琥珀色の戯言

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【読書感想】宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

なぜ宗教は争いを生むのか? ウクライナNATO加盟を巡る対立の裏でキリスト教内の宗教問題を抱える露・ウクライナ戦争に加え、ユダヤ教イスラム教の確執が背景にあるイスラエルハマス戦争が勃発。日本では安倍元総理銃撃事件が起こるなど、人々の宗教への不信感は増す一方だ。宗教は本来、人を救うために生まれたはずなのに、なぜ暴力を正当化しようとするのか? 古代ローマ史研究の大家と国際事情に精通した神学者が宗教に関する謎について徹底討論。宗教が人間を幸福にするのに何が必要かがわかる一冊。


 元外交官で、国際情勢や宗教関係への造詣も深い佐藤優さんと、古代ローマ史が専門で著書も多い元東大教授・本村凌二さんの「宗教と信仰」についての対談本です。

 カール・マルクスは、1840年代前半、25歳のときの「ヘーゲル法哲学批判・序説」という論文のなかで、「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と書いています。
 「宗教はアヘン」という言葉だけがクローズアップされがちではあるのですが、マルクスは、宗教というものに対して、ネガティブな感情だけを持っていたわけではなく、人間の現実の苦痛を緩和してくれる効果も認めていたようです。
 そこで、「アヘン」に頼るのではなく、現実のほうを変えてしまおう、とマルクスは主張していたのですが、歴史的には、宗教はその影響力を弱めながらも続いているのに対して、マルクス主義のほうは時代とともに退潮してきています。
 その一方で、資本主義の「総本山」ともいうべきアメリカで、格差があまりに拡大してしまったがゆえに、若者のあいだで社会主義があらためて注目されてもいるのですが。

 僕は長年、宗教に対して、「どうして目にも見えず、現実的な利益があるかどうかもわからず、信者の負担や規則が多いものを信じようとするのだろう、信じられるのだろう?」と思ってきました。
 そう思いつつも、追い詰められた時には「神頼み」をするし、初詣で神社仏閣に行けば手を合わせています。
 まあでも、だいたい、僕と同世代(いま50歳前後)くらいの日本人の宗教観というのは、こんなものではないでしょうか。
 
 この対談の最初のほうで、佐藤優さんと本村凌二さんは「マインドコントロール」について、こんなやりとりをされています。

佐藤優とりわけ2022年は、宗教をめぐってさまざまな問題が噴出した嵐の年でしたね。日本国内では、安倍晋三元総理の銃撃事件によって、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)問題が浮上しました。じつはこの問題をめぐる議論の中でも、近代合理主義の限界が露呈しています。
 というのも、旧統一教会を批判する人たちのロジックは、単純な啓蒙思想に基づいています。「宗教のように非合理なものを信じて多額の金を寄付するのは、マインドコントロールによって理性を失っているからだ」というわけです。
 しかしマインドコントロールによって非合理なものを信じることは、宗教にかぎらず、あらゆる局面であるわけですよ。たとえば「厳しい受験競争に勝って難関大学に入学すれば将来は安泰だ」と信じている受験生やその保護者も、そういうマインドコントロールを受けていると言えます。


本村凌二それこそ人権思想を多くの人々が信じているのも、ある意味では近代社会によるマインドコントロールの結果と見ることもできますからね。歴史的には、たとえばヨーロッパで起きた1848年革命が、人々が人権思想に洗脳されたと見ることができる最たる出来事です。この年に、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによって『共産党宣言』が刊行されています。
 約半世紀前に起きたフランス革命もあって、人権思想が人々に浸透した結果、普通選挙の実現を拒否した王政に反発して革命が起こり、フランスは第二共和政に移りました。まだ領邦国家が群立するイタリアにすら人権思想が広まり影響がもたらされたほどで、ヨーロッパ中がある種のマインドコントロール下にあったと言えるでしょう。
 近代社会でなくとも、ローマでは共和政に対する信奉が根強く、これも見方によってはマインドコントロールと捉えることができます。カエサルがこの体制を破壊したことで、暗殺にすら発展しているわけです。マインドコントロールはごく自然に起こっている。


