琥珀色の戯言

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【読書感想】お金の減らし方 ☆☆☆☆

お金の減らし方 (SB新書)

お金の減らし方 (SB新書)

  • 作者:森 博嗣
  • 発売日: 2020/04/07
  • メディア: 新書


Kindle版もあります。

お金の減らし方 (SB新書)

お金の減らし方 (SB新書)

内容紹介
「お金がないから好きなことができない」
人はとお金を理由にしがちです。
一方、お金持ちは「お金は使えば使うほど増える」といいます。
人生や価値観を左右する「お金」とは一体なんなのか。
どうすれば、お金の不安が消えるのか?
本書は、著書『作家の収支』でその収入を明らかにするなど、忌憚なく本質を突く作家・森博嗣
「お金の減らし方」と題し、人生とお金の付き合い方を解き明かします。
投資家やFPでは決して語ることのできない。
「お金」への思い込みをひっくり返す1冊!


 読むたびに、毎回、「それはあなたが森博嗣だからですよ……」とボヤキたくなってしまう、森先生の新書シリーズ。正直、これを読んで、なんらかの参考になるのだろうか、と思いますし、森博嗣じゃない人が、この人の生き方を真似しようとすることは、かえって人生をこじらせるのではないか、という気もするのです。
 それでも、つい、手に取ってしまうんですよね。

 さて、本書の執筆依頼は、「お金の増やし方」について書いてほしい、というものだった。これは、至極まっとうな依頼といえる。そんな方法があるなら、誰もが知りたいだろうし、もし知っていたら、誰にも教えないはずだ。
 読者の皆さんも、うすうす「もしかして、そうなんじゃないのかな」と思われたことだろう。特に、森博嗣を知っている読者ならば、なおさらそう思われたのにちがいない。
 SB新書では前回「作家の集中力」という執筆依頼を受けたが、その結果、『集中力はいらない』という本を書いてしまった。森博嗣は、天下御免の天邪鬼であるから、当然こういう(真逆に)なることは予想ができたはずだ。読者の一部も、長いつき合いの間に慣れきって、自然に想像されたことと思う。もし、「お金の減らし方」という本を依頼されたら、「お金の増やし方」について少しは考えたかもしれない(これは冗談です)。


 森先生は、いつも「読者のあなたとは違うだろうけど、世の中にはこんな考え方の人がいることを知っておくのも悪くないだろう」というスタンスで書いておられるのですが、この『お金の減らし方』という本に対しては、僕はけっこう受け入れやすいというか、納得せずにはいられないところが多かったのです。
 大学で研究や教育をしながら、自分の趣味である「庭園鉄道」を実現するためのアルバイトとして小説を書いてみたらベストセラーになり、年収1億円を超えてしまった、なんて話を読むたびに、「どんな超人なんだよ……」と言いたくなるのですが、それでお金持ちになる以前から、森先生は、お金の使い方にポリシーを持っていたのです。

 本当に自分がしたいことか、本当に自分が欲しいものか、ということをじっくりと考えれば、多くの無駄遣いが自然になくなると思われる。その点について、いろいろな方面から考察していきたい。
 僕は結婚をしたときに、パートナとなった今の奥様に、僕の方針のようなものを幾つか説明した。それには、僕なりの理屈があるのだが、単純にこういった方向性で家庭を運営していきたい、という希望、あるいは期待だった。
 その中には、ちょっと一般では考えられないものがある。たとえば、「欲しいものはなんでも買えば良い。でも必要なものはできるだけ我慢をすること」という方針。それは反対だろう、と思われるのにちがいない。
 また、どんなに貧乏なときでも、僕は収入の1割を、自分の趣味のために使った。同様に、奥様にも「1割を遊ぶために使いなさい」と言った。そして、残りの8割で生活を維持していこう、という大まかな方針だった。この方針は、結婚以来37年になるが、今も生きている。 ときどき、近所の人が、僕が遊んでいるところを見にくる。僕のガレージは、車が三台入る広さがあるのだが、今はすべておもちゃ(自作した飛行機、ヘリコプタ、機関車など)に占領されている。そこを見た人たちは驚いて、「家族の理解がよく得られましたね」とおっしゃるのだが、僕は、首を傾げるばかりだ。どうして、家族の理解が必要なのか?
 奥様も、僕と同じように好き勝手に遊んでいるだろう。経済的には、ほぼ同等である。僕は、彼女がなにを買うのか、理解を示しているのだろうか? そういう理解がいらないように、最初に1割までは自由に、と決めたのだ。

