琥珀色の戯言

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【読書感想】道なき未知 ☆☆☆

道なき未知 (ワニ文庫)

道なき未知 (ワニ文庫)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
あとは地道に前進する以外にない。もちろん、途中で引き返して、別の道も歩ける。それもまた、あなたが決めることである。

 僕はだいぶ森博嗣先生のエッセイを読んできましたが、それを自分の人生に活かせているか、と考えると、悲しくなってきます。
 森先生の話には「正論」が多くて、努力を放棄していたり、他人の揚げ足をとったりするばかりの人間を痛快なまでに論破してくれます。
 しかしながら、「じゃあ、お前は森先生のように生きているのか?」と問われると、沈黙するしかない。
 森博嗣の威を借りて、世の中のバカどもを成敗するのは心地よいけれど、実は、自分もその成敗される側のひとりでしかないのだよなあ。
 森先生の著書を長年読んできて、最近ときに感じるのは、森先生はこれを「誰かの役に立てばいい」と思って書いてはいるけれど、「ほとんどの人の役には立たないであろう(あるいは、ほとんどの人は正しく理解することもできないであろう)」こともわかっているのだろうな、ということなんですよ。
 それでも、とりあえず「伝わるかもしれない誰か」のためであるのと同時に、自らの趣味である森林鉄道を維持・発展するための資金を稼ぐために、書き続けている。

 この「やる気のない」状態から脱するための道は、けっこう簡単なのだが、多くの人が間違えて、失敗してしまうのは、ひとえに「やる気を出す」ことが唯一の解決だと思い込んでいるせいだと思う。
 沢山の本に「やる気が肝心だ」と書いてあるし、先生も先輩も「やる気がないならやめちまえ」と叱るのである。僕は、必ずしもそれが正しいとは考えていない。
 というのは、やる気を出すことよりも、実際にやることの方が簡単な場合があるからだ。それなのに、素直な若者は、やる気を出そうと無理をする。たとえば、「仕事を好きになろう」と努力するのも同じだ。でも、仕事を好きにならなくても仕事はできるし、やる気がなくても、やることはできることに気づいてほしい。こんな単純な発想の転換で、事態が解決することがある。そう、やる気なんかどうでも良いから、とにかくやってみれはどうだろうか。


 もちろん、やる気があってやれれば、それが一番良いのでしょうけど、長年仕事をしていると、「やりたくないけれど、やらなければならない」状況はたくさんあるのです。
 そこで、「やりたくなくても、食べていくために、それなりの仕事をやっている」というのが、たぶん、ほとんどの人の現実なんですよね。
 「やるかどうか」の基準を「やりたいか、やりたくないか」に置いてしまうのはリスクが高すぎるのです。
 それよりも、「やるべきかどうか」を考えて、「やるべき」なら嫌々でもやる。
 これ、宿題をしてくれない、僕の子どもに読んでもらいたいなあ……それ以前に、ずっと「やる気が出ない……」と嘆いている僕自身が読むべきか。
 まあ、これについても、「やる気がなくてもできるんだったら、苦労しないんだよ!」って反論が出てくるでしょうし、森先生の思考というのは「受け入れられない人には無理」なのでしょうね。
 もっとも、僕のように「書いてあることは理解できるつもりだけれど、自分にそれを反映させられない」という読者も多そうです。

 道草は楽しい。ついつい時間を忘れて、気がつくと暗くなっていたりする。それは、周囲を見ない熱中の時間だったからだ。それだけ没頭していた。楽しさとはこういうもの。
「自分らしさ」を見つけたいとか、「自分は何者なのか」とか、そういった自分探しに憧れている人が多いけれど、きっと、周囲の他者を見すぎていて、周りと自分を比べてばかりいるのではないか。
 そうではなく、自分を見つけたかったら、なんでも良いから、自分以外のものに没頭することである。天体を観測したり、絵を描いたり、そんな道草をすれば良い。ようするに、自分を見つけるには、「我を忘れる」ことが大事なのだ。我を忘れた時間のあと、ほっとするひとときに、なんとなく新しい自分になっていることを発見するだろう。


 こういうのを読むと、なるほどなあ、って感心せずにはいられないのです。
 「自分らしさ」を伝えようとして自分語りを延々とするよりも、自分が好きなことに熱中している姿のほうに、周りからすれば、「その人らしさ」を感じるのですよね。

 ただ、これもまた「じゃあ、何に夢中になれば良いのですか?」みたいな話になりがちではあります。
 うーむ、考えれば考えるほど、「結局、森博嗣先生だからこそ、こういう生き方ができるのではないか?」とも考えてしまうんですよね。
 一般人にとっては、「下手な森博嗣、休むに似たり」なのかもしれません。

 僕が作家になって一番に感じたことは、出版社も書店の人も、みんな本が大好きな人ばかりで、本を読まない人たちに向けた商品を開発していない、ということだった。シェアを伸ばそうと考えるならば、現在見向きもしない人たちにアピールする必要がある。日本人のうち小説を読む人は、百人に一人もいない。もの凄いマイナな趣味なのである。その小さな世界で閉じた戦略しか持っていない、と僕には感じられた。この二十年間で、出版界がどれだけ衰退したかを見れば、僕が持った印象が間違っていなかったことを少しは納得してもらえるだろう。
 自分たちが良いと信じるものが良い商品ではない。相手が求めるものが良い商品になる。そして、良い商品とは、量が売れるものだ。質を上げれば売れるという幻想を、まず捨てる必要がある。何故なら、質は、人によってまちまちだからだ。
 作家が仕事ならば、ファンの声ではなく、読者にならない人が、どれくらいいて、何故手に取らないのかを観察しなければならないはずだ。


 僕は本が好きなので、正直、「本を読まない人の気持ち」は、想像することが難しいのです。
 ただ、この時代のネットコンテンツ、ユーチューブの動画が10分とか20分単位になっているのをみると、本一冊に1~2時間というのは、本好き基準からすれば「適切」でも、そうでない人にとっては「前置きが長い」とか「冗長」とか「めんどくさい」のではないか、という気がするのです。
 それにしても、「本嫌いの人に売れる本をつくれ」というのは、なかなか難しいミッションではあります。
 これだけ多くの人が自力で発信できる時代では、出版そのものが衰退産業ではないか、とも思われますし。

 森先生のエッセイを直接何かの役に立てられる人というのは、そんなに多くはないはず。
 ただ、こういう考え方の人がいて、少なくない読者にずっと支持され続けているというだけでも、「世の中は、案外空気なんて読まなくても渡っていけるのではないか」と心強くもなるのです。
 まあ、「圧倒的実力」がある人向け、ではあるけれど。


fujipon.hatenadiary.com

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