佐藤:おっしゃるとおりです。旧統一教会問題では、被害者救済のための新法にこの「マインドコントロール」となる文言を入れるかどうかが議論になりました。これは、きわめて危うい議論です。
 たとえばキリスト教なら、「生殖行為なしに生まれた男の子が救い主となり、その救い主は死んでから三日目に復活した」という教義が、ほとんどの教派で採用されています。こんな非合理な話を信じているのですから、キリスト教徒はほぼ全員がマインドコントロールされていることになる。したがって、もしマインドコントロールを法律で禁止できるとなれば、キリスト教を禁止できることになるわけですよ。


 それはさすがに極論ではないか、という気もするのですが、佐藤優さんは、同志社大学神学部で学んでいた時期に洗礼を受けたクリスチャン(プロテスタントカルヴァン派)なのです。
 キリスト教徒ではあるけれど、佐藤さんは、こういう「奇跡」を本当に信じているのでしょうか。
 それとも、「現実的にありうる」と「信じている」は別物だと考えている、ということなのか。


 佐藤さんは、ウクライナで現在行われている戦争に対しても、開戦当初はウクライナ国内のロシア系住民の処遇をめぐるロシア・ウクライナ間の戦争だった、と述べています。

佐藤:しかしアメリカは、この戦争を「民主主義対独裁という価値観の戦争だ」と位置づけました。一方、元々は地域紛争の枠組みで考えていたロシアでも、2022年9月30日に転換が起こるんです。「ドネツク民共和国」「ルガンスク人民共和国」、ヘルソン州とザポロージャ州の併合を宣言した演説の中で、プーチンが「同性愛や性別適合手術などを受け入れるような価値観に覆われている西側世界は「純然たるサタニズム(悪魔崇拝)の特徴を帯びている」と言ったんです。
 これが、ひとつの分水嶺でした。ロシア側も、「正教対悪魔崇拝(サタニズム)」の価値観戦争に切り替えたわけです。だからそれ以降は、西側もロシアもこれを「価値観戦争」という枠組みで認識しているわけですね。
 もちろん西側の価値観は世俗化されているので、宗教性はあまり前面に出しません。しかし、それが剥き出しになっている部分もあります。


 戦争というのは、はじまってしまうと、「勝つためなら手段を選ばなくなっていく」ものではあるのでしょう。
 あのプーチン大統領が、本気で「サタニズム」なんて思っているのだろうか、と疑問でもありますが、戦争をやっている国の指導者というのは、そういうものなのかもしれません。
 西側諸国だって、「いまさらそんなこと言われても……」でしょうし、アメリカでもトランプ前大統領は、同じようなことをずっと言っていました。

 ウクライナ戦争は、膠着状態になりつつも、現状ではややロシア側が押し気味になっている、と言われています。
 アメリカなど西側諸国の支援がなければ、ウクライナ単独でロシアと戦うには戦力差があるのですが、アメリカも基本的に「ウクライナの領土は守るとしても、ウクライナ側からロシアに攻め入ることができる支援はしない」という方針のようですし、戦争が長引くにつれ、他の西側諸国も厭戦的になり、兵器の供与にも消極的になってきているのです。

 どちらかが決定的な勝利を得ないように、世界中からコントロールされている戦争になってきているようにも見えます。
 

 世界情勢と宗教に対する分析もあれば、こんな話も出てきます。

佐藤:(現代の日本でも)場所によっては、信仰心のかたまりみたいなところがありますよ。すごいのは、京都の貴船神社。紅葉がきれいなことでも有名ですけれど、あそこは怖いところですよ。絵馬を見ると、「私の夫と不倫している××××が狂い死にますように」などと実名、住所入りで書いてあったりするんです。逆に「彼が奥さんと別れてくれますように」というのもある。


本村:へえ、そういう神社なんですか?


