領域の仕事を手がけていることがよくわかる。その博学による数々の功績はここであらためて言及しないが、果たして彼は本当に”万能の天才”だったのだろうか。この疑問に対し、レオナルドは「ADHD(注意欠陥・多動性障害)だったのではないか」と推論を掲げるのは神戸大学大学院人文学研究科教授で美術史家の宮下規久朗氏である。宮下氏は次のように語る。
 「彼はいわゆるモラトリアム人間のようなところがある人だと思います。いろいろなことに興味があるばかりに、ひとつのことをやっていても飽きっぽいのですぐにいろいろなことに気を取られて放ってしまうんです。現に普通なら師匠の技術を継承して独立している年齢でも工房に居続けていて、ちゃんと絵画の技法を学ばなかった。つまり、積み上げ学習が苦手で何事も完成できない人なんです。”万能の天才”というイメージがいまでもありますが、実際はそうではない。いろいろなことに首を突っ込んだだけです」
 事実、あの《モナ・リザ》でさえ「未完成作である」とする学説は決して少なくない。もちろん、「未完成作は評価に値しない」というのはひとつの考え方ではあるが、最後まで表現することをあきらめなかったという証でもあるだろう。しかし宮下氏の指摘を受け止めると、どうもレオナルド・ダ・ヴィンチという芸術家像には後年に補強され神話化した部分が多分にあると感じられる。宮下氏は続ける。
 「レオナルドはたいした画家ではありません。20世紀になるまで、ラファエロミケランジェロに比べれば彼の地位はそれほど高くはありませんでした。というのも、19世紀末のヨーロッパで人体の解剖図や機械の図面などが記された彼の手記が数多く発見され、「この人は天才ではないか」と研究が進んで妙に持ち上げられたんです。ただ現在ではこの手記のほとんどはいろいろな本を抜き書きして自分の観察や意見を混ぜたものだと判明しています。つまり彼は20世紀の神話によって浮かび上がった人なんです。しかもレオナルドが有名なのは日本とアメリカだけでイタリアではそんなに尊敬されていない。画家としての業績も10点ほどしかなく、且つほとんどが未完成で、ラファエロミケランジェロに比べたら後世に与えた影響もきわめて少ない。名声の割には実力が伴っていないんです」

 「何このクソリプみたいな批評」というのが、この宮下さんのコメントに対する僕の感想です。
 ダ・ヴィンチの実像には、たしかにこのような面もあったのかもしれません。
 でも、「レオナルドはたいした画家ではありません」って、あなたに言われる筋合いはないだろう、と僕は思いますし、そもそも、今の時代にこれだけの評価と人気があることそのものが「傑作」であることの証なのではなかろうか。
 ADHDだとか、20世紀になって研究が進んで「底上げ」されているとか、『ダ=ヴィンチ・コード』のおかげだとか、作家や鑑賞者を貶めることによって、自分の正しさをアピールしようというのは、醜悪だとしか言いようがありません。
 というか、もうちょっと言いようがあるんじゃないかね。
 

 ミケランジェロの『ダヴィデ像』の欠点、については、こんな意見が紹介されています。

 「いま置かれている場所がよくないということだけが《ダヴィデ像》の欠点です。当初はシニョーリア広場というかなり大きな広場に置かれていたので、遠くから像を見る人もいました。しかし現在はアカデミア美術館のホールに置かれているので遠く引いた視点では見られず、近くから見る視点がますます強まっています。ですが美術作品は本来の場所で見るのが一番いいのであって、そこから切り離されると別物になってしまうことが多いんですね。絵画もそうですが、光の明暗や目の高さ、見る距離のように周囲の空間と一体となっているのが彫刻です。つまり美術作品は本来なら動かせないものなんです。だからわざわざ入場料を払ってオリジナルの《ダヴィデ像》を見る必要はありません。オリジナルの場所に置かれているレプリカを見るほうがいいと言えると思います」

 これも、さきほどの宮下さんのコメントです。
 僕は『最後の晩餐』『ダヴィデ像』はオリジナルを観たことがありますが、いずれも素晴らしい作品だと感じました。
 美術作品は「背景」も込みで観るものだ、というのは、けっして間違いではないのでしょう。
 でも、作品の損傷を防ぐということを考えれば、オリジナルを美術館に置くのは、致し方ない。
 そもそも、「本来の場所が」「背景が」って言っても、フィレンツェの街も、そこを歩いている人びとも、ミケランジェロの時代と同じなわけがない。
 そんなの、わざわざ「欠点」として指摘する必要があるのかね……
 「本来の設置場所では、どんなふうに見えていたのか、想像してみるのも興味深いですね」くらいの問題提起なら納得できるのだけれど、なんでこんな挑発的な物言いになってしまうのだろう、この人は。


 この本に出てくる専門家が、みんな宮下さんみたいな「難癖ばかりつけているようにみえる人」ではないのですが、この『最後の晩餐』と『ダヴィデ像』だけで、この本は「失敗作」だというイメージができあがってしまいました。
 

 世間での知名度や人気と、専門家の「絵画としての評価」は異なるのだ、というのは、絵画好きにとっては、興味深いところではあるのですけどね。
 読んでいて、なるほどなあ、と思うような指摘もたくさんあるのです。
 フェルメールの『真珠の首飾りの少女』について、フェルメールに関する著書もある生物学者・福岡伸一さんが「この作品はフェルメールの最高傑作とは言えないかもしれません。それは、背景が黒く塗りつぶされていて、フェルメールの魅力である背景世界の広がりがないから」というコメントをされています。
 たしかに、この作品は「背景が真っ黒」で、フェルメール作品としては「異質」なんですよね。
 

 また、ピカソの『ゲルニカ』について、

 今回本書の制作にあたり美術のさまざまな専門家に取材したのだが、実は「《ゲルニカ》は、いい絵だとは思わない」とみな口を揃えているのだ。

 と書かれていたのも印象的でした。

 
ゲルニカ』は、ピカソの作品のなかで、最も知られているもののひとつなのですが、「世界ではじめての無差別空爆」という悲劇を背景に描かれたこの絵は「反戦のメッセージ」として、単なる絵以上のもの、となっているのは事実なのでしょう。 
 とはいえ、そうやって「単なる絵以上になってしまうこと」もまた、ひとつの「価値」だとも言えるわけです。
「芸術」というのは、「技術」だけで優劣が決まるようなものじゃない。
 でも、志だけで、説得力が生まれるわけでもない。


 まあ、なんというか、「有名な作品には、こういう見方もあるのだなあ」ということを知りたい、という意欲と余裕がある人は、目を通してみても良いのではないでしょうか。
「失敗作」というタイトルなのだけれど、読んでいくほど「では、傑作とは何なのだろう?」と考えずにはいられなくなります。


 この本、「炎上ビジネス」っぽくなければ、もっとオススメできるんだけどなあ……
 でも、「巨匠の名作の鑑賞法」というタイトルでは、売れそうもないのか……

 

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