- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2014/08/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2014/08/07
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内容紹介
■ 圧倒的人気を誇るミステリィ作家からの、 自分に素直になるための100のアドバイス!
Q.「どうしたら上手くできるんだろう?」
⇒上手くいかなくてもいいし、自分の思った通りでなくても良いから、
いちおう完成させてみてはいかがか。
Q.「孤独になるのがたまらなく嫌だ」
⇒寂しくて泣けてくるならば、涙を流せばいい。
それは、綺麗な涙だと僕は思う。
Q.「自分の好きなことを始めるには、もう遅すぎる」
⇒時間を戻すことは無理でも、本人が強く望めばできないというものはない。
合理的ながらも、時にドキッとする言葉で、時になによりもあたたかい言葉で、
心の中に秘めた疑問や不安を、拭ってくれる人生論!
どこから読んでも、あなたを変える言葉が待っている。
森博嗣先生の言葉は、読んでいてすごく面白いし、この100個の短いエッセイを読んでいると「なるほど」と思うところがたくさんありました。
でも、これを読んでいるうちに、なんだか、自分のダメさを思い知らされるというか、なんというか。
これを読んでいるときは、僕は森先生側にいるような気分になって、世間の矛盾を身も蓋もなくぶった切っているのですが、考えてみれば、僕のほうこそ、森先生にぶった切られる側なんじゃないかなあ。
「講義」とあるけれど、「雑談」だ。それだけは、ぶれずに保証できる。
うん、確かにこれは「雑談」なんですよ。
でも、「雑談」にしては、厳しすぎるかもしれない。
まあ、書かれていることの8割くらいは「でもさ、僕は所詮、森博嗣じゃないから……」としか言いようがないのですが、残り2割くらい、痛いところを突かれまくるんですよね。
小説を書きたい、工作をしたい、といったメールをもらう。「どうしたら、上手くできるようになりますか?」と尋ねる人が多い。たぶん、スポーツとか、仕事などでも同様だろう。たまたまスポーツとか仕事では、僕にアドバイスを求めないだけだ。
なんでも同じだが、どうして「上手くできません」と言うのだろう。何を作ったの? 何を書いたの? できたものを見せて、と言うと、たいてい、なにもできていない。ようするに、「上手くできない」のではなく、「できない」のである。
できないことの言い訳として、「上手くいかない」と言う。「自分が思ったとおりにできないから」なんて言う人もいるが、これも「できた」わけではない。ほんの少し「やりかけた」程度なのだ。
つまり、作品などを最後まで完成させていない。それでは話にならない。上手くいかなくても良いし、自分の思ったとおりにできなくても良いから、いちおう完成させてみてはいかがか、というアドバイスしかできない。
何故なら、たとえその道のプロや、あるいは天才の類であっても、「上手くできた」なんて思わないし、「自分の思ったとおり」にはならないと常々感じているのである。ただ、しかたなくそれでも作り続け、それを世に出しているだけなのだ。
こういうのは、本当に「その通りですよね……」としか言いようがなく。
とりあえず形にしてみないと、評価のしようもないのに「上手くできない」ことを「できない」理由にしてしまうのです。
やる人っていうのは、上手下手以前に、まず「やってみる」のですよね。
まったく知らない人のブログを読んだりするのが僕の趣味の一つだ。そこで、見つけた法則だが、日頃から次々と面白いことをしている人は、年末に一年の総まとめとかをしない。あっても、「今年はなかなか調子が良かった」の一言くらいで済ませている。それは、次の年に何をするのか、という方向へ既に目が向いているからだろう。
一方では、あまりこれといって人にアピールするようなことをしていない人は、丹念に一年を振り返っている。今年読んだ本、今年見た映画などなど、具体的にリストにしてまとめているのをよく見かける。
ああ、もう読んでいて、「穴があったら、入りたい」としか……
こういうのも、単なる印象で批判しているのなら、「ああ、お嫌いなんですね」で済むのですが、森先生の場合は、ちゃんとその「根拠」も提示されているのです。
ようするに、まとめというものは、列挙しただけでは読む気になれない。よく新書などでも、章の最後に、本文で書かれたことを繰り返しているけれど(森博嗣もときどきやっているが)、僕は、だいたいそういう部分は読み飛ばしてしまう。「諄(くど)いな」と感じるだけだ。できれば、もっと違う表現で、可能なかぎり抽象化してまとめてほしいものだと思う。
結局、そういう抽象力のある人間は、「今年はなかなか調子が良かった」と端的にまとめることができるし、この能力があるから、次々に面白いことができるのだろう。ここに気づいてほしい。抽象化できないから、リストをそのまま挙げてまとめてしまう。そういう人は、同じ作業を繰り返すことはできても、自分が置かれている状況を客観できていない場合が多く、それゆえに、次の新たなステージへ進めないのだ。
これは厳しい……でも、たしかにそうなんだろうなあ……
ただ、新書の章の最後に「まとめ」が置かれていたりするのは、そういうふうにまとめられていたほうが読みやすい、わかったような気分になれる、というニーズがある、ということだとも思うのです。
読み手がみんな、森博嗣なわけじゃない。
というか、森先生のような読者のほうが「少数派」なんだろうと思います。
でも、森先生に共感する人も少なからずいて、彼らは、「過保護さ」「諄さ」にうんざりしているのです。
森先生は、そういう人たち、あるいは、そうふるまいたい人たちの「受け皿」になっているのだよなあ。
「感動を与えたいって、何様のつもりか。」なんていうタイトルだけでも、「ああ、森博嗣節健在!」という感じの一冊です。
僕は半分くらいから、「もう勘弁してください。これ以上落ち込みたくないよ……」って思いながら読んでいました。