佐藤:丑の刻参りの発祥地だと言われていますね。だから奥に行くと、御神木に藁人形が五寸釘で打ちつけられていたりするんです。器物損壊罪になりかねないんで、本当はやっちゃいけないんですが。それでも後を絶たないんですから、よほど効くと信じられているんでしょうね。


本村:藁人形って、どこで手に入れるんですかね(笑)。


佐藤:ふつうにアマゾンで売っていますよ。昔はけっこう高くて、4000円ぐらいしたんですが、最近は安くなっていて、1000円以内で買えます。「呪いのロウソク&金槌付き」とか、使い方を教えるDVDとセットとか、バリエーションも豊富です(笑)。


本村:よくそんなことまで知っていますね(笑)。しかしまあ、近代社会といっても、人間の心はそんなに古代と変わっていないのかもしれません。ローマのお墓なんか見ると、「この墓に手をつけた者に災いあれ」などと刻まれていたりします。


 佐藤優さん、最近はウクライナ戦争のなか、ロシアに関する知識や人脈が豊富なこともあり、「ロシアの回し者」みたいな批判もされがちなのですが、こういう「なんでこんなことまで知っているんだ」という「余談力」には、いつも驚きつつ、ニヤニヤさせられてしまうのです。
 僕もこれを読んで、Amazonで検索しましたよ、「藁人形」。
 まさか「呪いグッズ」まで売っているとは(中には「ジョークグッズ」と但し書きがついているものもありますが)。
 こんなに何種類も売っているということは、それなりに買う人もいるのだよなあ。
 でも、「信じない」とは思いつつも、自分の名前が書かれた藁人形が五寸釘で打ちつけられていたら、やっぱり怖い。
 わざわざ京都まで足を運んで、呪っている人がいるわけですし。

 僕にとっての宗教というのは、「信じていない」と言いつつも、「無視したり逆らうのは不安なもの」ではあるのです。

 たしかに、科学や社会のシステムの進歩に、人の心の変化は追いついていないのかもしれません。

 佐藤さんは、こんな話もされています。

佐藤:2023年3月21日に「電撃訪問」と称してウクライナ入りしたとき、ゼレンスキー大統領に広島の「必勝しゃもじ」をお土産に渡したじゃないですか。あれ、われわれ日本人には広島の土産物だとわかりますけれど、ウクライナ人から見たら「悪魔の文字みたいなものが書かれた不気味な木のヘラ」ですからね。「これがあれば戦争に勝てます」と言われて、怖かったと思いますよ(笑)。


 思い返すと、ゼレンスキー大統領も、微妙な反応だったような。
 「文脈」がわかる日本人であれば、多少はありがたみを感じるのかもしれませんが、ゼレンスキー大統領は「こんなわけわからんものじゃなくて、お金とか物資をくれればいいのに」と思っていたのではないでしょうか。

 とはいえ、たぶん悪意はないであろう贈り物を断ることもできないし。
 ウクライナへの日本の資金援助は40億円で「高速道路を800メートル程度しかつくれない額」だそうですから、「必勝しゃもじ」を持って行った岸田首相は実は「策士」だったのかもしれませんね。日本の場合は、北方領土問題もあり、ロシアとの関係にも配慮せざるを得ないし。

 宗教は「不条理」ではあるけれど、そういう不条理で目に見えないものを「信じることができる力」は、既知の生物では人間にしかないもので、それがこれまでの「人間の社会と文明」を築いてきたのです。

 人間は、その程度や対象にグラデーションはあっても、みんな「マインドコントロール」されていないと、社会では生きられない。
 僕自身が、飛行機をハイジャックしてビルに突っ込むとか、何百万円もするツボを買うとかいうことをせずに済んでいるのは、運がよかっただけのような気がします。
 その一方で、宗教を持たない人間は「死ぬこと」への不安から逃れられないな、とも思い続けているのです。


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