 本当に必要なのか、とよく考えてみよう。
 おそらく多くのものは、他者に対する見栄であったり、自分が惨めだと思いたくなかったり、そんな「感情」に根ざした支出だと思われる。お金がないのだから、惨めなのは当たり前だ、と開き直った方がまだ健全である。そもそも、惨めだと感じるのは、単なる主観でしかない。自分の感情がコントロールしきれていないだけ、ともいえるのではないだろうか。
 僕と奥様の間でも、ときどき家庭共通のものを購入するときに議論になる。たとえば、料理器具であるとか、冷暖房に関するものであるとか、あるいは子供たちに関するものであるとか。8割の共通費から支出するものは、二人で話し合うことになる。
 そんなときに、僕が大前提としたのは、やはり「どれくらい必要か」は問題ではなく、大事なことは「どれくらい欲しいか」なのだ、という理屈である。
 必要なものの多くは、実は絶対に必要というわけではない。なにしろ、それを買う今現在、それがなくても過ごせているからだ。一方、欲しいものは、それ自体でかなり説得力を持つ。どれくらい欲しいかが説明できれば、相手を説き伏せることができるだろう。


 森先生は「必要なもの」ではなくて、「本当に欲しいもの」を買うためにお金を使うべきだ、と考えているのです。
 そして、「お金というのは、やりたいことをやるための『手段』でしかなくて、本当に欲しいと思えるものを手に入れるためなら、お金をなんとか稼ぐか、自作したりなるべくお金がかからない方法を摸索したりして、なんとかそれを実現しようとするはずだ」とも仰っています。
 「お金がないからできない」というのは、「本当にそれがやりたいわけではない」ということではないか、と。
 いろんな反論が出てきそうだし、それこそ「それはあなたが森博嗣だから言えるのだ」と僕も思います。
 でも、この新書を読んでいると、森先生は、もし小説家として年収1億オーバーなどという金銭的な成功をおさめることができなくても、森先生なりに自分の趣味の庭園鉄道をつくっていたはずです。もちろん、今みたいなスケールのものではなかったでしょうけど、それはそれで、森先生は「納得」していたのではなかろうか。
 
 糸井重里さんの有名なコピーに「ほしいものが、ほしいわ。」というのがあるのですが、これが西武百貨店のコピーとして世に出たのが1988年です。
 いつの時代も、いや、ある程度豊かになったからこそ、人は、自分がほしいものが、わからなくなったのかもしれません。あるいは、ほしいものと必要なものが、乖離してしまったのか。
 カラーテレビや冷蔵庫はもちろん、マイホームやマイカーでさえ、「買えないもの」ではなくなったけれど、「そんなものに意味があるのか」と考える人も増えてきています。


 森先生は、大学の教官時代のことを振り返って、こう述べています。

 専門的な技術というか、その分野の知識を学んでいることが、就職には圧倒的に有利であり、多くの場合、企業の方から学生にアプローチがあった。ときには企業が学生を接待する。優秀な学生は、黙っていても有名企業から誘いがある、という世界だった。こういうことは、文系の大学ではちょっとありえないことかもしれない。

 もう少し一般化すると、これは個人の価値を高めることと等しいだろう。よく言われる表現で「手に職をつける」というものがあるが、そういうスペシャルな状態になると、仕事に就きやすいし、転職もしやすくなる。食いっぱぐれることがない。また、これを高めれば、多くの場合、高給につながる。 
 つまり、お金の増やし方として、さきほど挙げたどの方法よりも有効なのは、実は自分自身の仕事能力を高めることであり、もっと簡単な言葉でいえば、「勉強」である。
「勉強」は、けっして楽しいものではない。当たり前である。しかし、勉強することでお金が増えるのは、ほとんど事実だといえる。統計的にも、これは簡単に証明できるだろう。
 だからこそ、親は子供の教育に熱心になる。お金をかけて塾へ行かせ、家庭教師をつけ、小さい頃から勉強をするように仕向ける。勉強が楽しくなるように、あらゆる工夫をしている。「将来のため」という言葉で、子供を説得しているようだが、つまりは、「お金になる」という意味なのだ。おそらく、自分たちの経験でも、それが事実だと身に染みてわかっているからだろう。
 ということを考えると、良い仕事に就くにはどうしたら良いですか、という疑問にも、「今すぐに効果がある方法はない」と答えるのが正しい。一番良い方法は、何年もかけて勉強することだし、それはつまり、就職を間近に控えた段階では、もう手遅れなのである。


 毎度のことなのですが、森先生の話は、身も蓋もないのです。「それができれば苦労しないよ」と言いたくなるのだけれど、半世紀近く生きてきた僕の実感としても、「それ」をやるのが、万人にとって、もっとも期待値が高い方法なんですよね。

 現代の資本主義社会では、「お金をどう使うか」というのは、「どう生きるか」に近い意味があるのです。
 「簡単に儲かる方法」を信用しない、借金をしない、なんていうのは、当たり前のことです。
 今の世の中では、「裏ワザ」があると見せかけて、他者から奪おうとする人が、あまりにも多い。
 投資が悪いというわけではないけれど、コロナ・ショックの只中にいると、「あの、『投資しなければ損』という空気は、いったい何だったのだろう?」と、僕も下がり続ける株価をみながら自責の念に駆られています。
 「長い目でみれば、世界経済は右肩上がり!」とは言うけどさ、目の前でどんどん資産が目減りしていく状況で、冷静に、その「いつか回復するとき」を待つのはつらすぎるのです。

 これまでの森先生の新書のなかでは、僕にとって、素直に受け容れられるところが多い印象がありました。


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